・・
一瞬の出来事だった。
逃げる間もなく勢いのついた本野裕子は高宮と視線を合わせたまんま包丁を高宮の胸に深く突き刺した。自分の体重をかけて深く深く、深く、高宮の胸に包丁を突き刺した。
小刻みに震える高宮の口からは血が溢れ、目を見開き天を仰ぎ見た時、本野裕子の中で何かが目覚めた。
馬乗りになったまま包丁をしっかり握りしめてゆっくりと高宮の口からあふれ出る血を飲み込んだ。
「甘くてとろとろしてる」
がさりと物音がして振り向けば、そこには息を切らしている藤巻春がそこにいた。
「おまえ……何……してんだよ」
「何って、邪魔者はいなくなったよ。これで私たち幸せになれる」
「嫌な予感がして追いかけてきてみたら……お前……」
目の前の光景を見て藤巻春は声を振るわせながら、口の周りを血だらけにしている本野裕子と殺されてしまった自分の恋人とを交互に見て目に涙を溜めた。
「藤巻くん。私悪くないよ、だって別れないこいつがいけないんだよ」
「何回も言ったよな。迷惑だって言ったよな。お前、こんなことしてただで済むと思ってるなよ。犯罪だぞ! 警察に電話」
震える手で電話を操作する藤巻春を冷たい目で見ると、
「……そう。やっと一緒になれるって思ったのに、私にそんなひどいことするんだ。藤巻君、ひどいよ」
「ひどいのはおまえだ。おかしいだろ」
「おかしくなっちゃったのは藤巻君だよ。私たち、両想いだったよね」
ずずずっと高宮に突き刺さっている包丁を抜くと、胸から血液がとくとくと溢れだした。
それをしばらく眺め、ゆったりとした動作で胸元に蹲るように口をつけ、じゅるじゅるじゅるじゅるとわざと音をたてて血を吸った。
「……くくく狂ってる」
藤巻春の体は震え、うまく力が入らなくなっていた。
時間をかけてゆっくりと立ち上がり、本野裕子は腕で口元を拭う。顔の横、頬にすと赤い線が入った。
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