八. 出会いと別れ②

王座の前に丸顔の少年が両手を鎖に繋がれて転がされていた。

彼の傍には金の装飾の施された大きな箱が大きく口を開けていたが、中には何もなかった。

彼の麻のシャツは大きく擦れていて繊維がほつれ、ところどころに汚れもついていた。


王は金のブローチで止めた赤いマントを翻して立ち上がった。

癖の強い黒髪が揺れる。

神経質そうな眼が足元の少年に向けられた。

うつ伏せになった彼は必死に身体を引きずり、ソーセージの乗った皿に顔を近づけようとしていた。


「ぼ、僕のママならこんなことしないぞ! パ、パパに……い、言いつけてやる!」


王は身を捩る少年の眼前でソーセージを踏み潰した。


「貴様の言う「正当な王位継承者」はこいつか、ドレークよ?」


ドレークは両手を後ろで縛られて両脇の傭兵に腕を掴まれていた。


「左様でございます、フォルクトレ様。現に彼は箱を開けることができましたし……あの、そろそろこの縄を解いて頂けますか?」


「ふん、調子者が……黙れ」


王は鼻を鳴らすと熊のように、うろうろと台座の前を歩き始めた。


「中は空だった」


「今は時期が早いのかもしれませぬ。彼が成長すれば恐らく……」


「さて、どうだかな。お前の話は信用ならぬわ」


その時、外が騒がしくなったかと思うと扉が大きく開け放たれた。

王はドカドカと入ってきた傭兵たちに目を向けた。


「何だ?」


赤ら顔の傭兵が仰々しく前に進み出た。


「我々のカナリアが籠から抜け出したものですから」


フォルクトレは傭兵に羽交い締めにされたケイナに近づき、彼女の細い顎を掴んだ。


「ほう。では、2度と逃げぬよう羽を折らねば……いや、脚か?」


フォルクトレがちらりと後ろに居るドレークを見ると、彼は悔しそうに歯を食いしばっていた。

その反応に満足げに頷く。


「それは?」


顎でしゃくる。

傭兵の肩の上で1人の少年がもがいていた。


「侵入者のクソガキです」


王はドレークの顔に一瞬浮かんだ表情を見逃さなかった。


「……こいつか」


傭兵が上目遣いに片手で丸を作り、口元に軽く持っていく真似をしたので、王はおざなりに手を振った。


「下がれ。酒飲みめ……」


大仰にお辞儀をしてみせた傭兵たちは互いに肩を組んで去っていった。

マントを翻し、王は今しがた連れて来られた少年の前に屈むと、くしゃくしゃの黒髪を掴んだ。


「ドレーク。貴様、嘘をついたな?」


ドレークは何も答えずに目線を逸らした。


「はっ! あくまでも沈黙を通すつもりか……」


フォルクトレは鼻で笑うと、ドレークの両端の傭兵に命じた。


「やれ」


鈍い音がしたかと思うと、ドレークが呻いて地面に転がった。


「じじぃ!」


思わず声を上げるニコラスに王は薄い唇の端を持ち上げた。


「ほう……これを知っているのか。ならばこの豚に、もう用はない」


王はソーセージの残骸の乗った皿を少年の顔に蹴りつけた。

皿が割れて少年の額を血が伝った。


「う、うわぁぁぁぁ! い、痛いよぉ!」


身を捩る少年を見る王の目は冷たかった。


「やめろ!」


ニコラスが叫んだが、王はちらりとこちらを見やると少年の背中に足を乗せて靴底を擦りつけた。


「やめろ! そいつは関係ねぇだろ?!」


「ニコラス様……」


微かに自分の名を呼ぶ声に、ニコラスは傭兵たちを突き飛ばすと床に転がるドレークを助け起こした。


「おい! じじぃ! しっかりしろ!」


彼はゆるゆるとニコラスを見上げると唇を動かした。


「ニコラス様……あなた様を城に連れてくること……これがケイナ、私の孫を解放する唯一の条件でした……ですが、私は……あなた様には生きていて頂きたかった……あなた様を城から遠ざければ、ケイナも……あなた様も守れると思ったのです……」


「だから、あいつが捕まっても放っておけって言ったのか……」


ニコラスは顔から血を流して痛がる少年を見やった。

ドレークは苦しそうに息を吐くと続けた。


「えぇ……愚かでした……傭兵たちは鍵を持っていたあの少年をあなた様と勘違いしていました……ですから……」


「それで俺を欺けるとでも思ったのか、ドレーク?!」


王の声に振り向くとケイナの首元に剣が突きつけられていた。


「やめてくれ! 殺すならわしを! わしを殺せ!」


ドレークが叫んだが、王は肩を震わせた。


「はははははっ! 貴様は最後だ! そこで全てを見ているが良い……ん?」


王は自分に突きつけられた剣に気づくと、ケイナを放り捨てた。


「俺に勝負を挑むのか?」


「ニコラス様! なりませぬ!」


ドレークが制するのも構わず、ニコラスは剣を構えた。


「ケイナ! お前はじじぃとあいつを連れて逃げろ!」


床に投げ出されていたケイナは目を見開いた。


「でも……!」


「良いから行くんだ! 早く!」


彼女は頷くと、泣き喚く少年の所へ走っていった。


「させるか! 捕らえろ!」


王が入り口に控えていた傭兵たちに命じ、ケイナたちはあっという間に傭兵たちに囲まれてしまった。


「ニコラス様! お逃げください! フォルクトレはあなた様を殺す気ですぞ?!」


ニコラスはドレークの言葉に耳を疑った。

王の証を手に入れられるのは自分のはずだ。

ならば、箱を開けるまで殺さないはずでは……?

その気持ちを読んだかのように王は高笑いした。


「元々鍵さえあれば良かったのだ! これさえあれば、俺が適当な物を見繕って王の証として示せる。王座に就く者以外、誰もどんな形をしているのか知らないからなぁ!」


「じゃぁ、俺を生かしたままここへ呼んだのは?」


「お前を殺し、俺が未来永劫王座につけるようにする為だ。だが、ドレークには、お前が居なきゃ王の証を手に入れられないと嘘をついた。こいつが本当のことを知ったのは城に帰ってきた時だったよ。はははっ……! あの時の表情と言ったら見物だったなぁ!」


ドレークの顔が苦しそうに歪んだ。

フォルクトレの話を信じていたからこそ、王を出し抜くことができると思った。

その為に関係のない少年まで巻き込んだのだ。


しかし、実はそれが全て王の手中で転がされていたのだと知ったら……


「どいつもこいつも揃って馬鹿だ! 俺の話に踊らされて!」


「黙れ!」


ニコラスは剣を王に向けたまま叫んだ。


「じじぃ! まだ諦めんな! 俺がこいつを止めてやる!」


***


スラウは片膝をついて汗を拭った。

横にいるフォセもライオネルも息が荒い。


「もう根を上げますか?」


震える膝を叱るように叩き、立ち上がる。

何故ここにいる?


「呪術師……!」


スラウの声に目の前の人物が細く笑った。


数分前――

エルドラフ・ロイナードとカトリーヌ・ロイナード契約を交わした直後に倒したはずの男が現れた。


「あなた方の術、確かに効きましたよ……ですが、それでは私を倒せない」


呪術師は檻の中に立ちすくむ元国王に目を向けた。


「ニコラス・ロイナードがここに辿り着いた今、彼をあなたたちと引き合わせることは危険です。ここで死んでもらいましょう」


男が指を鳴らしたと途端、地下通路に轟音が響いた。


「エラ! 何をした?!」


格子を掴んだエルドラフが叫ぶと、男は楽しそうに嗤った。


「何、地下道の天井に穴を開けただけですよ。ここは城の中の最深部。毒を含む堀の水がここへ流れ込んでくるでしょう……」


「まさかここの水を汚したのか?! ここは国中だけでなく隣国の川の源流でもあるんだぞ?! 人々の生活まで巻き込むつもりか?!」


「おや、ご自分の心配より民の心配ですか……これだから、あなたのような人は嫌いなんだ。近頃、隣国の連中も言うことを聞かなくてね。少々手を焼いていたんですよ。だが、我々は毒素を抜く「精霊の石」をたんまり持っている。交渉手段としてこれ以上のものはないでしょう」


「この外道が!」


格子に掴みかかるエルドラフを一瞥した男は愉しそうに続けた。


「ふはははははっ! 今にも悲鳴が聞こえてきそうだ……」


「今すぐ水を止めろ! お前たちの狙いは私だろう、エラ?! 王位を奪い、更に何を望むんだ?!」


「世界の覇権」


「は……?」


「とでも言うと思いましたか? ははははっ! 私は正直この国の王が誰でも構わないんですよ。愉しいことが大好きでねぇ。混沌や崩壊、唆られる……」


恍惚とした表情で天井を仰いだ男はこちらに背を向けた。


「止められるものなら止めてみなさい。格子の中じゃ何もできないでしょうが……」


言いかけた彼は動きを止めた。

背中に剣が突きつけられている。


「おや?」


「その為に私たちがいる」


剣を突きつけるスラウに男は両手を挙げてみせた。


「いいですよ、別に。でも、どうするんです? 私を捕まえたところで水は止まりませんが?」


「止める! それがあたしたちの仕事なんだから!」


「おや、抜け駆けはよくありませんよ」


男が走り出したフォセの後ろ姿に指を突き出した。

その瞬間、彼の指に薔薇の蔓が巻きついて動きを封じた。

青白い指に赤い血が伝う。


「悪いが」


ライオネルが指を組んで戸口に立ち塞がっていた。


「お前の相手は俺たちだ」


男はその言葉に笑みを浮かべた。


「もう忘れたのですか? さっきみたいな不思議な術を使ったところで私には効かないと……」


『浄化!』


スラウの声と共に彼の身体を金色の光が貫いた。


「ぎゃぁぁぁっ!」


男が身体を仰け反らせて叫び、部屋が白い光に包まれた。

シュウシュウと白い煙を上げる男からスラウは1歩下がって様子を見た。


「やったのか……?」


「まだだ!」


エルドラフが恐る恐る鉄格子に近づいた時、ライオネルが叫んだ。

男が頭をがたがたと震わせながら立ち上がったのだ。


「痺れますねぇ……ふふふふ……」


奇妙な笑い声を上げながら、彼は自分の髪を1本引き抜いた。


「では、こちらのターンですね……」


手の中で髪がみるみる内に大きく固くなり、1本の槍になった。

鈍く風を切る音を立てながら襲ってきた槍をスラウの剣が受け止めた。


「させませんよ!」


男は矢をつがえていたライオネルに向かって、その槍を投げつけた。

槍は空中で波打つと先端が2つに分かれ、地面に落ちると床でとぐろを巻いた。


「蛇!?」


2匹の黒い蛇は赤い舌を出して首をもたげた。

ライオネルは躱しざまに短剣で蛇の首を切り落とした。


「ライオネル!」


スラウの声に顔を上げると、黒い槍が彼に向かってきていた。

間一髪のところで避けると槍は後ろの壁に深く突き刺さった。


「今度は変形しなかったか……」


その隙をついて男が指を鳴らした。

再び地下通路が揺れ、さっきよりも大きな音が響いた。


「こっちの方がスリルあるでしょう? 穴を増やしてみました♡」


「何てことを……!」


カトリーヌが息を呑んだ。


「ライオネル! ここは良いからフォセを助けて!」


スラウの声にライオネルは戸口から走り出ていった。


「私を止める策でもあるのですか? ああ、そうそう。因みに良いことをお教えしましょう……私が無敵だということをね」


男が再び槍を作ったので、スラウは思わず身構えたが、彼はそれを自分の左胸に躊躇なく刺した。


「何を?!」


「ふむ……」


男はものともせずに左胸に刺さった漆黒の槍を引き抜いて放った。

カラン――

軽い音がして槍が床に落ちた。

目を見開くスラウに彼は愉しそうに笑い声を上げた。


「ふふふ……だから言ったんですよ、私は無敵だとね……」


挑発するような言葉にスラウは歯をくいしばった。

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