3-6 バレンタインのプレゼント

 今日は2月14日バレンタインの日だ。

今朝の千尋は渚よりも早起きをして朝食とお弁当の準備をしている。

お弁当はハムやレタス・チーズ等のサンドイッチをランチボックスに詰めてある。

そして朝食は野菜スープにボイルしたウィンナーにスクランブルエッグとスコーン。

それらを準備していると渚が台所にやってきた。


「あれ?おはよう千尋。まさかお弁当と朝ご飯の準備してくれてたの?」

渚が目を丸くして言った。


「うん。たまには私が用意しようと思って。丁度良かった、渚君に渡しておきたいん物があるんだ。」

千尋はいそいそと隣の部屋から紙袋を持って来て渚に手渡した。

「これ、バレンタインのプレゼント。良かったら受け取って?」


「え?僕に?」

渚は紙袋の中身を取り出すと、そこには紺色の手袋が入っていた

「この手袋ってもしかして・・・・手作り?」


「うん、気に入ってもらえるといいんだけど。」

千尋が照れたように言った。


「気に入るも何も、僕の一生の宝物だよ!ありがとう、大事にするよ!」

渚は手袋を握りしめて嬉しそうに笑った。


「大事にしてもらえるのは嬉しいけど、ちゃんと使ってね?」


「うん、早速今日から使わせてもらうよ。」

渚は手袋をはめてみると言った。

「すごく暖かいね。僕もホワイトデーに何か千尋にプレゼントさせてね?」


「その気持ちだけで、いいよ。それより朝ご飯食べない?」


「うん、そうだね。」


「「いただきます。」」


「うん、このスコーンすごく美味しいね。どうしたの?」

渚がスコーンを食べながら尋ねた。


「これはね、前に仕事が休みだった時に生地を作って冷凍しておいた物を解凍して焼いたの。良かった、渚君の口に合ったようで。」


「千尋の作る料理は何でも美味しいよ。今日のお弁当楽しみにしてる。」


「うん、期待に添えられると良いけどね?」




 食後のコーヒーを飲みながら千尋が言った。

「あのね、渚君にお願いしたい事があるの。」


「何?お願いって?」


「これなんだけど。」

千尋は紙バッグを渚に渡した。


「これは何?」


「手作りチョコが入ってるから私の代わりにリハビリステーションのスタッフの人達に渡してきてくれる?あ、勿論渚君の分もちゃんとあるからね。」


「うん、大丈夫。ちゃんと渡してくるからね。」

渚は紙袋を受け取るとニッコリ笑った。





「はあ~。」

患者のマッサージを終えた里中がため息をついた。

頭の中からは、病院のベッドで眠っている渚の顔が離れられない。

あの日はあまりのショックに自分がどうやって家に帰ってきたのかも覚えていない位だった。

そして何となく顔を合わせずらく、レストランにお昼を食べに行く事もしていなかった。


「里中、今日も飯食いに行かないのか?」

通りかかった近藤が声をかけて来た。

「今日からランチで新メニューが始まるらしいから俺は行くけど、お前はどうするんだ?」


「俺はいいです、何かコンビニで買って来るんで。」


「ふ~ん、それより何かあったのか?この間千尋ちゃんがここにやってきた時だってお前まともに話もしてないだろ?」


「特には何も無いですよ。単に手が離せなかっただけです。」

本当は千尋に会うと渚の事を喋ってしまいそうだったので、わざと里中は距離を置いていた。

(やっぱり祐樹に知られる前に俺が間宮に確認取ってみたほうがいいかもな・・。

でも何て聞けばいい?双子の兄弟でもいるか?って聞けばいいのか?あ~うまい考えが浮かばない・・・・。)


「おい、里中。どうしたんだよ?急に難しい顔して黙り込んで。」

突然静かになった里中を見て近藤が声をかけた。


「いや、何でも無いですよ!」

里中は慌てて首を振った。


「そういえばここ最近、間宮君の様子がおかしいって聞いてるぞ。お前何か知ってるか?」


「別に俺は何も知らないですよ。」


「・・・お前のその様子だと何も知ら無さそうだな。実はここのところ間宮君がよく食器を取り落して割ってしまったり、出来上がった料理を運ぶ際に落としてしまう事がたまにあるらしいんだ。」


「え?どういう事ですか?」


「う~ん・・・それが分からないんだよなあ。でも取り落した時はいつも真っ青な顔で片側の手で手首を掴んで震えているらしいから、もしかして手首の調子でも悪いんじゃないかって言われてるんだよ。診察でも受けてくれれば、ここでリハビリ出来るのにな。」


話が終わると、じゃあなと言って近藤は去って行った。

「・・・気になるな。今日はレストランで昼飯食べるか・・・。」

里中はポツリと言った。



 昼休憩に入り、里中はレストランに来ていた。空いているテーブルを見つけて座るとオーダーを取りに来たのが偶然にも渚であった。


「ああ、里中さん。今日はここでランチなんだね。」


「あ・ああ。まあな。ところで・・・・今日の日替わりメニューは何だ?」


「カツフライ定食だよ。」


「じゃあ、それを頼む。」


「はい、かしこまりました。」


渚はテーブルの上にあるメニューを手に取ったその瞬間、何故か取り落してしまったのである。


バサッ。


軽い音を立てて床に落ちるメニュー。

「あ・・・・。」

渚の顔は真っ青である。


「お、おい。大丈夫か?」

里中はメニューを拾うと渚に渡した。

「お前・・・・・すごく顔色悪いぞ?どこか具合でも悪いのか?」


「平気だよ。僕は大丈夫だから・・。」

無理に笑顔を作って言っているが、身体は小刻みに震えている。


「無理するなよ?」


「うん、ありがと・・・・。」


渚はメニューを受け取ると厨房へと戻って行った。

そんな渚を里中は心配そうにして見つめてポツリと言った。

「気のせいか?一瞬間宮の両手が透けて見えたような気がした・・・・。」



 食事を終え、支払いを済ませて職場へ戻ろうとしていた時に里中は渚に呼び止められた。


「里中さん。これ、千尋からリハビリステーションのスタッフの人達へって預かってるんだ。手作りのチョコレートだって言ってたよ。」

そして紙袋を渡してきた。


「ええ?!これ千尋さんから?」

里中は喜びを隠せない。


「うん、確かに渡したからね。皆さんによろしくね。」

渚は意味深に笑うと立ち去った。



 その後の里中は天にも昇るような気持ちになり、先程の出来事はすっかり忘れてしまうのだった・・・。




 今日の<フロリナ>はとても忙しかった。近年「フラワーバレンタイン」と言う言葉が日本でも徐々に浸透してきているお陰か、多くの若い男性達が花束を購入していったからである。

男性従業員の原と千尋が本日の遅番担当の日だった。


二人で店内を片付けながら原が言った。

「青山さん、今日はバレンタインのチョコどうもありがとう。」


「いえ、いつも原さにはお世話になってるのでほんの気持ちですよ。」


「渚君には特別なプレゼントあげたんですか?」


「え、と・・・・手編みの手袋です。渚君手袋持っていなくて手を冷たそうにしていたので。」


「それは良かったですね。あ、そろそろ渚君が迎えに来る時間じゃないですか?今日のお礼です。残りは私がやっておくので青山さんは先に上がっていいですよ。」


「でも、それでは・・・。」


「いいんですって、ほら。行って下さい。」


「分かりました、どうもありがとうございます。それではお先に失礼します。」



 帰り支度を終えて店の外に出ると、もうそこにはコートのポケットに両手を入れてガードレールに寄りかかって立っていた渚がいた。

「あ、お疲れ様。千尋。」

寒そうな息を吐きながら渚が笑顔で言った。


「渚君もお疲れ様。」


「ジャン!ほら、見て。」

渚はポケットから手を出すと両手には今朝千尋からもらった手袋をはめていた。

「とっても温かいよ。ありがとう。」

そして無邪気に笑った。


「ど、どういたしまして・・・。」

渚の無邪気な笑顔に何故か千尋は胸の鼓動が高まった。


「それじゃ、帰ろう?千尋。」

渚は当然のように右手を差し出してきた。


千尋が遠慮がちに手に触れると渚は千尋の手を握りしめて自分のポケットに入れた。

「ほら、こうすればもっと温かいでしょう?」


「う・うん。そうなんだけど・・・ちょっと距離が近くない?」

動揺しながら千尋が言った。


「え?近すぎ?歩きにくいかな?」


「そういう意味で言ったんじゃないんだけど・・・。」


「ならいいじゃない。離れて歩くより、くっついて歩いたほうが温かいよ?」


千尋は隣を歩く渚の顔を見た。街の明かりに照らし出された渚の顔はやはり素敵で胸がざわつく。

すれ違いざまに何人かの若い女性たちが振り返って渚を見ているのだが、当の本人は全く気にも留めていない。


 その時、ふと千尋は渚が大きな紙袋を持っている事に気が付いた。

「ねえ、渚君。その紙袋何が入ってるの?」


「ああ、これ?今日はバレンタインだからってプレゼントを貰ったんだよ。職場の人達やそれとお客さん達からも。」

渚が紙袋を持ちあげてみせると、中身はぎっしりと詰まっており、見るからに重そうである。


「・・・何だかすごい数だね。」


「うん、千尋はチョコ好きだよね?だからこれは千尋へのお土産だよ。」


「渚君・・・。」


「何?」


「あまり、その話は他の人達の前では言わない方がいいと思うよ・・・?」


「どうして?でも千尋がそうした方がいいっていうなら、そうするよ。」



 家に帰ると千尋が言った。

「渚君、今夜は私が夜ご飯作るよ。」


「え?そうなの?僕が料理作ろうと思ったんだけど・・・。」


「だってバレンタインだからね。こういう日って男の人の為に女子が作る物じゃないかなあ?」

千尋がエプロンを付けながら言った。


「ありがとう、千尋の作る料理楽しみだな。何か手伝おうか?」


「ううん、大丈夫。あ、それじゃ一つお願いしていい?そこの食器棚の一番下にある扉を開けて楕円形の白いお皿があるから2枚出してくれる?」


「いいよ、ここだね。」

渚は屈むと食器棚の扉を開けて、動きが止まった。


「どうしたの?渚君?」

千尋が声をかけてきた。


「う、ううん。全部陶器の皿ばかりなのに、2まいだけプラスチックの容器があるなと思って。」


「あ、ああ。そのお皿ね。それは私が以前飼っていたヤマトのお皿なの。」


「ふ~ん、大事に取ってあるんだね。」


「それはそうだよ、だってヤマトは私にとって大切な家族だったんだもの。今何処にいるんだろう・・。早く帰って来て欲しいな・・・。」


「きっと、ヤマトも今の言葉を聞いたらすごく喜ぶと思うよ。」


「ん、そうだね。じゃ料理の続きしようかな。」



 千尋の作った今夜のメニューは卵がフワフワでトロトロのデミグラスソースのオムライスだった。


二人はワインで乾杯し、渚は千尋の料理に舌鼓を打った。


—こうしてバレンタインの夜は静かに更けていったのである。

 

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