刺客
身代りの子供
第49話 7月2日(1) 家庭訪問(難題)
今にも雨が降りそうな蒸し暑い日。菊本が授業後に補習授業のことを伝えた。特殊クラスの2人は通常の中学生に比べレベルがまだまだ。そのうえ直哉は休みが多い。
数日後に始まる期末テストの出来にかかわらず、夏休みに勉強するための時間を作る必要がある、ということだ。申し訳ないけれどその間部活動がかさなってしまったら、そちらには出られないと伝えられた。
きっと嫌がられるだろうな、と予想していたが、直哉は「どうせ怪我でしばらく運動できないから」と、素直に受け入れてくれた。真一も勉強は楽しいと教師には嬉しい言葉を発してくれた。
担任の黒崎は園にまで出向き、園長らと話をし今後の生徒の対応や直哉に対してのフォローなどを充分行っていく、と頭を下げながら学校の意図を伝えていた。
直子も内心は、学校だってとんだ迷惑をかけられているだろうに、お詫びしかすることができないんだと察していた。
学校が彼に何かしたわけではなく、事件を起こしたのは小学生も含めた生徒同士、しかも自分の勤め先の施設の子供同士、被害者と加害者になってしまったのだ。むしろこちらの方が謝らなければならないのに。
疲れきった表情の黒崎と、この1週間近くの先生たちの苦労を思うとただ「ハイお願いします」と、こちらも定型文しか言葉に出せなくなってしまうのだ。
しかも、黒崎、菊本はもうひとつ、夏休みの始まる前に行かなければならない場所があった。正直そちらの方がもっと気が重かった。
児童相談所の職員2人と合計4人で向かうのが、入学時から登校していないD組の「吉田志保」という女子生徒の家。この親がまた彼女に合わせてくれないし、不在が多いし、いても居留守をつかわれ、あまり常識的でないところがあるのだ。
校長、学年主任、人を変え時間を変え何度も訪れた。市の職員だって訪れた。小学校の時からだ。訪問しても本人には会えたためしがない。所在不明児童が取り沙汰される昨今、これ以上引き延ばせない。何とか夏休みに入るまでに話の場にでも出てもらえないか。
小さな古いアパートは6部屋しかなく、その2階の一番奥の部屋が彼女の家だ。隣は空き家のようで郵便受けはパンパン。子供の声を聞いたことがあるか、と聞くこともできない。
「ごめん下さい。児童相談所です。」
本心は宅配便でも装って無理にでもドアを開けさせたいところだが、そんなことをしたら問題にされてしまう。正直に名乗るしかないのがお役所の辛いところだ。
案の定、ドアは5cmもあかずチェーンも外してもらえない。志保さんのことで、というとすかさず「今寝ているから後にしてくれ」「これから仕事だから時間がない」「本人が学校に行きたくないと言っている」とはぐらかされる。
何度も義務教育の親の責任を説き、面談の申し込みをしてきたが、一向に態度は変わらない。
洗濯物はたまに子供の物が外に出ている事があり、一概に虐待や事件性があるともいえず、毎度毎度顔すら確認できないまま引き下がるしかなかった。
今回も例にもれずその通りだった。学校の連絡先や、特殊クラスが設けられている事、補習の案内だけは押し付けるように渡し、その日は帰ることになった。
「ねえ本当にそろそろまずいんじゃないの? 警察とか呼ばれて家宅捜索なんか来たらどうするの」
訪問客を追い返した後の部屋の中、小声で男女の声がする。作業服姿の男が煙草をくわえながら、女に返す。
「大丈夫だよあと一年なんとかなりゃ義務教育終わるんだから、ギャーギャー言ってくることもねえだろ。それまでほっとけよ。それに家宅捜索なんて、子供に会えないくらいでやられるわけないだろ」
女の方は頭の上で髪を団子にまとめ、化粧気のない顔をしている。毛の生えていない眉をハの字にし、眉間に縦ジワを寄せ不安一杯といった感じだ。
「だけどもうこれ以上難しいんじゃないの? 色々事件になってるじゃん。死んでたとか、遺体が出てきたとか、もう怖いよ。バレる前に何とかしないと、引っ越しとか……」
「そんな金ねえよ、それにここ引き払ったらバレるだろ。業者とか呼ばれてみろ、これ何のシミだって聞かれたら何ていうんだよ」
「う、そっか……」
襖の閉まったままの部屋を横眼で見る。そこには彼らの「娘」がいるのだ。
「とにかく、本人が登校拒否だっていってりゃ学校だって無理に出てこいって言わないって。絶対ばれねぇよ」
再び誰かが訪問してきた。ごめん下さい、とドアを叩いている。呼び鈴は壊れたままなのだ。
「んだよまだ何か用があんのかよ!」
男がイラついたようにドアへ向かう。スコープから覗くとスーツを着たセールスマンのようだが、1人だし今まで見たことない顔だ。チェーンを外さず、また少しドアを開ける。
「どちら様?」
「お困りのようですね。今いらしていた方、児童相談所の方ですよね」
優しい通りの良い声なのに、一瞬で気味の悪さを感じた。一体どこで話を聞かれていたのか。それになんだこの男、目の虹彩が灰色っぽい。外国人か?
訝しんでいる男をよそに、にこやかに
「私、こういうサービスをやっている者です」
と名刺を出してきた。名刺には「杉元」という名字だけの印字と、隅っこに小さく「秘密厳守 全てのご要望お答えします 幸せ家族 ファミリークリエイト」と書いてあった。住所、連絡先などはない。ただそれだけ。
「われわれのやっているサービスの性質上、会社の情報を明かすことができないのです。その代わりそちらのご要望は全て、周りに漏らさずに承ることができます」
男の顔が凍り付いた。この男、何か知っているのか、自分たちのことを……。
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