1-9 長井という男

「そうですか。やはりあなたはあの男をご存じなんですね。」

一旦、病室を出て同じ病棟の談話室へ移動すると一番年長と見られる警察官は里中に言った。


「は・はい・・・。俺が勤務している病院の自動販売機のオペレーターです。」


「二人は友人関係だったんですか?」


「はい、友人です。」


「しかし、彼の方はそう思っていなかった可能性がありますね。」

警察官は何故か意味深なセリフを吐いた。


「?あの・・・一体それはどういう意味なんですか?」


 すると今まで二人の会話を聞いていた若い警察官が口を挟んできた。

「君は何も気づいていなかったのか?」


はっきり言わない警察官にしびれを切らした里中はイライラした調子で言った。

「さっきから一体何が言いたいんですか?はっきり言って下さいよ!」


「ああ、これは失礼。」

若い警察官を制すると再び年配の警察官は言った。

「この男はねえ、昨夜9時半頃に雑居ビルが立ち並ぶ歩道橋の下で頭部から血を流して倒れている所を発見されたんですよ。」

ゴホンと咳払いして警察官は続けた。

「幸い、身元の確認はすぐに出来ましたよ。携帯電話を所持していましたからね。それでちょっと面白い事が分かりましてね。」


「面白い事?」

里中は眉をひそめた。


「彼の発信履歴を見ると、ここ最近ある一定の時間に何度も何度もあなたに電話をかけている事が分かったんですよ。」


「え?」

一瞬何を言われているのか分からなかった。


「あなた―最近毎晩のように電話がかかってきていませんでしたか?」


「―!」

(まさか・・・あの無言電話の相手が・・・?!)

親友だと思っていた長井がストーカーだったとは思いたくなかった。

しかし現実は残酷だ。


「この女性に見覚えありませんか?」

警察官は1枚のスナップ写真を見せて来た。

そこには隠し撮りしたかと思われる千尋の姿が映されている。


「千・・・尋さん・・・。」


「やはりあなたは彼女を知ってるんですね。この写真、発見時に長井が所持していたんですよ。いや、実は我々は最近こちらの女性からストーカー被害の相談を受けていたんですよ。それで彼女の自宅付近を毎晩パトロールしていましてね。」


里中は黙って警察官の話を聞いている。


「昨夜は2名体制でパトロールをしていたのですが、ボヤ騒ぎで二手に分かれて行動したんですよ。1名はこの女性の自宅付近に待機していたんですが、近所の家の窓ガラスが割られる悪戯があって、そこへ警察官が現場へ向かった時に長井が被害者の家に侵入したようです。お隣に住む女性にその姿を目撃されてましたから裏は取れてますよ。あ~もしもし、大丈夫ですか?」

里中の様子がおかしいのを気にして警察官は一旦話を切った。


「いえ。大丈夫ですから続けて下さい。でも・・・何故長井は歩道橋の下で倒れていたんでしょう?」


「まあ、その辺りは彼の目が覚めない事には詳しい事情は分かりませんがね。

ですがストーカー行為を受けていた女性の話によると長井が部屋に侵入してきた時に飼い犬が襲い掛かったらしいですよ。そして慌てて逃げた長井を追って行ったまま、戻ってきていないそうです。我々の考えでは恐らく歩道橋まで追いかけられた長井が階段を踏み外して落下してしまったと見ています。町中で大きな犬に追いかけれていた男の目撃談もありますからね。」


「ヤマトだ・・・。ヤマトが千尋さんを守ったんだ・・。」


「ほう。あなた、犬の名前までご存じだったんですね。」


「勿論です!ヤマトはうちのリハビリステーションのセラピードッグだったんですよ。すごく賢くて大人しい犬なんです。だからそんな行動に出たなんて、正直驚いていますよ!」


「・・・・余程、ご主人を慕っていたんでしょうねえ・・・。」


「はい、そう思います。」

里中は唇を噛んだ。


「我々は警察官を1名病院に残してこれから長井の住むアパートに行ってきますよ。ご協力感謝致します。病院まで送りますよ。」


警察官たちは立ち上がった。


「・・・あの。」

里中はまだ椅子に座ったまま下を向きながら言った。


「何です?」

先程まで話をしていた警察官が返事をした。


「長井は・・・またストーカー行為を続けるでしょうか?」


「ああ、それは無いと思いますよ。」

こともなげに言う警察官に里中は不思議に思った。


「どうして言い切れるんですか?」


「・・・恐らく落下した時に第5頸椎を損傷したのでしょうね。もう一生車椅子生活になったらしいです。」


「え?長井はもう二度と歩けない身体になってしまったんですか?!」

あまりにも衝撃的な話しばかり続き、里中は眩暈がしてきた。


「まあ、自業自得ってところもありますね。それに運が良かったじゃないですか?下手したら死んでたかもしれないし。」

若い警察官が口を挟んできた。


あまりの言いように里中は頭に血が上った。

「なんだって、そんな言い方するんだ!!お前、それでも警察官か?!」

気が付けばその警察官の胸倉を掴んでいた。


「ぐっ・・・。」

胸倉を掴まれた警察官は苦しそうに呻いた。


「まあまあ、落ち着いてくださいよ。今の言い方は確かにこちらが悪かったです。許してやってください、まだ年若い男なので。」

年配の警察官に止められて、里中は手を離した。


「すみません・・・つい乱暴な真似をしてしまって。」


若い警察官はまだ苦しそうに喘いでいる。


「・・・長井の目が覚めたら連絡貰う事は出来ますか?これでもまだ俺はアイツの事親友だと思っているので。」


「ええ、分かりました。」


  その後、里中はパトカーに乗せられ再び山手総合病院へと戻ったのである。



 

 千尋は中島から今日は仕事を休むように言われて自宅のリビングにいた。

そして目の前には女性警察官が2名いる。1人はショートヘアの若い女性、もう一人はメガネをかけた30代位の女性警察官である。


「この男性に見覚えがありますか?」

メガネをかけた女性が1枚の写真を千尋に見えるようにテーブルに置いた。


「え?」

千尋は写真をじっと見つめた。

健康的に焼けた浅黒い肌をした若い男性が映っている

「・・・・?」

必死で写真を見つめて記憶をたどってみる。

「あ。名前は知りませんけど、顔は知ってます。この男の人には何度か病院で会った事があります。確か自動販売機の飲み物を入れに来るお仕事の人で・・・一度だけ話をした事があって・・。」


「どんな話をされたんですか?」


「ええ、私が花を持って歩いていた時に『綺麗な花ですね。』って言われたので私の大好きな花なんですって答えました。でも、ほんとにそれっきりです。」


黙って聞いていた若い警察官が言った。

「たった、それだけの会話で・・・。」


「?」

千尋は首を傾げた。


「この男は長井正治24歳、あなたをストーカーしていた犯人です。」

メガネの警察官は言った。


「え?ええっ?!」

千尋は改めて写真を見直した。

浅黒い肌にがっちりした体形はスポーツマンタイプでとてもストーカー行為をするような人間には見えない。


「もう安心して下さい。二度とこの男にあなたはストーカー行為をされる事はありませんから。」

若い警察官は笑顔で言った。


「あの?それはどういう意味ですか?」


「昨夜、あなたが飼っていた犬に追いかけられた長井はここから約2km程離れた場所にある歩道橋の下で頭から血を流して倒れていました。不審な点があったので警察病院に搬送されましたけど、頸椎を損傷してしまったらしく、もう二度と歩く事は出来なくなったそうです。」

メガネの警察官が代わりに答えた。


「その話・・・本当ですか?この人が私をストーカーしていて、ケガで二度と歩けなくなったって言うのも・・?」


「ええ。後は本人の目が覚めてから事情徴収に入ります。まだ眠っている状態なので。」


「あの、それでヤマト・・私の犬はどうなったのか分かりますか?昨夜から帰って来ないんです。」


「申し訳ございません。長井が犬に追われていた情報はありますが、長井が発見された後の犬の目撃情報は無いんです。」


「そう・・・ですか・・・。」

千尋がうなだれると、若い警察官が慌てたように言った。


「あの、私も犬を探すの手伝いますので元気出してくださいね!」


「ちょ、ちょっと・・。」

慌てたようにメガネの警察官が止めようとしたが


「大丈夫!警察官は善良な市民の味方です!!」

どうやらこの女性警察官は熱意にあふれていたようである。


 

 やがて女性警察官たちが帰ると、千尋は本当にこの家に一人きりになってしまった。窓の外を眺めてもヤマトの姿は見えない。

ストーカーの恐怖は去ったけれども、ヤマトのいない寂しさには耐えられない。

「ヤマト・・・・何処に行ってしまったの?早く帰って来てよ・・・。」

千尋は誰もいない部屋でカーテンに顔をうずめて一人泣き続けていた・・・。



  その頃、警察病院ではちょっとした騒ぎになっていた。


「おい、長井が目を覚ましたって?」

先程里中と話をしていた年配の警察官が病室に向かって足早に歩いている。


「はい、警部補。警察病院から連絡が入ったんですよ。長井の目が覚めたけど、ちょと困った事があったと言って。」

若い警察官も必死で後を追いながら説明する。


「何だ、困った事と言うのは?お前も長井に会ったんだろう?」


「え・ええ・・・まあ・・。でも多分あのままだと、まともな事情徴収を取る事は難しいのではないかと思うのですが。」


「何だ、お前?妙に歯切れが悪いな。言いたいことがあるならはっきり言え。」


「い・いえ!もう口で説明するより本人に会って話をした方が早いと思います。」


長井の病室の前に着くと警部補はドアを開けた。

そこにはベッドの上で頭に包帯を巻かれ、首には太いコルセットを装着した長井が横たわって目を開けていた。

その周囲を主治医と複数の看護師、そして警部補が派遣した警察官2名がいた。

皆いずれも長井を困惑した目で見ている。


警部補は彼らをかき分けて、長井の側に来ると言った。


「長井正治だな、お前には色々聞きたい事がある。これから時間をかけてゆっくり調べさせてもらうからな?」

警部補は不敵な笑みを浮かべて言ったが、長井の方はポカンとした顔をしている。

そして涙目になって言った。


「おじちゃん、誰?どうして僕の事知ってるの?何で皆僕の事怖い顔して睨むの?」




















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