第180話 風の子園の一夜

 泊まり込みのスタッフが昨晩11時に見回った時、玄関の鍵が開いていた。ただの閉め忘れかと思ったが、万一にも不審者が侵入したなどとあっては一大事だ。外の門の鍵を確かめにいったところ、扉は閉まってはいたもののこちらも鍵が開いている。

 慌てて屋内へ戻り1階の共用スペースの電気を全てつけ、風呂場、トイレ、ごみ捨て場の方まで見回ると、園長に報告に行った。


 不審者が入り込んだのではないか、いや誰かが出て行ったのではないか。

いくら毎日いるスタッフでも、なかなか誰の靴が有る無いの判断は難しい。履き間違えや汚されるのを嫌がって自分の靴を部屋で保管する子供もいるのだ。

 非常勤の男性スタッフ1名と、福島、瑠波、直子。子供たちを起こさないように様子を見に行くことにした。


 誰からでもなく2階――中学生の部屋――から回ろうと言い出した。全員が心の中で、直哉ではありませんようにと祈っていた。孝太郎にあんなことを言われ自分を責めていただけに、出ていく動機は十分だ。

 中学生の部屋には中から閉められるタイプの鍵が設置されているので、各部屋の合鍵を念のため持ち2階へ上がる。男性スタッフと福島は孝太郎と優二の部屋へ。直子は直哉の部屋へ。園長と瑠波は美穂とみどりの部屋へ。

 

 突然のノックの音

「わっびっくしりた!」

 ドア側のスペースにいたみどりが、いきなり叩かれた部屋のドアに驚いた。まだ起きていたようだ。

「あっ、ごめんね、びっくりさせちゃって」

 中から声がしたことにまず安堵する。みどりの方から扉を開けてくれた。

「どうしたんですかこんな遅くに」

 それを聞いて美穂も起きてきた。さむっと体を震わせる。

「ああ、ちょっと見回りに。ごめんね起こしちゃって」

 美穂が首を横に振る。実は眠れなかったという。

「直哉のことですか?」

 引き上げようとした瑠波を引き留めた。

「見回りって、まさかいなくなっちゃったとか?」

 美穂がそれまでのぼんやりした表情を一変させ園長に詰め寄った。

「いやいや、そうじゃないのよ。ちょっと玄関の鍵が開いててね、不審者が入ってきてないか見回りに来たの」

「……そうですか」

 疑っている表情で返される。見透かされているのはわかったがまだそうと決まったわけでない。下手なことは言えない。


 同じようなことは優二のところでも起きていた。ドア側のスペースを使用している優二もウトウトしていたところ、突然のノックに驚いて目を覚ました。そしてドアを開けて2人が立っているのを見て、何か起きたのかと心配した。しかしその間も孝太郎は出てくることもなかったし、福島も大丈夫というのでそのまま別れた。




 廊下に戻る4人。直哉の部屋に入った直子が一番最後に戻ってきた。顔面蒼白だ。

「いません……鍵も開いてました」

 震える手で合鍵を受け取ると、園長はすぐに警察に電話するようにと伝え、まだ周囲にいる可能性もあるから、と自分たちも外へ出てみることにした。

 ひそひそ話す声をみどりはドアに耳をつけ聞いていた。そして直哉がいなくなったことを知ると、美穂に急ぎ伝えた。美穂は顔をクシャっとゆがめて布団をバン、と叩いた。

「なんで!? なんで直哉が出てくのよ! ああもう……全部……孝ちゃんのせいだよ!」


 上着をひっつかんで羽織りながら部屋を出ていく。みどりはどこいくの、と自分もあわてて上着を取って後を追った。

「園長!」

 突然後ろから声がして驚いた。しーっと瑠波が人差し指を口の前に当てたがおかまいなしだ。

「直哉が出てったってほんとですか!!」

 誰も何も言わなかった。居ないのは本当だ。

「あ……トイレかもしれないし今から見に行くところ」

 福島が嘘をついたが、美穂が走って先回りした。トイレも見た、洗面所も見た、台所も見た。どこにもいない。

「なんで! なんで出てくのよ!」

 みどりが美穂をなだめようとしたが孝ちゃんが悪いと叫んだ。そして静止も聞かず走って階段をかけ上がると、優二の部屋のドアをどんどんお構いなく叩いた。

「……はぁい?」

 優二が間抜けな声で開けるのを待てず、ぐいっとドアを引っ張った。

「孝ちゃん!」

 怒鳴りながら部屋に入り込む。何事かと優二はぽかんと見ていた。




 いきなり入ってきた美穂に孝太郎はベッドから起きることもせず布団をかぶっていた。眠れなかったといっていい。

「アンタのせいで出てっちゃったんだよ直哉! どうしてくれんの!? すぐ探しに行ってよ! あんたのせいだよ! わかってんの!?」

 布団からのそり、と出てきた孝太郎の顔を見て、美穂は後ろに引いた。不貞腐れた表情ではない。なんだか顔は青ざめているし、目は赤いし、呼吸は浅く速い。

「何その顔……」

 口調を変えてそっと聞く。先程の勢いは影を潜め、ヒヨコのような弱々しさに様変わりしていた。

「直哉、さっき俺に、『もう行く』って言ったんだ」

 誰もが黙った。次の言葉が出るか待っていた。でも続きはいくら待っても出てこない。

「……んんうう……」

 声を絞り出す美穂。布団の上からバシバシと孝太郎を叩き始めた。周囲がヤメロヤメロと引き離す。

「うああああああーー!」

 孝太郎のベッドのわきにへたり込み、美穂が大声をあげて泣き出した。



 部屋に無理やり戻されていく美穂。悔しくてずっとしくしくと泣いていた。みどりも優二も頭が真っ白になった。本当に出ていくなんて。自分でけりをつける……ならば石田のところへ行ったのでは……?

「もしかして、石田の家に行ったんじゃ」

 優二は伝えておかねば、と思った。

「え? こんな時間に?」

「あいつ、石田が動けない体になったの自分のせいだって……おばさんが呼びに来たし、行くならそこかなって」

 園長は一応警察には伝えると言ってくれた。だが実際動いてくれるかどうかはわからないし、だからと言って自分らが行ったところで、人間が対処できることではないような気がしてもどかしくなった。


 ひとまず全員部屋から出ることを禁じられた。不安なまま布団に潜り込む。暗い中目を閉じると輪をかけて不安が増幅する。



 孝太郎は自分でも不思議で仕方がなかった。契約によって自分の将来は保証されたのなら、もう周りを気にせずムキにならず、やるべきことに集中できるはずではなかったのか。

 突然の怒りに我を忘れた。何に対しての怒り? 真子さんと真一がけがをしたのは彼のせいだと勝手に憤った。冷静に考えれば直哉が工事現場を壊したのでも風を吹かせたのでもないのに。何度考えても何故そこまで思いつめ暴れたのか、正直自分でわからない。


 それになんだか自分じゃないみたいだった。自分の口から確かに放った言葉だし、怒りも覚えているのに、出ていけって俺言ったよな……。我を忘れるってこういうことなのかな……。

 布団の中で急速に発達する恐怖心に怯えきっていた。本当に出て行った……夜中に誰にも言わず。自分が出てけと……お前のせいでみんなが迷惑だなんて言ったから……

 自殺でもする気か、いや自殺はしなくても石田の家に行って二度と戻ってこないのではないか。もしそうなったら、結局は自分が彼を追い詰めたことになってしまう。そうしたら責められるのは自分だ。何で自分が責められなきゃいけないんだ! 自分は被害者、自分は被害者……。


――本当に出ていくなんて思っていなかった。頭に血が上って、イライラしてて咄嗟に言っちゃったことだ。でもみんなそうだろ? 受験を目の前にして騒ぎを起こされて邪魔されたら、誰かのせいにしなきゃやってられないだろ? 理解者は居るはずだ――


俺のせいじゃない!

俺のせいじゃない!

俺のせいじゃない!




 暗い中、誰に宛てたものでもなく言い訳を頭の中で並べていた。ぎゅっと目をつぶって、布団をすっぽりかぶって。どのくらいの時間そうしていたのかもわからない。

 だが時間が経つにつれ風船のように膨らむ恐怖と後悔。耳がわーんと鳴る。手脚は冷たく、心臓の鼓動が強く速くなる。布団の上から得体のしれない大きなモノが覆いかぶさっているような錯覚を覚えた。


――お願い帰ってきて! ごめんなさい! 俺があんなこと願ったから罰が当たったんだ! あんな変なおまじないなんか試したから!

 もう直哉を責めない! 進路だって自分が勉強すればいいだけの話! 直哉が帰ってきてみんな元に戻ってくれればいい!

 だからお願い神様、あいつを無事帰してください!――



 布団にくるまり、必死で泣く声を抑えながら心の中でそう願った。自分の心はちっとも定まらなかった。自己への嫌悪と弁解と肯定があちこちに飛んで、どこに身を置いていいのかわからない。

 そんな中で一貫して願うのは、直哉がひょっこり明日になったら帰ってきていること。いつもみたいに怪我をして、みんなに心配かけながらもなんだかんだここに戻ってくる! そうだ、絶対そうだ!



 とっくに日付は変わっていた。誰しもが眠れない夜を過ごした。

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