第17話 認めたくないものだな、解説無しの負けというものは

 それでも、相撲を取る時には眼鏡を外す。


 当たり前だ。激しくぶつかり合うのだ。眼鏡をかけたままだと、簡単に割れてしまう。


 コンタクトレンズも、……無理だろうな。


 だが相撲は至近距離でのぶつかり合いだ。多少視力が悪くてもなんとかなるだろう。小さいボールが速く動くのを捉えなければならない球技の方が、そういう意味では難しいはずだ。


 つまり、取り組みをする時は、恵水は裸眼だ。


 さっき、最初に俺がこのプレハブの部室に入ってきた時には、恵水は黒縁眼鏡をかけたまま、四股踏みをやっていた。四股踏みくらいの強烈な衝突の無いトレーニング程度なら、眼鏡をかけたままでもできるだろうか。


 すなわち、今、このタイミングで眼鏡をかけた、ということは、恵水はこの後、続けて相撲を取るつもりは無いということだ。少し休んで、また四股踏みなどの基礎訓練に励むつもりだろう。


 ……ようやく、負けを認める気になった、かな?


 と、俺が思ったのも束の間だった。


「変化、したでしょ。禁止したのに」


 素直に負けを認めていなかったようだ。だが、そう言われることは想定済みだ。だから大きな変化はせず、変化だけで勝負を決しないような相撲内容にしたのだ。


「そうか。恵水は、まだ分かっていないのか。いや、本当は心の中では自分の負けを分かっているけど、認めたくないんだろ。いいさ、そういうことなら、俺が今の一番の内容を、恵水にも分かるように解説してやんよ。」


 俺は腕組みを解いて、右手を真っ直ぐ前に伸ばして恵水の方をびしぃいいっ! と指さした。


「まず、立ち合いの変化についてだが、これはあくまでも、勝負を決するための奇襲としての変化ではない。先に有利な体勢でまわしを取るための軽い変化だ。ついでに言えば、相手のぶつかりをまともに受けずに軸をズラすためでもある」


 大相撲でもよくあることだ。右か左かに少し変化して、上手を取りに行く。……今回の場合、あえて上手ではなく、無理矢理下手を取りに行ったけど。


「今の一番で俺がやった小さい変化は、恵水にとっても勉強になったはずだ。身体が小さく力でも他の力士に劣る恵水は、どうしても相手より先に有利な体勢でまわしを取りたい。それに、相手のぶちかましをまともに食らいたくない。ならば、こういう小さな変化は有効だ。もちろん、相手だって研究して、変化してくることを読んで想定してくるだろう。だけどそうなれば、全力で頭でぶつかって行く、という立ち合いはできなくなる。大柄な力士の立ち合いの突進を防ぐことができれば、それだけでも十分上出来というものだ」


 恵水は反論せずに真剣な表情で聞いている。眼鏡のレンズの奥の瞳が輝いている。


「小さく変化して、普通なら上手を取りに行くところだ。下手よりは上手の方が一般的には有利と言われていることは、当然現実に相撲を取っている恵水なら知っているだろう。だけど今回の俺は、あえて上手を取らず、多少無理な動きになったけど、左手で下手を取りに行った。例えばの話、小さく変化してその流れで上手を取ってそこからすかさず上手出し投げ、という流れで勝っていたら、『変化で勝っているから邪道だ』と文句を付けられていたところだろう。だから俺はあえてそういう勝ち方を避けたんだ」


 やろうと思えば、そういう勝ち方もできた。選択しなかった、というだけだ。


「俺はあえて、もろ差しの体勢になった。当然理由はある。小柄な恵水が大型力士と対戦する場合、大きく変化して相手の横か後ろに食らいついて上手を取る展開になるなら、それはそれでいいが、そうならなかった場合、両方から抱え込まれる確率が高いと思うんだ。そうなると自ずと、恵水の側はもろ差しになる。俺と対戦した最初の一番が、そういう展開になっただろう?」


 リメンバー、一番目の相撲。俺が両上手、恵水がもろ差しで両下手を引く格好になった。がっぷり四つだ。


 もろ差しというのは、相手の懐に入り込む体勢だ。だから一般的に有利と言われることも多い。が、大型力士相手に、両上手を取られてしまうと、小兵力士はもろ差しであってもツライ。身動きが取れなくなってしまう。上から、左右から、前から圧力を受けて、急激に体力を消耗し、力負けしてしまうパターンだ。


「もろ差しになっても、相手に両上手を引かれたらフィフティフィフティ以下だ。つまりファイナルアンサーは、こちらはもろ差しになって、相手には両上手を取らせない。だから真っ正面から当たらず、小さく変化して、横に食らいつくような体勢になったんだ」


「でも私、右手で上手は取ったけど」


「まあ現実問題、特に相手が大型力士で腕のリーチが長い場合なんかは、どちらか片方は上手を取られるパターンが大多数だろうな。問題は、その取られた上手を、有効な上手のままにしちゃダメだ。こちらが腰を振ってまわしを切るか、そうでなければ、俺がやったように、肩ごしの上手という形に持っていって、力を出せないようにする」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る