放課後、僕は彼女を夢中にさせたい。

 彼女と別れない為には、彼女を夢中にさせる方法を見つけ出さなければならない。どうにかしてその方法を捻出しようと、岳は頭を悩ませていた。

 彼女が好きなことは、男の人を殺すこと。それ以外の彼女についての情報を彼は知らない。

 与えられたたった一つのものから彼女を満足させようとすると、殺されるという選択しか残らないが、それだと、自分の代わりに殺されてくれるイケメンの男子が現われでもしたら、すぐにお役御免になってしまう。そんな思考が頭に浮かんでしまったら最後、彼も焦らずにはいられない。


 次の日の放課後、彼が数学科準備室へと足を運ぶと、既にカギは開いていた。

 中にいるのは、笠嶋真琴で間違いないだろう。何故なら、彼女が先に教室から出ていったことを彼は見ていて、教室を出る時に彼女は、彼へと目配せまでしていたから、だ。

 彼女からの「殺されに来い」とのお達しである。


 ――笠……じゃなくて、真琴さん、いるよね……?


 うっかり苗字で呼ぶことに注意しようと思った彼は、ドアノブを掴んでゆっくりとドアを押し込んだ。するとその瞬間、ドアの向こうから手が伸びてきて、ドアノブを握った彼の手首をがっしりと掴んだ。


「うおっ!?」


 驚いて声を出すのと同時に、ドアノブから手を放すと、彼の体は掴まれた腕から部屋の中へと引きずり込まれていった。

 そのままの勢いで床にうつ伏せに倒れこんだ彼は、部屋にいた誰かに間髪入れずに体を仰向けにされる。

 そこで初めて、彼は一連の出来事の主謀者の顔を拝んだ。


「真琴……さ――ぐへぇ!!」


 腹の上に勢いよく彼女が乗ると、彼はお昼に食べたものを全て吐き出してしまいそうなくらい苦しい表情と共に変な声を出した。

 そして、彼女の手に握られた光るものを見た瞬間に叫んだ。


「ちょ、待って!! まだ、準――!!」


 彼の抵抗する言葉も空しく、彼女の握っていたナイフは彼の首元を切り裂いた。

 まき散らされた彼の血液を体中に浴びながら、彼女は満足げに真っ赤に染まったナイフに触れて、そっと指を滑らせた。




「おかえり、ツバキくん。ちょっと来るのが遅かったんじゃない?」


 彼が気が付くと、馬乗りになった彼女と目が合った。

 それは死ぬ直前の記憶と同じ状態で、生きて帰ってこれたことに彼は安堵する。そして、彼女が教室を出てから五分程度で来たはずだと、ここに来る前のことを思い返す。


「これで遅いの……? じゃあ、真琴さんと一緒に来るしかなくない?」

「ツバキくんは、物分かりが良くて助かるわ。一緒に行こうだなんて、私から誘うのもなんだか恥ずかしいでしょう?」


 「昨日は手を引っ張って連れて来られた気が……」と彼は思うだけで口には出さないでいると、彼女は言葉を続ける。


「ついでに私が『殺したい』っていう衝動に駆られてしまった時も分かってくると良いのだけれど……」

「それはわかんないよ……」


 彼女の殺人衝動を見分けられるほど器用にできてはいないと思いながら、そもそも彼女が普段から考えていることを理解できているかも怪しいと、彼は自分の無力さをひしひしと感じていた。

 しかし、今日の彼はそれを感じただけで終わりではない。今日は彼女のことを少しでも知るためにここに来たのだと決意を固めて、彼女に聞いてみる。


「僕もわかんないのついでなんだけど、真琴さんの好きなものってなんなの?」

「ついでで個人情報を聞かれても私も困っちゃうわ。まあ、私は優しいから、ちゃんと答えてあげるけれど。甘いものは好きよ」


 彼女の話に彼は苦笑いで応える。

 好きなものを聞いたはいいが、それで彼女を夢中にできるのはパティシエくらいだろうと、彼が半ば諦めていると、ポケットの中にあるものが入っていたことを思い出す。


 ――そう言えば、あいつからアメ貰ったんだった。


 彼女ができた祝いだとか言いながら、渡してきた友人の顔を思い浮かべながら、彼は飴玉をポケットから取り出すと、彼女に見せる。


「アメいる?」

「ちょーだい」


 彼女は嬉しそうに彼から飴を受け取って、口の中に放り込むと、片方の頬で飴玉の形を作りながら、微笑んで見せた。


「おいしい?」


 彼の問いかけに彼女は頷く。

 本当に甘いものが好きだったんだなと思うのと同時に、果たしてこれで自分に夢中になってくれるものかと、心配になる椿本 岳であった。

 そして、これらの二人の対話は全て、仰向けになった彼と馬乗りになった彼女との間で行われていたものである。

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