2-10 クリスマスイブの抱擁

 こんなはずじゃなかったのに—


クリスマスイブ、里中は高熱を出してワンルームマンションの自分の部屋で寝込んでいた。


「くっそ・・頭がズキズキする・・・。」

前日の夜、クリスマスパーティーの事を考えると興奮して眠れなかった里中はコンビニで買って来た度数の強いアルコールを部屋で飲み、そのまま布団もかけずに眠ってしまった。そして朝起きた時には酷い風邪を引いていた。

何とか職場には風邪の為に出勤出来ない旨を話し、近藤にも詫びを入れて貰うように主任に電話を入れる事が出来た。

(先輩、すみません・・・。)

熱で朦朧となりながら心の中で近藤に謝罪した。

時計を見ると昼の12時を少し過ぎた頃だった。

「あ~腹減った・・・。」

高熱を出しているのに空腹を感じるとは皮肉なものである。

しかし普段殆ど自炊等した事がない里中の家の冷蔵庫は缶ビールと牛乳が入っているのみである。

こんな事なら普段から何かあった時に食べられる冷凍食品でも買い置きをしておけば良かったと里中は思った。

「う・・・トイレに行きたくなってきたな・・。」

本当は布団から出たくは無かったが、我慢する訳にはいかない。

何とか起き上がると、壁伝いにトイレへ向かう。

「・・・・。」

そしてトイレから出て布団に戻る途中で里中は意識を無くして倒れてしまった。



「ん・・・・?」

次に目が覚めた時は布団の中だった。額には熱さましシートが貼られている。

ふと、誰かが台所に立っている気配が感じられた。

「誰か、いるのか・・・?」

その時である。


「あ、気が付いたみたいだね?」

台所から顔を出したのは渚であった。


「な・お・お・お前・・・どうして俺の部屋に?」

里中は布団から起き上がりながら尋ねた。


「あ、まだ起きない方がいいよ。里中さん、部屋で倒れてたんだよ。熱だってまだ高いし。でも目が覚めて良かったよ。風邪薬買って来たから枕元に置いておくね。」

渚はお盆に水の入ったコップと風邪薬を枕元に置いた。


「悪いな。ところでさっきも聞いたけど、どうして間宮が俺の部屋にいるんだ?」


「お昼を食べに来た近藤さんから聞いたんだよ。里中さんが高熱を出して寝込んでいるから心配だって。様子を見に行きたいけど今日は人手不足で手が足りなくて抜けられないって聞かされたんだ。」


「うん、で?それと間宮がどんな関係があるんだ?」


「幸い、僕の部署は今日手が足りてるから一人ぐらい居なくても回せるって言われたから半休を貰って近藤さんから里中さんのマンションの場所を聞いてきたんだよ。」


「でもどうやって部屋に入れたんだ?鍵、かかってただろう?」


「鍵?かかってなかったよ?」


「え?かかってなかった?」


「うん。一応風邪薬とか食べ物用意して来たんだ。もし部屋に入れなかったらドアノブに買って来たものぶら下げておこうとしたんだけど、鍵があいてたから中に入ってみるとびっくりしたよ。だって部屋の中で真っ赤な顔して倒れてるんだから。慌てて中に入って布団まで運んで、今お粥作ってた所だよ。」


「そっか・・・面倒かけちゃったな。」

自嘲気味に里中は笑った。


「ほら、お粥出来たから食べてみてよ。」

渚が出来立ての卵粥を運んできた。


「・・・いただきます。」

里中は遠慮がちに粥を口に入れた。

「・・・んまい。」


「そっかー良かった。」

渚は笑顔で言った。


渚の作った卵粥はとても美味しく、里中はあっという間に完食してしまった。

そして渚が買って来た薬を飲んだ後に言った。

「・・・ありがとな。」


「いいよ、気にしなくて。」


「ん?そういやお前いつの間にか、ため口になってるな?」


「駄目かな?」


「いや・・・その方がいいよ。って言うかお前幾つなんだ?」


「僕?23歳だよ。免許証見る?」

渚は懐から免許証を取り出して里中に見せた。


「うわ・・・ほんとだ。俺とタメかよ。なら敬語なんていらないな?」

里中は少しだけ口元に笑みを浮かべて言った。

「うん・・・?それにしても何だかここに写ってる写真と、今のお前雰囲気が違う気がするな・・・。」

顔の作りは全く同じだが、目の前にいる渚は終始笑顔で人懐こい印象がある。一方免許証に写る渚の顔はどことなく目つきが鋭く、やさぐれた印象を与える。


「僕は写真に写ると、少しイメージが変わるんだよね。」

どこか慌てたように言うと渚は免許証をひったくるように里中の手から取り上げた。


「それじゃ、そろそろ僕は帰るね。冷蔵庫にヨーグルトとイオン飲料を入れておいたから良かったら飲んで。あ・それから冷凍食品も幾つか買ってあるよ。」

免許証をしまいながら渚は言った。


「そんなに買ってきてくれたのか。悪い、今金を・・・。」


「あーそんなの大丈夫だから。お金は近藤さんから貰ってあるから。本当、いい人だよね。近藤さんて。」


「ああ・・・。お前もな。」


「いいんだよ、気にしないで。あ・それから今夜のクリスマスパーティーも中止にしたよ。」


「え?どうして?」


「千尋が言ったんだ。折角のクリスマスパーティ、里中さんが一人出席できないのは気の毒だから今回はパーティーに参加しないって言ったら、その流れで中止になったんだよ。」


「!そんな、俺一人のせいで・・・。ほんと、俺って駄目だな。お前にも変な嫉妬心なんか持って・・・。」


「里中さんはすごくいい人だと僕は思うよ?職場での評判すごくいいんだってね。お年寄りの患者さん達をすごく大切にしてくれてるって。だから・・・・僕も思ったんだ。この先、僕にもしもの事があったら・・・千尋の事よろしくね。」


「お前、またそんな事言って・・・。一体どういう意味なんだよ。」


「別に、言葉通りの意味だよ?僕はずっと千尋の側にいる事は出来ないけど。

でも、この話は絶対に千尋にはしないでね?心配させたくないから。」


「だから、どうして千尋さんの側にずっといられないって言うんだ?」


「・・・ごめん、これ以上は言えないんだ。」

渚はあまりにも思い詰めた表情をして言った。


「―分かったよ。俺もこれ以上聞かない、約束する。」


「ありがとう、じゃあ帰るよ。ちゃんと休まないと風邪治らないからね?」


「ああ、分かってるよ。サンキューな。」


渚は玄関のドアを開けて出て行った。

里中は渚が出て行くのを見届けると再び布団の中に潜り込んだ。

結局、あの言葉の真意は分からず仕舞いだった・・・・・。




 夜、結局クリスマスパーティーを取りやめにした千尋と渚は二人で買い物を済ませて家に帰ってきた。


「良かったね。クリスマスケーキ買えて。」

千尋はテーブルの上にケーキを置くと言った。


「そうだね、でも一番小さい4号サイズのケーキしか買えなかったけど。」


「その大きさで十分だよ、だって私たち2人しか食べないんだもの。」


今夜のメニューは時間も遅いので簡単に済ませる事にしてある。


「それじゃ僕はパスタを作るよ。」

渚は鍋を取り出すと水を入れ、ガス台にかけた。


「良かったね、ミートソース作り置きしておいて。」

パスタに和えるソースは以前時間のある時に作っておいた分が冷凍庫に入っている。

それをレンジで解凍すれば良い。


「それじゃ、私はサラダとチキンの準備しようかな?」

チキンは商店街で買って来てあるので。それを耐熱皿に入れて温めなおす。

「後は、サラダを洗うザルは・・・と。」

千尋はザルを探してみたが見つからない。

「あ、もしかして。」

千尋は思いなおし、背伸びして天袋を開けたその時、棚の上からいくつものザルやボウルが落ちて来た。

「キャッ!」


「危ない!!」

渚が飛び出してきて千尋を腕に抱き込んだ。

次々とザルやボウルが上から降ってきて渚に当たる。


「・・・!」

渚が顔をしかめた。


「渚君・・・?大丈夫?」

恐る恐る千尋は顔を上げた。千尋はまだ渚の腕の中にいる。

そこには心配そうに千尋を見つめる渚の顔があった。


「千尋・・怪我は無い?」


「う・うん・・・大丈夫。」


「良かった・・・。」

渚は千尋を思い切り強く抱きしめると安堵の息を吐いた。


「な・渚君・・・・!もう大丈夫だから、は・離して・・・。」

千尋はうろたえながら言った。


「え?」

その時、初めて渚は千尋を抱きしめているのに気が付いたのか、途端に顔を真っ赤に染めて慌てて千尋を離した。

「ご・ごめん・・・。千尋の事が心配になって、つい・・・。」


「い・いいよ。そんな事気にしなくて・・・あ!大変!鍋が噴きこぼれそうだよ!」


「うわ!ほんとだ!」

渚は慌ててガス台に戻り、火を弱めて料理に続きを始めた。


その姿を見ていた千尋の心臓はドキドキいってる。

(びっくりした・・・。まだ渚君の匂いが残ってる気がする・・。)


 パスタも出来上がり、テーブルの上には他にサラダとチキンが並べられた。

ケーキは食後にと冷蔵庫に冷やしてある。


椅子に座ろうとすると、渚が思い出したように言った。


「そうだ!いいものがあるんだ。」

そう言うと席を立ち、大きな紙袋を持って戻ってきた。


「なあに?それ?」


「ほら、小さいけどクリスマスツリー買って来たよ。」

それはテーブルの上の乗りそうな小さなクリスマスツリーだった。


「わあ。可愛い。」

千尋が喜ぶと更に渚は言った。


「まだあるよ。はい、クリスマスプレゼント。・・・喜んでくれるかなあ?」

渚は小さなラッピングされた袋を手渡した。


「え?私に?」

千尋が中を開けてみるとそれは可愛らしい犬のデザインのネックレスだった。


「犬の・・・。」


「うん、千尋は犬が好きなんだよね?だから探して買ってみたんだ。つけてあげるよ。」

渚は千尋の背後にまわり、ネックレスをつけると鏡を見せた。

「良く似合ってるよ、千尋。すごく綺麗だよ。」


熱を帯びた渚の話し方に胸の鼓動が高鳴る。

「あ・ありがとう。」

何とか、それだけを必死に言った。

「実は私からもプレゼントがあるの。」

千尋は足元に置いておいた紙袋を渚に手渡した。


「開けて・・・いいの?」

渚の問いに千尋は黙って頷いた。


「これは・・・。」

そこに入っていたのはダークグリーンのマフラーだった。

「もしかして手編み?」


千尋は頷くと言った。

「お店の休憩中に毎日、ちょっとずつ・・・ね。気に入ってくれるといいけど。」


渚はマフラーを巻き付けると笑顔で言った。

「勿論だよ!僕の一生の宝物だよ。」


「一生だなんて、大げさだよ。」


渚は首を振った。

「僕がどれほど今幸せか・・言葉では言い表せない位だよ。ありがとう、千尋。」


その後、二人はささやかな料理で二人きりのクリスマスイブを祝った。


—こうしてイブの夜は更けていった・・・・。



















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