第29話「10月19日取締役会②」
やはり、そう来たか。最近、奥平の怒りが平野に向きつつあることは感じていた。和久のいつもよりは甲高い声が、取締役会の議場に響く。取締役会に同席している経営企画部、秘書部、法務部等のスタッフ達の動きが凍り付いているのが分かる。いつもは、各取締役の発言を、手元のノートに一言一句を聞き漏らさないようにしている彼らが、動きを止めている。
「当委員会が考える本事案の最も大きな問題は、稟議の回付順序です。東京マンション事業部から、通常であれば不動産部、法務部、財務部等に回付されるはずの稟議は、直接に平野社長に回付され、先に決裁されていました。その後に、不動産部、法務部に回付され、さらに関係役員に回っています。」
近時の社内の雰囲気で、平野に批判の矛先が向くことはある程度想定できていた。しかし、これは想定よりもかなりストレートだ。平野に責任を取らせようとしていることが明白ではないか。
「詳細はお手元の資料をご確認頂きたいのですが、当委員会としては平野社長の責任問題は避けて通れないと考えている次第です。もちろん、当該報告書は中間報告です。まだ当事者全員からの意見聴取は終わっていません。平野社長からもこれからお話を伺う予定です。その中で内容が更に修正されていくことはあるでしょう。しかし、現時点で疑いのない事実のみを積み上げた結果が、この報告書の内容に表れているということです。議長、以上です。」
今まで資料を眺めながら、一切の反応を示さなかった奥平が資料をテーブルに置いた。机の上に置かれていた眼鏡を掛け直す。眼鏡がギラリと光ったように感じたのは平野の感覚でしかないのだろう。
奥平が、口を開く。
「和久さん、ありがとうございました。皆さん。如何ですか。私も、この報告書を初めて拝見しました。驚くような内容ですな。」
嘘だ。平野は心の中で叫ぶ。和久と奥平はツーカーだ。そして、奥平がこの報告書を書かせたことは間違いない。奥平が社内で指示を出し、そのストーリーに沿って社外取締役に問題点が示され、ヒアリングがなされ、そして報告書が作られたのだ。和久はそれを承認したに過ぎない。
「私としては残念でなりませんわ。平野社長が、ここまで暴走していたとはね。私にも責任があるのは間違いありません。私は、今は海外事業の拡大に力を入れ、国内は平野社長に任せていましたからね。しかし、これでは何のためのガバナンスか、コンプライアンスか分かりませんな。」
奥平にこのようなことを言われるのは平野としては心外だ。奥平は今でも会長専権として大型物件の購入等に口を出す。特にハジメが仲介で関わる案件は先に現場にOKしてしまう。奥平が関わる案件は大型のため取締役会決議事項だが、実質的には会長が決めているのだ。
「私は今回の事件があってからずっと考えていました。当社にはガバナンスの改革を行う必要があるようですな。意思決定のプロセスを改革すること、問題が起きた時にきちんと責任の追及をすること、この二つがポイントですわ。この点について、和久先生含めて社外取締役の皆様と今度ご相談させて頂きたいと考えております。」
無表情に近い顔をした奥平がおもむろに平野の方を向いた。
「なあ、平野社長。調査委員会の調査では、今回の詐欺事件の責任は社長にあることは間違いない。わしも同様の認識や。どうや。社長を退任せんか。」
さらっとした物言いだったが、平野からすると後ろから鈍器で殴られたような衝撃だった。退任?クビってことか。
「奥平会長。私が退任とおっしゃいましたか。」
平野の口から出てきた言葉は少なかった。やっと絞り出したといって良い。心の中で様々な思いが渦巻いていたが、あまりにも衝撃が強すぎて言葉が出ないのだ。
「そうや。平野社長。あんたも10年社長をやったんや。そろそろ交代しても良い頃やろ。後進に道を譲ったらどうや。」
(続く)
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