第17話 わがまま

 東の塔の螺旋階段。食事の乗ったプレートを持ってクローヴィスが上がる。うしろから薔薇を胸ポケットに挿しなおしたカシムもついてくる。


「やっぱりちょっとしんどくなりますねえ、ココ。狭いし、息苦しいし。夜に来たら、俺、死にたくなるかもしれません。あ、さっき俺が作った魚のスープ、まだたくさんあるんでトマスやヤコブにもおすそわけしておきましょう。トマスはともかくとして、ヤコブは嫌がるだろうケド」

「うん。悪くないな。俺の分も残しておいてくれよ」

「当たり前ですよ。あなたが言い出したことなのに」


 カシムは軽やかな声で笑う。


「久しぶりに包丁を握りましたが、案外、骨身に染みついたものは取れないものですね。懐かしい気持ちになりました」


 ただ少しだけ悲しそうにも聞こえる。だが悲しそうな声なのも変な話で、人の機微に疎いクローヴィスは思考を手放した。


「よかったな。俺には本物の料理人に見えた。皇宮の料理人にも負けていなかった」

「宝玉騎士殿はおだて上手ですねえ。人をいい気分にしてくれる。俺はこれでも大衆食堂の跡継ぎだったこともあるんです。当たり前と言えば当たり前です」


 まあ、実家が嫌で家出してしまいましたケド、とカシムは続けた。


「料理上手であることは普段隠しているんです。だってそれじゃあ、女の子にもてないでしょ? 彼女たちは大体、男側に料理を食べさせようとするでしょ? 男の方が料理上手となると、勝手に対抗心を募らせるし、プライドが傷つくみたいで」

「世界のどこかには褒めちぎってくれる女(ひと)はいるだろ。少なくとも皇女殿下はそのようなことを思っていないみたいだ」

「皇女殿下が市井の男女の機微をご存知であるわけないでしょ」


 二人は塔の最上階に辿り着いた。さすがにカシムは体力不足で倒れこみはしない。

 リュドミラ皇女はその日も、埃の舞う円形の空間に、本に囲まれながらベッドに座っている。

 ゆるやかな三つ編みの銀髪は毎日、クローヴィスが櫛けずっているためか、依然として星の輝きを放っていた。最近、その成果を確認してひそかな達成感に浸ることも多い。

 皇女は琥珀色の瞳を動かして、訪問者を捉えた。傍らにあった蝋板を手元に取る。


「夕食を持ってきたぞ。ほら、蝋板をどけろ」


 ひょいと蝋板を持ち上げ、リュドミラの膝の上にプレートを乗せる。

 少女は恨めしげな顔になる。両手を伸ばして蝋板を取ろうとするが、もちろん叶うわけもない。皇女の眉間に皺が寄る。


「怒る前に食べろ。今日はとっておきだ。そこのカシムが存分に腕を振るってくれた。この国でよく食べられている料理だそうだ。かなり旨いぞ。俺が味見するから、あとで食べろ」


 スパイスの効いたスープ、塩漬けキャベツのサラダ、くるみのパンを指さす。

 琥珀色がもの言いたげにしている。その前でクローヴィスは毒見した。


「よし、見ていたな。これで大丈夫だ。では、後からプレートを下げに来るから一人でゆっくりと」


 リュドミラが彼の袖を掴んでいた。首を横に振る。

 彼は蝋板を渡した。

 彼女は鉄筆で書いてみせた。「食べません」。

 まだ湯気の立つスープを彼に押し付けてくる。


「どうしてだ?」


 リュドミラはそっぽを向いた。答えたくないという意思表示だ。


「毒見までしたなら問題ないだろ」


 少女は力強く首を振る。「食べません」と書いた蝋板もバンバン叩く。

 拒否の理由がわからない男は頭をかく。すると、トントン、と背後から肩を叩かれる。

 カシムが「ちょっとお話ししましょう」と親指で外を示す。自分の料理を拒まれたにも関わらず、カシムに残念がる様子はない。

 塔の下まで来ると、カシムは確信したように提案する。


「宝玉騎士殿は、皇女専属料理人になりましょう。それしかありません」

「は?」

「これでよくわかったでしょ。皇女殿下は宝玉騎士殿の作ったものしか食べないんです。毒見するだけではなく、宝玉騎士殿の手で調理することが望まれているんです」


 それがたとえマンネリ気味で、貧相なメニューだったとしても。カシムはにっと笑う。


「かわいいわがままですよ。叶えてさしあげましょう。皇女殿下に出す食事の献立の考案とか、俺ならいろいろ手伝えると思いますよ。これも給料のうちです」

「おう、そうか」

「そうなれば、俺は宝玉騎士殿の料理の師匠になりますね。まさか弟子を抱えることになるとは自分でも意外です。……敬語をやめても?」

「勝手にしてくれ。俺は何だって構わん」


 現にヤコブあたりはいつだって自由じゃないか。


「俺のことは『師匠』と呼んでください」

「いいぞ、師匠」


 すると、カシムはすぐさま苦々しい顔になって頭を抱えた。


「やめます。家出前の親父を思い出した。今まで通りでお願いします」


 一日三食。熱い握手を交わした二人はリュドミラの料理班を結成することになった。それにより、リュドミラに出される料理の質や種類は大幅に向上する。

 要は、カシムは案外有能な男だったということだ。武力以外の方面で。

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