3-2 渚を知る男

 翌朝—

渚と千尋は向かい合って朝食を食べていた。今朝の渚はいつもと全く変わりが無い様子だった。

(一体、昨夜はなんだったのかな・・?)


「何?千尋。さっきから僕の事見てるけど?」

千尋の視線が気になったのか渚が話しかけて来た。


「あ、何でもないの。」


「そう?今朝の千尋はいつもと違う感じがするからさ。」


「あの・・・ね、渚君。」


「何?」


「昨夜の事なんだけど・・・。」


「うん。あ、ごめんね。結局千尋に片付けさせちゃって。」


「すぐ眠れたの?」


「勿論、日本酒を飲んだからかな~昨夜は眠たくてすぐに寝ちゃったよ。」


(やっぱり覚えていないんだ。)

千尋は心の中で思った。


「え?昨夜僕何かやっちゃった?何も覚えていないんだけど・・・。」


「大丈夫、別に何も無かったから。ただ、今日から仕事初めだったから良く眠れたかなって思って。」


「千尋はよく寝れた?」


「うん、寝たよ。」

本当は昨夜の事が気になって、あまり眠れなかったが伏せておいた。




「ねえ、千尋。」

食後のコーヒーを飲みながら渚が言った。


「何?」


「これからはさ、二人の休みが合う時は色々な場所へ一緒に出掛けたいんだ。

駄目・・・・かな?」


「駄目なわけないじゃない。うん、一緒に出掛けよう。」


「良かった~。ありがとう。」

渚は子供の様に無邪気に笑みを浮かべた。

そんな様子を千尋は黙って見つめていた・・・。




「おはようございます!」

千尋は元気よく出勤してきた。


店には早番の中島と原が既に出勤していた。


「おはようございます。青山さん。」

ほうきで店の外掃除をしていた原が挨拶を返した。


「おはよう、青山さん。」

切り花の世話をしていた中島が言った。

「青山さん、新年早々だけど今日は山手総合病院に行く日よね。道路の渋滞情報が出ていたから早めに出たほうがいいわよ。」


「ありがとうございます、それじゃ早めに準備して行きますね。」




山手総合病院—


患者のマッサージを終えた里中がポケットから小さな紙袋を取り出して、ため息をついた。


「お?里中、それ一体何だ?」

近藤が目ざとく見つけ、背後から声をかけて来た。


「べ・別に何でもないですよ。」

里中は顔を赤らめながら急いでポケットにしまおうとするが、近藤に奪われてしまう。


「か・返してくださいよ!」

里中は小声で言った。


「へえ~山梨県の土産の袋か。・・・そういや、お前の実家って山梨だったよな?

年末里帰りしたのか。」


「・・・そうです。」


「で、そこの土産ってわけか。」


「・・・はい。」


「中身って何が入ってるんだ?」


「どうして先輩にそれを言わないとならないんですか?」

里中は面白くなさそうに言う。


「あれ~返してほしくないのかな?」


「ブレスレットです・・・。パワーストーンの。」


「ふ~ん、誰にあげるんだ?」


「・・・・。」

里中は返事をしない。


「そっか~やっぱり相手は千尋ちゃんかあ。」


「な・・・!」

里中は顔を赤くした。


「ま、せいぜい頑張れよ。」

近藤は自分の患者がリハビリステーションにやってきたのを見て、里中に紙袋を返すと、患者の所へ向かった。


「俺だって・・・本当は諦めようと思ったけどあいつにあんな事言われたら諦められないじゃないか・・・。」

クリスマスイブの日、渚が里中の家に来て言ったセリフ。

<僕にもしもの事があったら千尋の事よろしくね。> 

その言葉がいつまでも頭から離れずにいたのだった。



 それから暫くして千尋がリハビリステーションにやってきた。

主任と新年の挨拶を交わしている。

丁度手が空いていた里中は主任が去り、千尋が一人になると近づいた。


「おはよう、千尋さん。」


「あ、おはようございます。里中さん。新年明けましておめでとうございます。」

千尋は頭を下げた。


「あ、そうだったね。明けましておめでとう。」

里中も頭を下げた。


「あの・・・千尋さん。」


「はい?何でしょう?」


「実はこれなんだけど・・・。」

里中はポケットから紙袋を取り出した。


「?」


「俺、年末年始里帰りしていて千尋さんにお土産を買って来たんだ。もし良かったら受け取ってもらえないかな?」

そして千尋に紙袋を手渡した。


「私にですか?」


里中は黙って頷いた。


「今見ても?」


「ど・どうぞ。」


中から出て来たのは色鮮やかなパワーストーンのブレスレットだった。

千尋は目を見張った。

「うわあ・・・綺麗。でも、こんな高価なもの頂くわけには。」


「あ、見た目は高そうに見えるけど、そんなんじゃないから。遠慮しないで受け取ってよ。ただのお土産なんだから。」

ハハハ・・・と笑いながら里中は言ったが本当は気軽に渡せるような金額では無かった。

(く~っ。今月は食費削らないとな・・・。だけど千尋さんの喜ぶ姿を見れたからいいか。)


「里中さん。お礼に今日のお昼ご飯、ここのレストランでご馳走させて下さい。」


「い・いや、何言ってるんっすか!女の人に男がご馳走してもらなんて変ですって!」


「でも、それじゃ私の気が済まないんです。」

千尋は食い下がる。


(でも昼飯代浮くし、何より千尋さんと一緒に食べる事が出来るなら・・・。)

「それじゃ…よろしく。」

里中は言った。




「―で、何で先輩までここにいる訳ですか?」

里中は面白くなさそうに言った。


「まあまあ、そう言うなって。俺は先にここに来ていた、そしてお前たちがやってきた。」

近藤は得意げに言う。


「はあ。」

里中は興味なさげに返事をする。


「そして生憎、満席。けれど、俺が座っているテーブルは偶然にも2つ席が空いていた。そこで、二人をこの席に呼んだと言う訳だ。」


「ありがとうございます、近藤さんのお陰で席を確保する事が出来ました。」

千尋は嬉しそうに言う。


「チエッ」

里中は誰にも聞こえない様に小さな声で舌打ちをした。

折角二人で食事が出来ると思ったのに、これでは何の意味も無い。

里中はつくづく自分の運のなさを呪った。

(あ~あ・・・自分用にもパワーストーン買っておけば良かったかな。)


 その時である。

「お待たせいたしました。」

オーダーを取りに来たのは渚だった。


「渚君!忙しそうだね。」

千尋はニコニコしながら話しかける。


「うん、丁度お昼時だからね。特に今日はすごく忙しいよ。」


「よお。」

里中は言った。


「頑張ってるみたいだね、間宮君。あ、俺と里中はBランチで。千尋ちゃんは?」


「私はスープパスタで。」


「珍しいね、千尋ちゃんがお昼をここで食べるなんて。」

近藤が尋ねた。


「はい、そうかもしれませんね。」

実は千尋と渚の取り決めで、千尋が山手総合病院に生け込みに来る日はここのレストランで食事をしていく事にしていたのである。


 渚が去った後、近藤が聞いてきた。

「千尋ちゃんは年末はどうやって過ごしてきたんだい?」


「そうですねーこれと言って特には。大体家で過ごしてました。でも昨日は渚君と水族館へ遊びに行ってきました。」


「へえ~水族館ねえ・・・。」

近藤は意味深に笑った。


ピクリと里中の肩が動いた。

(何だ?水族館だって?定番のデートコースじゃないか、それって?)


「楽しかったかい?」


「はい、とても。あ、でも・・・。」

千尋が言い淀んだ。


「でも?何かあったの?」

里中は千尋に向き合った。


「渚君、海を見てたら突然具合が悪くなってしまって・・・。だから今朝心配だったんです。でも朝も元気だったし、今も大丈夫そうなので安心しました。」


里中は仕事中の渚を見た。

(あいつ、やっぱり何処か身体の具合でも悪いのか・・・?)

けれども渚から口止めされていたので里中は何も言わずに別の話題へ切り替えたのだった。


 

 その後、運ばれてきた料理を3人で食べると千尋は帰って行った。


「今日は悪かったな?今度は二人きりで食事出来るといいな?」

職場に戻りながら近藤は言った。


「何言ってるんすか?先輩が気を利かせてあの場から居なくなってしまえば二人で食事出来たのに。」


「ひっでえなあ、それが先輩に対する口の利き方かあ?」

わざとお道化たように話す近藤を里中は苦笑いしながら見ていた。




 その後、千尋と渚は約束通り二人が休みの日は色々な場所へと出掛けた。

動物園、映画、遊園地、ドライブ・・・渚が行ってみたいと言っていたありとあらゆる場所へと足を運び、季節は2月へと変わっていた—。

渚は始終楽し気にしていたが、何故か寂しげに見える姿が増えてきたのだが、千尋はその事には一切触れる事は無かった。


(きっと時がたてば、渚君の方から話してくれるはず・・・。)

そう信じて疑わなかったのである。


 

 「ねえ、渚君。今日はお休みでしょう?私は仕事だけど何か予定あるの?」

ある朝千尋が朝食を食べながら尋ねた。


「え?うううん。特には無いよ。しいて言えば・・・家電製品でも見てこようかなと思ってる。」


「?何か買いたい家電製品あるの?」


「うん、ブレンダーかミキサーでもあれば便利かなって。あ・でも買うかどうかはまだ未定だけどね。」


「そうなんだ。良いのが見つかるといいね。」


「そうだね・・・・。」

渚は曖昧に笑った。



 仕事のない日はいつもそうしているように渚は千尋を店の前まで見送ると言った。

「それじゃ、仕事頑張ってね。今夜のメニュー楽しみにしておいてね。」


「ありがとう、それじゃまた後でね。」

千尋は笑顔で手を振ると通用口から店へ入って行った。


「・・・・・。」

千尋を見送ると渚は駅へ向かって歩きだした。




 バスを乗り継ぎ、渚はこの市内一大きな総合病院の前に立っていた。

千尋が編んでくれたマフラーで口元を隠し、帽子を目深に被ると渚は病院の中へと入って行った。



渚は入院病棟に来ていた。

辺りを見渡し、人がいないのを見計らうと個室の病室へと入って行く。


その個室には若い男性がこんこんと眠り続けていた。

ベッドの柵に取り付けられているネーム札には年齢も名前も記入がされていない。

「・・・・。」

渚は拳を握りしめ、黙ってその患者を見下ろしていると、こちらに向かって歩いてくる足音が聞こえた。


「!」

渚は慌ててロッカールームに入って、隠れる。


けれど足音は遠ざかって行った・・・。


入り口に耳を付けて外の様子を伺うと人の気配を感じられない。

渚はこの隙に素早く病室を抜け出して、急ぎ足で病棟を去って行った。




「それにしても502号室の患者さん、いつまであんな状態なのかしらね?」

ナースステーションで看護師達が会話している。


「そうよねー。家族すら分からないから、いつまでたっても名無しさんだし。」


「でも不思議よね?何か月も前から眠った状態なのに血色も良くて、ちっとも身体に衰えが見られないんだから。」


「だからそれが目的なのよ。研究対象にして医療費はこの病院が全額負担してるんですってよ。」


最後に看護師達は顔を見合わせて言った。


「でも・・・・。」


「うん、うん。」


「「かっこいい男の人だよね~。」」



病院を出た渚は当てもなく繁華街を歩いていた。

「ふう。」

渚がため息をついたときである。


丁度一人の茶髪の若い男が渚とすれ違った。


そして物凄い勢いで振り返ると渚を指さして大声で言った。


「あ!お前、渚じゃないか!一体今まで何処で何してたんだよ!!」





 








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