第13話 ほーこくしょと小さな齟齬
『ほーこくしょ。
たいちょーさま、いいつけどおり、皇女殿下にお会いしてきたよん。リュドミラさま。はじめて間近でみたけれど、将来、美人になるのがよくわかるたぐいまれな美少女ぶりをみせつけてくれたわ。やだ、嫉妬しちゃう。えへ。
……あれ。もしかしてめんくらってる? 「あたし」はこういうキャラじゃないって? いーのいーの。カモ?……カモフラージュってやつよ。ほらあたしのやっていることってスパイみたいじゃない? だからそれっぽくしてみよーって、女言葉。おばかさんみたいで案外、たのしーわよ。たいちょーもそのうち真っ赤な口紅でも塗ってみれば新たな扉が開くかもしれないわ。同好の士! すばらしい!
じゃ、さっそくほーこくね。あたしたち三人はクローヴィス・ラトキンの配下に入りました。あの方の口添えということでしたが、ご本人はいらっしゃっていませんでしたよー。単なるぐーぜんでこのような次第になったのかもしれませんね。あ、勝手な推測するなって? そこらへんはテキトーに読み飛ばしてちょーだい。
結果的にいうと、クローヴィスという人は悪い人じゃなかったわよ。強そうな見た目なのに、とぼけた発言も多くて、人をいらっとさせる天才であること以外は。やっていることは案外イイわよ。
東の塔に登る時は、トマスを横抱きにしていたもの。きゃ、とときめいちゃったわね、あれは。赤い薔薇の花びらがふりそそぐようだったわよ。
いかにもつっかかりそうなヤコブにも切れて飛び掛かることもなかったし、カシムの女好きにも呆れかえっていたし、まともな神経を持っているんじゃないかしら。
あと、すごーく、皇女殿下に優しい。威圧感のあるこわーい体なのに、手つきはすごーく、繊細なのよ。
何のって?
皇女殿下の髪を櫛で梳かしている手つきが、ね。
経緯はなんやかやで省略するけれど(するなって? でもほーこくしょの文量って限られているでしょ)、要は皇女殿下の髪がほどけかけていたのを直してあげてたの。
皇女殿下は、慣れていなさそうにもぞもぞ。
こちらに気付いてはぷいと視線をそらしてしまい。
皇宮の奥深くでつんけんしているという皇族へのイメージが思いがけず崩れていったわ。
『化け物』と呼ばれている第三皇女も、かわいいところのある人間なんだなって。
ほかの皇女殿下に仕えるよりは幸運ではないかしら?
あたし、リュドミラ皇女とクローヴィス・ラトキンの組み合わせが好きだわ。接しているのをみると、不器用な熊さんと可憐なお姫様がおとぎ話をなぞっているようでほっこりしてしまうの。この二人の間には、幸福の白い羽根がふわりふわりと優しく積み重なっていくのかな? ふふ、こんなことを書いたら役目を下ろされちゃうかしら。そんなことをしないでね、愛するたいちょーさま。
役割は忘れていないわ。これからも観察していくつもり。
近いうち、クローヴィス・ラトキンの剣の腕を測ることになります。お楽しみに。
あたしはあの三人組の中で息を潜めているから、また何かあれば指令ちょーだい。
あなたの愛するスパイより。
追伸。《動き》が活発化しています。たいちょーさまも早く立場と覚悟をお決めあそばせ!』
クローヴィスが、髪を梳かしてやろうと言った。
後れ毛が出ている、少し不格好だから直した方がいい。
それは仕方のないことだと思うのだ。まがりなりにも侍女をしていたキャロラインが滅多に塔に近寄らなくなったから、身だしなみは自分で整えなくてはならない。
髪は、自分で梳かした。自分で鏡を見ながら結わえた。
あまり慣れていないからどうしようもないじゃないか。
言いたくても、言えない。
口を利けないことになっているから、腕を突っ張って抵抗した。
「大丈夫だ、俺は慣れてる」
どうして慣れているの! 誰の髪をいじっていたの!
それを口に出すことはできない。なぜならまだ新しく塔を守るという三人組が同じ部屋にいるから。
ばたばたと動く手を押さえつけ、クローヴィスが胸元から柘植の櫛を取り出した。
髪紐がするりとほどけ、たっぷりとした銀色の髪が背中にこぼれおちる。
「きれいな髪だなあ」
感心するような言葉に、リュドミラの頬は火を噴くようだ。
お世辞だ、お世辞に決まってる。クローヴィスはきっと何にも考えていない、そうに違いない。
彼はリュドミラの背後のベッドに片足を乗せ、後ろから髪をするすると梳かしていく。
リュドミラはじっと我慢する。
「うちの母親はものすごい剛毛の癖毛で、手入れをしなければ鳥の巣になるような人だったんだ。それなのに本人はまったく気にしないで、毎日鳥の巣のまま顔を洗い、食事を作り、戦場に出た。息子としては『お前の母ちゃんはきれいだな』と言われたかったんだよな」
彼は懐かしむような声音でシュッシュ、と髪の束をすばやく作っている。
タコと傷がたくさんついた大きな手が驚くほど細やかな手つきでリュドミラの三つ編みを作っているのが、不思議でならなかった。
少々ずぼらだったらしい母親と、見かねた息子。母親の髪を結う少年。
そんな情景が思い浮かび、彼女は羨望を覚えた。
彼女には、母親と触れ合った優しい思い出が何一つなかったから。
「よし、できたぞ」
ぽんと背中を叩かれて、クローヴィスの体がベッドから離れる。
触れた三つ編みは、彼女がするよりもはるかに整っていた。
『ありがとう』。
リュドミラは蝋板に鉄筆で書き込もうとした。
すると彼が釈然としない顔で部屋を見渡した。
「もうしゃべってもいいだろ。さっきから誰もいないのだから」
「えっ……」
三人組が退室したことにも気づかなかった。
人の気配に人一倍敏感な自分が。
リュドミラはそのことに愕然とした。
そんな様子を尻目に、彼はのほほんと言う。
「今日の夕食は何がいい?」
「い……」
「い?」
「いらない……。そんなことよりも早く前進しなくちゃ。いつまたザーリーが事を起こすかわからないもの。あの三人組を部下につけるよりも早く、情報を集めなくちゃ……」
ベッドの上からクローヴィスを見上げた。
彼はかみ砕くように、短く、「焦るな。順序を間違えるな」と告げた。
「自己犠牲よりも自己保全を優先させるのが俺のモットーだ。人を助けるには、まず自分の足元を固めないでどうする」
「……正論ね。でもわたしは、自分の命よりもお父様の治世の平穏を求めるわ。母様だってそれを望んでいる。ザーリーという悪を排除し、皇国の安寧を」
すると。パチン。
高い音が響いた。
何が起こったのだろう。右頬を反射的に押さえた。
「その心持ちでずっといるならいずれすぐに契約違反になるな」
彼は怒っていない。ただ、感情を押し込めた仮面をかぶり、心の奥底を微塵も見せなかった。それが二人の間に透明な壁を作ったようで、「なぜ」「どうして」と言い募りたくなる。
けれど、彼女はけして馬鹿ではなかったから、自分がクローヴィスの心のやわらかな部分に傷をつけたことは理解した。
――私は、彼への返答を間違えた。
急に自分がちっぽけに思えて、俯いた。
「それだけ、私は無謀な願いを持っているの。本気だからこそ、全部を賭けなければ……勝てない」
声が勝手に震える。目の前がぼやけて熱くなって……唇を強く噛みしめる。
その時。開け放たれた窓から爽やかな風が、彼女の頬を撫でた。身の内にくすぶる熱を冷やし、鎮めるように。
視線を上げれば、誰もいない。クローヴィスは少女に呆れて塔から出ていってしまった。
あれ、でもあの窓は、さっきまで開いていなかったような……?
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