(5)

「うぉおおおおおおおい!!! ミコトォオオオオオオオオ!!!」


 体に芯にまで響くくらいの大きな声が聞こえて、二人は同時に後ろを振り返る。

 その声を張り上げていたのは、坊主頭のガタイの良い男子生徒だった。遠くで大げさに手を振りながら、二人の元へと駆け寄ってきていた。

 そして、彼女との距離が一メートルほどになったところで、眉間にしわを寄せた彼女の拳が、彼の腹目掛けて振るわれる。


「うげぇ」


 踏み潰された蛙のような声を上げながら、腹を殴られた彼は悶絶していた。

 そんな彼に容赦なく噛みついていく彼女は、彼を叱りつける。


「うるさいからおっきな声であたしのこと呼ぶなっつってんでしょ!? 何回言ったら分かるの!?」

「ごめんて」


 素直に謝る彼に、尚もガミガミとうるさく説教する彼女。

 それを傍から見ていた岳は、二人の仲が普通以上である事を察した。

 同時に、彼女と二人っきりで話していた状況に怒った彼があんな大きな声をあげたのではないか、と心配する岳だったが、それは必要なかった。

 坊主の男は、愛想の良い感じで、にこりと笑顔を向けながら自己紹介する。


「えっと、あ、上級生……オレ、奥村亮一りょういちって言います! よろしくお願いします! 二人は知り合いっすか?」

「ぜんぜん。今さっき初めて会ったよ。なんか大きなため息吐いて歩いてたからさあ。制服も汚れてたし、今にも死にそうな感じだったからなんか心配になっちゃって、あたしから声かけちゃった」


 そんなに酷い顔をしていたのか、と口元に手をやりながら、自分で確かめようもないその顔を少しだけ隠す。

 その仕草を上目遣いで彼女はじっと見ていて、照れ臭くなった彼は目を逸らした。

 酷く落ち込んでいた理由が気になった彼女は、彼に名前と訳を尋ねかける。


「それで、先輩の名前はなんていうんですか? あとなんであんなに憂鬱な感じだったんですか? もしかして、姉に告白してフラれちゃったとかじゃないですよね?」

「……僕は、君のお姉さんとただのクラスメイトの椿本岳だよ。落ち込んでたのは……」


 図星を突かれてしまったが、それを悟られないようにしようと彼女と目を合わせなかった結果、彼女は不敵な笑みを浮かべ始める。

 当然のように図星だとバレてしまったのだった。


「当たっちゃいました? へぇー先輩って見た目のわりに積極的なんですねぇ」

「ミコト、それはさすがに失礼すぎる」

「ごめんなさーい、椿本先輩?」


 軽い感じで謝りながら、からかおうとしてくる姿勢を崩さない。

 そんな彼女の性格は、姉によく似ていたが、今の岳は真琴にからかわれていた事も憶えていなかった。


「まあ、めっちゃくちゃイケメンの人が告白したとしても、姉が男性と付き合うことはないと思いますけどね、あたしは」

「それって、君のお姉さんが普段、男の人を避けてるから?」

「そうですねー。でも、なんで男性をそんなに避けてるかまで、椿本先輩は知らないですよね?」


 勿論、今の岳はその理由を知らないので頷くしかなかった。

 意地悪な彼女は教えてはくれないだろうとあまり期待していなかったのだが、意外な事に彼女は、真琴が男性と距離を置いている理由を話し出す。


「姉が中三の時に、塾の帰りに男に襲われたからですよ。それから姉は、男の人を受け付けなくなってしまったんです。だから、フラれたからってそんなに気に病むことないですよ」


 彼女の慰めの言葉よりも、真琴の過去の出来事の方が、彼の心に刺さる。

 男性を避ける日々の行動は、それが原因で間違いないだろう。

 同時に、彼女に殺されたが生きているという今日起きた現象が、彼女の過去と少なからず関係しているのかもしれないとも思った。

 今日あった出来事は、人には話さず、心の奥に留めておこうと思った。

 そして、いつか真琴にその真意を問いただそうとも決意した。


 ――僕を殺してきたことにもなにか意図があったんだよね……?


 そうである事を願うのと同時に、彼女が相談するに足り得る存在ではないという事を彼は悔いていた。

 真琴が話してくれなかった過去を少しでも話してくれた光琴に感謝しつつ、それを疑問に思う。


「その話って僕にしてもよかったの?」

「んー、他人に話さない方がいいのは確かなんですけど、先輩になら話してもいいかなって思いました。代わりにと言ってはなんですが、私から一つだけお願いをしてもいいですか?」


 無理なお願いじゃなければ、と彼は頷いてみせる。

 それを見てにこりと笑った彼女は、彼にお願いをする。


「姉が困っていたら、椿本先輩が助けてあげてください」


 頭を下げて彼女は頼んできたが、岳には彼女がこまで姉を心配する理由がよく分からなかった。

 確かに、真琴は中学三年生の時に男に襲われて、大きな傷を負い、男を避けるようになったのかもしれないが、それでも彼女なりに自分の傷を理解して、対応しているように思えた。

 それ故に、彼女が困って、自分が助けなければならないような状況になる事などあり得るのか、と彼は思ったのだった。

 加えて今日、彼女によって、自らの複雑な事情を話す事のできる十分な存在ではないと烙印を押されたばかりでもあった。


 ――そのお願い、聞けないかもしれないな……


 そう口に出して言う事はできず、光琴の言葉に小さく頷くしかなかった。








 それから特筆すべき事は何もなく、月日は流れていき、もう十二月の頭だった。

 制服も冬服に変わって、本格的な冬の季節が到来していた。

 岳と真琴は、夏の放課後以来、一言も言葉を交わしていなかった。

 花火大会や文化祭などのイベントごとでも、彼女と接する事は一度もなかった。


 そして、週末、岳は、いつものように田辺と通話をしながらゲームをしていた。

 その最中、いきなり思い出したのか、田辺から真琴に告白した話を持ち出される。


『そういや夏に笠嶋に告白したけど、フラれたって話してたよな?』


 四か月も前の事を掘り返して茶化すつもりなのかと思い、いいかげんに頷くと、田辺はとんでもない噂話を口にし出す。


『なんか最近噂になってんだけどさ。笠嶋がおっさんとホテルに入っていくとこを見たって。あいつそういうことしてる風には全然見えねえし、ホントだとしたら意外だよなー。まあ、だから、お前付き合ってなくてよかったのかもなー』


 悪い噂をこの時初めて耳にした岳は、驚きすぎて思わず、キーボードとマウスを触っていた手を止める。


 ――笠嶋さんがおっさんとホテルに……? え? でも彼女は男の人にトラウマがあって……え?


 岳が困惑する中、一緒にゲームをしていた田辺の画面では、停止した岳の操るキャラクターが映し出されていた。


『おーい。うんこかー? 対人ゲーで放置はまずいぞー?』


 田辺のそんな忠告も聞こえないほど、岳の中に衝撃が走っていた。

 何かの間違いだろう、と一蹴して考えるのをやめるのは容易かったが、それでも頭にこびりついて離れないのは、彼女の嫌な過去と、告白した日に殺された出来事のせいだろう。

 それらが悪い噂と関係しているように考えてしまい、彼は不安でしょうがなかった。

 そして、その不安は、見事に的中する事になる。








 次の日の朝。

 朝課外が始まる前の教室に向かう途中、廊下の掲示板には、なにやら大勢の人が群がっていた。

 岳も気になって、掲示板を覗きに行くと、そこに張り出されていた一枚の紙に、皆、注目しているようだった。


 ――なにが書いてあるんだ……?


 先生が何か不祥事でも起こしたのだろうか、と予想していた矢先に、その言葉が目に入り、彼は愕然とする。

 









『――――笠嶋真琴を本日より一週間の停学処分とする』

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