第11話 ネズミども
どこかでガサゴソと音がする。視界の隅で何かが動く。
落ち着かない。
周囲をにぎわす奴らの気配が、私の神経をすり減らしていく。
犯人はネズミ。いまだこちらに危害を加える様子はないのだけれど、なんとも嫌な空気が漂っている。
――見られている。
確かに視線を感じるの。明かりの届かぬ暗闇で光るあの目が、まるで私を監視しているように思えてくるのよ。
そんなことはありはしないのに。
鞄から缶詰をとりだすと、ナイフで上部に穴を開けた。
それから短く切った布を、穴へとねじ込む。
今作っているのは即席のキャンドル。使った缶詰はツナ缶で、中に含まれている油分を布が吸い燃焼し続けるの。
油分がなくなるまでは、布が燃え尽きることはない。
布はキャンドルの芯、ロウは魚の油ってこと。
とっても簡単。あとは布に火を灯すだけ。
マッチをこすり布へと近づけると、火は燃え移り、柔らかな光があたりを照らした。
後退する闇。
取り残された小さな影が、遠ざかってしまった闇の中へと慌てて駆けていく。
いまいましい!
あのネズミどもは多分ドブネズミね。
ハツカネズミは草食に近い雑食。草や種子など穀物なんかを好んで食べる。
一方、ドブネズミは肉食。肉や魚、あとは昆虫といった動物性タンパクを好むらしいから。
いずれにせよ彼らは夜行性。火と明かりを嫌うはず。
キャンドルの炎にはあえて近づかないでしょう。
でも、心配なのは匂い。
嗅覚の発達した彼らが、ツナのかおりに刺激されないかが気がかり。
可能な限りの早足で、通路を進んでいく。
速度を上げるたび、消えそうになるキャンドルの炎が、なんとも頼りない。
走れば闇は押し寄せ、歩を落とせば遠ざかる。
そんな中、右手に伝わる固い感触が、心に入り込もうとする闇を追い払う。
手榴弾よ。右手に握り締めているのは小人から奪った手榴弾。
もちろん自爆なんてするつもりはない。いざという時の切り札だから。
近くに投げれば音と爆風で撃退できると期待して。
分かれ道を左へと曲がる。その次は右。さっきとは反対。
そう、来た道を戻っているの。
あのまま進むなんて馬鹿げている。ワイングラスのネオン管があった場所まで戻って大通りを進むべき。
やがて、記憶に明るい光景が目に飛び込んできた。
闇の中に浮かび上がる、光を放つ販売機。あそこを右に曲がれば……
しかし私は足を止めた。
そして、呆然と立ち尽くす。
なぜなら、見るからに頑丈そうな金属の壁が、行く手を完全に塞いでいたから。
行き止まり? いや、そんなはずない。
さっきまで確かに道があった。あの先にはワイングラスのネオン管があって大通りへと繋がっていたもの。通ってきたから、それは間違いない。
あるはずのない壁に手を触れ、感触を確かめる。
伝わってくるのは、冷たく、重く、無機質な金属の質感。
間違いなく本物。
横壁との境目を見る。
髪の毛一本とおる隙間もないけれども、床から天井まで続く一本のラインが確認できた。
なるほど。確かに通路はあったみたい。
私が通過した後に塞がれたってことね。
でも、いったい誰が!
……まあ、それは後回しにしましょう。
いま重要なのは、この壁が何のためにあって、どうやったら開くのかってこと。
あんな短期間で壁を作るなんてできやしない。可動式の何かが通路を塞いだのは間違いないから。
となると隠し扉か、防火扉ってとこだけど……
隠し扉はちょっと考えにくいわね。個人施設じゃないんだから。
そもそもワイングラスのネオン管。あれが先に何があるかを示していたはず。
隠し扉ならちょっと不自然。
じゃあ、防火扉ね。
火災報知機に連動して扉が自動で閉まる。それなら勝手に閉まったのも納得がいく。
……でも、火災なんてあったかしら? 報知器も鳴っていないし。
そもそも、防火扉があんなに頑丈かしら? 火さえ防げばいいんだから、扉か壁かも見分けが付かない、あんな重厚なものは必要ないんじゃなくて?
それに緊急時には、人が通過できなきゃならない。あれじゃあトラックで突っ込んでもビクともしなさそうじゃない!
まったく。ここは水の底なんだから、ただでさえ逃げ場がないってのに、これ以上狭くしてどうしようって言うのよ。
だいいち海底都市には……海底都市?
小骨のように何かが胸にひっかかる。そして、今にもそこに手が届きそう。
海底都市……水の底……
そうか、水密扉!
潜水艦なんかには必ず設置されている水密扉よ!!
浸水した区画を密閉してしまうためのもの。
それならぴったりと隙間なく閉じていて当たり前。
でも……じゃあなんで取っ手がないの?
火災でも水密でも、防護扉なら人の手で開けられるはず。閉じ込められたら大変ですもの。
私の知っている潜水艦にしたって、開閉するためのハンドルは必ずついていた。
ここがもっと科学が進んだ不思議都市にしたって、スイッチぐらいはついてなきゃおかしいじゃない!!
「チチチチ、チチチチ」
ネズミどもが一斉に鳴きだした。
振り返ると無数の光る目が、明かりの届かぬ闇からこちらを見つめていた。
鳴き声と目の数は次第に増えていく。
いままで鳴き声なんてあげなかったのに!
まるで、お前にはもう逃げ場なんてないんだとあざ笑っているかのよう。
――いいわ。相手にしてあげる。
人だろうがネズミだろうが、結局は生存競争。勝った者が自分の意見を押し通せるのよ!
ネズミどもに向かって一歩足を踏み出す。
キャンドルの作り出す光の輪が、彼らの姿を照らし出す。
今度は逃げない。
光に照らされた彼らは、ふてぶてしくもその場に鎮座したままだ。
完全にやる気。
キャンドルの炎にたいする、ためらいなど微塵も感じさせない。
「そう、お腹が空いているのね。いま、ご馳走してあげるわ」
手榴弾のピンを抜き地面に転がすと、販売機の影に身を隠した。
ドン! と、お腹を揺さぶる大きな爆発音。
ビチャビチャと何かが壁へとぶつかる音も聞こえた。
販売機の影から顔をだす。
爆発の衝撃からか、販売機が放つくすんだ光は青から黄色へと変化している。
そして、その光が照らすのは床に散乱したネズミの残骸と、爆音に怯えた者達が脱兎のごとく走り去る姿だった。
あら、少し辛かったかしら? ゴメンね。
ツカツカと音を立て通路を歩みだすと、手榴弾の金属片を身に浴びたのだろう床でのたうつ一匹を、グシャリと踏み潰した。
さて、戦いはこれから。
これで撃退したなんて思ってはいない。
彼らはまたやってくるはず。
今度はこちらが追い詰める番。
でも、もちろんネズミを駆除するタメの戦いなんかじゃない。
私の狙いは彼らの背後にいる者。いくら狂おうともネズミがこんな行動するはずないもの。
それが誰なのかは分からない。人かどうかも分からない。
でも扉の開閉を制御している者がいるのは確か。
だったらそこは、都市の機能を制御するコントロールルームじゃなくて?
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