第159話 12月3日 禁忌の領域

 直哉もようやく退院だ。激しい運動以外なら普通に生活はして良し。食べることも歩くことに関しても回復も順調。なのに正直気が重かった。

 みんなテスト中なのにまた騒がせてしまう。それと自分が帰ることで、また園の周囲がざわつくのではないか。本当ならテストが終わるまで病院にいたかったが、お金の問題だってある。本当に、風の子園に帰っていいのだろうか。

 でもそこしか行くところはないのだ。どんなに嫌がられても疎まれても、この世界で今1人で生きていく術は身についていない。

 帰ったらなるべく邪魔にならないよう部屋に居よう。そう考えていた。千帆と散歩や買い物に行くことももうできないなと寂しく思った。




 福島の迎えに来た車で帰っていく。今井たちをはじめ、看護師、スタッフがまたメッセージをくれた。読めるようになったと聞いて、ひらがなと簡単な漢字で退院を祝ってくれた。ただそれだけなのにありがたかった。仕事だからかもしれないが、回復を喜んでくれる人がいるなんて。自分にはもったいない。

 カードをそっと包むように手のひらに納め、車の後部座席に乗った。


 家に帰ったのは昼頃。まだ小学生たちも帰宅していない。

 久しぶりの風の子園の玄関。数日しか離れていないのに懐かしい香りがする。やっぱりここが好きだ。ここに帰ってこられて嬉しい。素直にそう思った。

 お昼にしようと直子が言うので、手を洗って食堂へ向かう。すると奥の隅っこで千帆がまた絵を描いていた。が、直哉の松葉杖の音に気が付くと、ぱっと顔を上げてしばらくぽかんとしていた。

 直哉もそれに気づくと、にっこり笑って「ただいま」と声をかけた。するとみるみる口がへの字になりしくしくと泣きべそをかき出した。

 嫌がられているのかと直哉は勘違いしてしまったが、近づくと自分から椅子を降りて足元に飛びついてきた。嬉しかったし、ほっとしたのだ。


 杖を机に立てかけてゆっくりしゃがみ込み、小さくて暖かい体をぎゅっと抱きしめた。うーうー言いながら直哉の肩のあたりに顔をうずめ泣いている千帆。まだ大声をあげて泣くとぶたれたり怒鳴られた記憶が体に染みついているのだろう、我慢するような泣き方だ。

「寂しかったの?」

 うんうんと頷く小さい頭。そうか、と言いながら頭をなでた。直子も園長も、ほっとした様子でその姿を見ていた。


 千帆と並んで昼ご飯を食べていると、中学生組が帰ってきた。今日帰ってくることは知っていたが、いざ姿を見るとみんな一様に喜び、驚いて周りを囲む。

 ただ孝太郎だけは何も言わず睨みつけるようにしてそこを去って行った。美穂は気にするなと言ってくれたが、やはり邪魔者になってしまったことに引け目を感じる。

 小学生組も帰宅すると、興奮してつい騒いでしまう。しーっと直子がたしなめることが何度あったか。

 みんなと一通り話をして、帰宅の歓迎が落ち着いたところで直哉も自分の部屋に戻った。




 椅子に腰かけて背もたれに寄りかかる。久しぶりの自分の部屋。

 カサカサと窓の外で枯れた葉っぱのこすれる音が聞こえる。


 直哉はふと、向こうの世界で保護されてから、保護者であるエナにたびたび教えられた“禁忌の領域の話”を断片的に思い出した。



「死神はもともと、死んだ者から魂を回収する役割を持っていた。もうすぐ死ぬ人間の元に行くのも、その魂を引き取るため。だけどそんな中、魂や生命力を操る能力に長けている者が、本来のところに預けず勝手に使い始めちゃったんだ。

 その能力にはもちろん個体差はあるけど、一族は重宝される存在になって結構栄えたんだ。

 若い体に魂を移せば、外見は変わるけど永遠の若さと、繰り返していけば不老不死にも慣れるわけ。寿命を超えていつまでも権力を握れるなんて夢のようだろ。

 地位が高くて富があって支配する側の奴ほどこの願望が強い。自分が死ぬのを待たずに魂を抜き取って、どっかその辺から捕まえてきた新たな体に生を引き継ぐ。死神の方も新しい術や技を産んで伝えてくことでどんどん進化して、神の定めた終わりと始まりの規律を崩し続けてきてる」



 ……そしてきっと、自分も周りから見ればその死神の1匹。



「生命や寿命の操作に手を出すのはヒトの進化の過程上、ある程度までは見過ごしてやるけど、行き過ぎればストップがかかるもんだ。ヒトなりにいろいろ研究してあれこれやっても、うまくいかなかったり成功しきれてないのは神が止めてるからだ。さすがにいつも見ているだけだが、この領域は禁忌だからな。止めさせるにはどっかで手を出さなきゃいけなくなる」


 まだ今より幼かった自分が質問する。

「……じゃあ、どうして死神は消えないの? ヒトより酷い操作してるんだから神様が消せば一番早いのに」


「あははは。そう見られても仕方ないよなぁ。いいか、神は何もしてない訳じゃない。消える運命になるよう仕向けてはいる。直接現れて魔法を使ったり戦ったりとかはしない。あぁー、しないんじゃなくて出来ないって言った方がいいか。だけど悪魔はもともと我ら天使が基礎だ。人間や他の生き物がもってない能力で、いくらだってその運命から逃げる事なんて簡単だ。だからいまだに生き残ってるんだ」


 再び質問する。

「俺は命の操作をしたから、罰を受ける運命なの?」


 エナはこの時だけすぐに答えを返さなかった。いつだって答えをすべて知っているかのように間髪入れず喋るのに。

「……何言ってる。お前は悔い改めて、今私の元に居るだろ……」

 慈しむような眼が思い出される。姿かたちが毎日のように変化するこの相手。ヒトの形で女性の姿をしているときは、こうしてよく話をしてくれたっけ。




 あの時のエナは自分の質問の答えをはぐらかした気がする。

 多分運命にいつか消されるんだろう。きっと隠そうとしてたんだろうな……。

 事故に逢って死ぬとか? いや、天使が始末しに来るって運命かもしれないしな……。

 ならなんで「死ねない呪い」なんて厄介なもの、エナは俺にかけたんだろう。

 



「直哉」

 真一の声が聞こえて記憶の中から現実世界に戻った。下でお茶でも飲まないか、というお誘いだった。いつのまにかおやつの時間になっていたらしい。今はいいやと断り、再び一人になる。

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