第38話 6月24日 罠

 7月第2週の月曜日から、期末テストが始まる。昼過ぎたら閉館までみんなで図書館へ勉強しに行こうと、孝太郎が中学生組を誘ってくれた。

 園は暑いしチビギャングの邪魔が入るし、図書館は涼しいからだ。みんな喜んでついて行った。


 正直図書館という場所は直哉も真一も初めてだ。知識の中枢と呼ばれるだけある。厚い本、大きい本、日本語ではない本……こんなに本が沢山あるなんて。いつか読めるようになるだろうか。


 学習スペースへ行くと、4人掛けの席に男女別れて2か所に座った。別の席には見たことのある顔があった。手を振ってきたので振り返す。



 静まり返った空気の中、文字を書く音と紙をめくる音が続く。

 直哉も真一もやっている内容は小学校のドリルだが、ここにいるだけで文字が読めない書けないに関係なく、新しい知識を得ているような気がした。居心地はよかった。

 閉館の5時まで誰も喋らず、たまにトイレやドリンク休憩に行くだけで勉強に没頭していた。


 5時を告げる鐘が鳴り、孝太郎がうーーーんと伸びをした。緊張した空気が一変して解け、私語が始まった。

「よう、きてたんだー」

 優二に話しかけてきたのは玉木という、優二と同じ吹奏楽部の生徒。直哉と同じD組だ。

「どうよ、俺歴史やばい、どうしよう」

「俺数学がダメ、ヤバいってレベルじゃない。真っ白」

 やばいやばいと言いつつ楽しそうな2人を見て、真一も直哉もここで言われている「やばい」は本当の意味で危険な意味ではないんだな、と悟った。やっぱり言葉は難しい。こくごドリルだけではまだまだだ。

 出口で別れそれぞれの家路につく。



 談笑しながら風の子園に帰ると、その雰囲気を壊すピリピリした空気が流れていた。図書館でようやっと安定した精神状態が一転した。

「また今度は何なの?」

 美穂が直子に聞いた。

「また拓がね、帰って来ないのよ」

「またあ? なんなのあいつ」

「さっき電話が来て、先輩と遊んで帰るから夕飯いらないし遅くなるって言ってきたの。そんなのだめだから時間までに帰りなさいって言ったら、無断でだめだっていわれたからちゃんと報告したのにそれでダメなんて、どうして禁止ばかりするんだって逆切れよ」

「また探しに行くの? もう放っておいたら? 警察のお世話でも何でも勝手になれば?」

 みどりも呆れていた。しかし直哉と真一は不安だった。本当に放っておくのかと優二に聞くと

「もういつものことだしあいつ何言っても無駄だよ」

という返事が返ってきた。

「そんな、心配じゃないの? 安西とかあの辺の不良グループと関わってるんでしょ?」

「見てきますよ、あれと一緒じゃ心配だ」

 真一が反論し、直哉は捜索を買って出た。

「えー、またごはん遅くなるのぉ~?」

 ちびっこ団がぐずりはじめた。

「直子さん、先に食べててくださいよ。俺と真一で行ってきますから」

 真一もうんうんと小刻みに首を縦に振る。

「でもあなたたちだけ行かせるわけにいかないわよ」

「大丈夫です。何かあったらすぐ連絡しますから」

 そういうと二人は出て行った。美穂が優二に、直子の携帯電話を借りて後に続くよう促した。

 優二は渋ったが美穂の勢いに負け、2人に追いつこうと急いで出ていった。



「直哉見当ついてるの?」

「またあのコンビニか、時間いっぱいまでゲーセンにいるかもしれない」

 まだ明るい夏の夕方。ヒグラシの声が響く街中を探す。パトカー、救急車のサイレンらしき音が近く聞こえる。

「サイレン近いね、熱中症かなあ」

「こう毎日暑いとぶっ倒れちゃうよなあ」


 2人を後ろから見ていた優二が、なあ、と呼びかけた。

「どうして拓のこと気に掛けるの? 警察にお願いした方がいいんじゃない?」

 直哉が歩みを止めずにちょっと振り返る。

「わかんない。でも自分と似てるところがあるような気がする」

 これは真一も初めて聞いた。そんなふうに思っていたのか。

「似てるって……お前のどこがあいつと一緒なんだよ。まっっったくの逆にしか見えないけどなぁ」

「俺さ、皆から厄介者扱いされてて。その時兄貴だけ傍にいてくれたんだ。拓の場合はあいつらが俺にとっての兄貴みたいな存在なんだろうけど、一緒にいたらロクなことにならないよ。頼るんならもっと別の人だと思う」

 優二は、直哉も相当な過去を抱えていそうだな、と感じてそれ以上聞かなかった。

 

 コンビニの入り口付近まで近づいて背伸びをしたり、中を覗くがそれらしき子供はいない。雑誌コーナーのガラスから覗いても見つからない。

 次にゲームセンターへ向かったがここも空振りだった。

 スポーツクラブ帰りの子供、犬を散歩させる男性、ウォーキングの夫婦らに逆行して、どんどん河原へ向かって行く。公園にもいない。

 ヒグラシの声はいつの間にか消えていた。



「もしかしてもう帰ってるかなあ」

「他行きそうな場所ってどこだろう」

「お友達の家とか」

「さすがにそこまで知らねーわ……」

 優二もお手上げだった。とにかく思いつく場所は探したので、あとは通学路を辿ってみる。すると突然優二の持っていた直子の電話が鳴った。

「あっ、帰ってきたのかも」

 電話に出ると察しの通りで、行き違いで拓のほうが一足先に帰っていた。電話を切ると、優二が心配させんじゃねえと悪態をつく。まあ何事もなくてよかったじゃない、と真一がなだめ急いで戻ると、7時少し回っていた。




「つーか迷惑なんだけど!?」

 今度は拓と孝太郎がもめている。

「おまえな、人が心配してんだよ。迷惑とか何だよその態度」

「ちゃんと連絡したろうが!」

「連絡すりゃいいってもんじゃねえ! こっちの気持ち少しはわかれよ!」

 拓はうっせえと吐き捨て一瞥すると聞く耳もたずで、さっさと部屋に閉じこもってしまった。直子がいくら待ちなさいと言っても聞かない。福島が追いかけてドアの前でさんざん何か言っている。

「もう一緒の部屋やだ……」

 一緒の部屋の4年生の翔馬が嫌がった。あんなでは終始ピリピリして、同じ空間にはいられない。世羅が自分らの部屋に来るかと声をかけ、今晩は避難するようだ。



 拓は自分の部屋にこもると、なぜか1万円札をポケットから取り出してにやりとした。自分の小遣い用の財布にこっそりしまった。

 帰り際になぜか直哉と同じD組の小林が「お小遣い」と言ってくれたのだ。それがどんなものかも知らずに、喜んで受け取った。

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