七. 城へ ②

2人の守衛が槍を手に立っていた。

閉ざされた門の向こうは城に続く橋が架かっている。

かつては、いつでも民衆が王に会えるように、と開かれていた門も、王の命令がない限り開けてはいけないことになっていた。


「今夜、この門を通る人っているんすか?」


「いや……今日は王子を連れて帰ってきた傭兵以外は居ないはずだ。どうした?」


「そろそろ水の配達じゃないかと思って。水をエラ様の所に持って行くと術で酒に変えてくれるんすよね?」


若い守衛は指で輪を作って口元に持っていった。

もう1人は小さく笑うと頷いた。


「配達は明日の朝だ。お前は最近入ったから知らねぇだろうな。酒と代えてもらったところで、いつも呑んだくれているヤツらに奪われるのがオチよ」


「まじすか……」


守衛が恨めしそうに城を見上げた時、風が吹き荒れ、門の傍にあった松明の火を吹き消した。

だが、しばらくすると燻っていた火が再び燃え盛り始めた。


「それにしてもこの松明、凄いっすよね。放っておいても独りでに火が付く」


「これもエラ様の呪術のおかげだ」


また風が吹いた。

今度はさっきよりも強い風で、2人ともひっくり返らないように足を踏ん張らなければならなかった。

門がギシギシと音を立て、留め具がガチャガチャと音を立てた。


「……つーか、ホント城の中の勤務が羨ましいっすよね」


「何が?」


「だって、ぬくぬくと温まって酒飲み放題だし、大事なイベントに参加できるんすよ?」


「王の証を拝見できるって話の? あんなの、どこが良いんだ?」


「いや、俺の興味があるのはその後っすよ。何かその王子、血祭りにされるらしいじゃないっすか」


若い守衛はそう言うと唇を舐めた。


「俺……喧嘩は好きなんで」


「ふん、俺だって地元じゃそこそこ強かったんだよ」


下町での武勇伝に花を咲かせている守衛たちは門の上の4つの人影に気が付かなかった。


ニコラスは一生懸命目を擦った。

砂が目に入って痛い。

口や鼻は布で覆っていたからスラウやライオネルのように咳き込むことはなかった。

2人とも口元を懸命に押さえて、声が聞かれないように苦心している。


「ちょっとぉ! いつまで咳き込んでいるつもり?!」


「フォセ……いつも思うんだが……もう少し丁寧に……」


「それができたら苦労しないんだから! それに、今回は門を壊さずにちゃんと4人を運べたんだから、進歩したと思ってよね!」


フォセが得意げに言った途端、屋根の一部が大きな音を立てて崩れた。


「おい! 下敷きになったぞ! 気、失ってんじゃねぇか! バレないように屋根に上った意味あんの?!」


ニコラスが慌てて振り返るとフォセは下手くそな口笛を吹いた。

その横でスラウがふらふらと立ち上がった。


「つ、次に行こうか……」


「どうしたんだ?」


「あたしの風に酔うらしいの。せっかく運んであげているのに、酔うとか失礼でしょっ!」


青ざめて具合の悪そうなスラウと不機嫌なフォセ。

そんな場合じゃないのに、ニコラスは思わず吹き出してしまった。


「こっちだ」


ライオネルがニコラスの袖を引いた。

軒下から蔓がぶら下がっている。


「ここから先は毒が充満している。急げ」


ニコラスが伝っている間にも蔓はしなびていき、しまいにはボロボロになってしまった。

尻もちをついたニコラスに続いて、3人が傍に降り立った。


「さて、ここが1つ目の難所だね」


剣を引き抜くスラウにニコラスは首を傾げた。


「何もないじゃん。守衛は気絶しているし」


「そうでもない。この橋は仕掛けだらけだ。例えばここ」


ライオネルは橋の手すりの飾りを指差した。


「こいつは僅かな熱を感知すれば、火を噴き出す。そうと知らずに前を通ればあっという間に黒焦げになるぞ。万が一、火を避けられたとしても仕掛けがひとつでも発動してしまえば呪術師はこちらの存在に気がつくだろう」


「全部を見抜くのが1番良いけど、さすがに無理だよね……」


考え込むスラウにニコラスは目を輝かせた。


「それって鍵さえあれば解決するか?!」


「え?」


「この鍵で仕掛けを発動させないようにしているんじゃねぇかな? 鍵を誰かが身につけていると、盗まれる危険性もあるし、そもそも普通の人はここにあることさえ知らないと思う」


ニコラスの指差した塀には鍵がぶら下がっていた。


「確かに! それじゃ、これが鍵穴ってこと?」


フォセが足元のブロックに開いた小さな穴をぽこぽこと叩いた。


「やってみよう」


ニコラスはそう言うと屈みこんで鍵穴にさした。

――カチリ。

音がしたかと思うと石橋が轟音を立てながら震え始めた。


「危ない!」


スラウが叫んでニコラスの腕を掴んだ瞬間、足元が大きく崩れた。

辛うじて残った支柱にどうにか降りたったスラウは落ちないようにニコラスをしっかりと抱えた。

瓦礫は水に触れた途端、熱湯に入れられた氷のように溶けていった。


「伏せろ!」


ライオネルの声にスラウが慌ててニコラスの頭を掴んでしゃがませた。

細い矢が彼らの頭上を掠めていった。


「やれやれ……手荒なことをなさる」


すぐ後ろでした声に振り返ると男が宙に浮いていた。

肩まで伸ばした黒髪に細くて黒い瞳。

袖の広がった肌色のローブを纏っている。

男は細く血管の浮き出た青白い手で髪を掻き上げた。


「こんな夜に何の御用か、と思いましたが……」


感情のない目がニコラスを射抜いた。


「……聞くまでもないようですね、ニコラス王子」


「お前が!」


ニコラスは叫ぶと、スラウの腕を潜り抜けて剣を引き抜いた。


「お前が父さんと母さんを殺そうとしてるんだろ!」


「殺そうとしている? そんなバカな。ご両親は元気に……」


「俺は知っているんだぞ! 現国王フォルクトレが「王の証」の為に俺を探し出そうとしたことも、村の人たちを苦しめていることも全部!」


「ふむ。確かにいろいろご存じのようで……さてはドレークから聞いたのですね? あんなの、老人の戯れ言ですよ」


男の笑みが消えた。


「……そのくだらない口が動くのも、もっても夜明けまででしょうが」


「え?」


思考が一瞬止まった隙に男は距離を詰めて襲いかかってきた。


「あなたは色々知りすぎた。ここで消えてもらいますよっ!」


――ガキンッ。

ニコラスの目の前でスラウの剣が男の剣を受け止めていた。

剣を弾き返したスラウは支柱を蹴って勢いよく飛び出した。

空中で2人がぶつかり合う。

男が上から彼女の剣を押さえつけた。


「さて……これで終わりですよ」


男の骨ばった指が彼女の額に押し当てられた瞬間、スラウは飛沫を上げて水に突っ込んでいった。


「スラウゥゥッ!」


ニコラスが叫んだ背後で、いつのまにか男が剣を構えていた。


「さぁ、次はあなたの番ですよ……」


思わず腕で顔を庇った瞬間、男の身体が吹き飛ばされ、城壁に打ち付けられた。

思わず振り返るとフォセが拳を突き出していて、その隣の支柱に立つライオネルの腕から伸びる太い枝が水面ギリギリのところでスラウを受け止めていた。


「ハァッハァッ……ありがとう」


支柱の上によじ登ったスラウは荒い息を整えた。


「今すぐ水の汚染をやめなさい!」


フォセが壁にめり込んだままの呪術師に叫んだ。


「次はその程度じゃ済まないんだから!」


「威勢のいいお嬢さんだ……だが」


小さく嗤うと男は迷わず堀の中へ飛び込んだ。


「状況をよく考えたら如何です?」


不意にニコラスが胸を押さえてしゃがみこんだ。


「ニコラス!」


思わず叫ぶスラウの耳に男の声が刺さる。


「子どもには回るのが早いでしょうね、この毒……」


スラウがニコラスのいる支柱に飛び移ろうとすると、水柱が上がり、そこから黒い巨大な怪物が現れた。

鋭く尖った歯を持つカエルが彼女を見下ろしている。

シュウシュウと音を立てながら全身を伝う水は思わず鼻をつまみたくなるような悪臭を発していた。


「それ以上近づくな! 全身が毒でできてる!」


ライオネルの声にスラウは歯を食いしばった。


「でも、ニコラスを助けないと!」


「俺に任せろ!」


弓矢を握って飛び上がる彼を追うように水面から顔だけ出しているカエルが長い舌を伸ばした。

ライオネルは宙で矢をつがえ、怪物に向かって放った。


『棘矢!』


矢は宙で無数に分かれ、バラの棘のような鋭い矢が舌に突き刺さった。

カエルは叫び声を上げると慌てて舌を引っ込めた。

ライオネルはもんどりうつ怪物を飛び越え、ニコラスのしゃがみこんでいる支柱へ降り立った。

ニコラスを抱え上げた彼に大きくうねる水が襲いかかった。

ライオネルは空いている手で素早く印を結んだ。


『我に宿りし木の力よ。根を張り枝を広げ、我らを守る盾となれ!』


支柱から大樹が伸びてきて波を受け止めたが、水に当たった部分があっという間に腐敗してしまった。


「くっ……!」


水がライオネルの肩を掠めた。

肩が焼けるように熱くなり、見るとローブが溶けて下に着ていたシャツにも穴が空いていた。


「コラァッ、化けガエル! ライに手出してんじゃないわよ! あたしが相手よ!」


フォセは叫ぶと、水飛沫を上げながら逃げる化物に狙いを定めた。

重ね合わせた手の間に小さな風の渦が巻き起こっている。


『風鎌!』


その瞬間、風の渦が鎌のように曲がって怪物に襲い掛かった。

だが、カエルは矢継ぎ早に放たれる風の渦を器用に躱してしまった。


「大きいくせに当たらないなんてっ!」


フォセが追い打ちをかけるように放っていると、ようやく1つが怪物の右腹部を斬り裂いた。


「きゃっ!」


噴き出した暗褐色の粘液に思わず顔を覆うフォセの前に金色に光る壁が現れた。

粘液はねっとりと壁を伝い落ちていった。

フォセが後ろを振り返るとスラウが掲げていた片腕を下ろしたところだった。


「スラウ! ありがと!」


「また来るぞ!」


ライオネルの声と共に水掻きのついた怪物の手が迫ってきた。


『風斧!』


フォセが叫ぶと、さっきよりも大きな風の渦が怪物に向かって飛んでいったが、怪物は大きく飛び上がってそれを躱してしまった。


「全然当たんない! どうしよう?!」


「あのカエルさ、さっきの呪術師が姿を変えたものなんだよね? なら……狙うべきは左の腕の付け根だよ」


「スラウ、何で分かるの?」


「うーん……上手く言えないんだけど、左腕の動きが不自然に遅い気がする。さっき身体をぶつけた時に無意識のうちに左腕で庇っていたのかもしれない」


「……スラウも相手の弱点が分かるの、あの人みたいに?」


フォセが掠れた声で呟いたのでスラウは首を傾げた。


「あの人?」


だが、ライオネルはそれには答えず、怪物を睨んだ。


「今はあれを倒すことを考えよう、フォセ」


「う、うん! そうだよね。あたしが風を起こして化けガエルの動きを封じるからスラウは腕の方をお願い!」


「分かった!」


スラウが飛び上がった瞬間、化物は深く潜って波を作った。

波はニコラスを介抱するライオネルに襲いかかった。


「フォセ!」


咄嗟にライオネルがニコラスをフォセへ放り、彼女はニコラスの腕を掴んで空へ舞い上がった。

次の瞬間、波が叩きつけられ、ライオネルのいた岩場が崩れた。


「ライィッ!」


フォセの声にニコラスはゆるゆると目を開けた。

水のかかった岩壁から紫色の蒸気が立ち上っている。

ニコラスは思わず声を上げた。


「見て! 無事だ!」


崩れかけた石段の1箇所が緑色のツタに覆われている。

片手で掴まるライオネルを覆うように広がっていた葉はみるみるうちに茶色くなり、散っていった。

安堵の息を吐く間もなく、水面から怪物が顔を出した。


「ライ!」


フォセが叫んだ瞬間、怪物は自分に向かってくるスラウに気がついた。

そして、巨大な手を水面に叩きつけて水面に圧をかけた。

水面は高く盛り上がり、大きくうなりながらスラウに向かっていった。


『我に宿りし光の力よ……』


言い切らない内にスラウが水に呑み込まれた。


「スラウゥッ!」


フォセの叫び声が響いた。

ニコラスは周りを吹いている風に負けないように声を張り上げた。


「フォセ、俺を投げてくれ!」


「え?!」


「左腕が弱点なんだろ?! 俺がやる! フォセはライオネルを助けろ!」


「分かった。目を回さないでよ!」


フォセはそう言うと更に上へ舞い上がり、片手を下に突き出した。


『風道!』


彼女の手から放たれた風の渦は螺旋を描きながら下へ向かった。


「いっけえぇぇぇっ!!」


渦の中に投げ込まれたニコラスは加速しながらカエルに突っ込んだ。

剣を突き立てると化物は大きな叫び声を上げ、ニコラスを振り払おうと必死に肩を振り回した。

ぬめぬめとした皮膚に足を取られて、ニコラスは宙に投げ出された。

鼻をつくような強い臭いに見下ろすとカエルが大きく口を開けて待ち構えていた。

ずらりと並んだ鋭い歯が城を照らす松明の火を受けて不気味に光った。


『我に宿りし光の力よ、我に力を与えよ! その力でかれを清めん、浄化!』


生暖かい息に目を瞑った瞬間、スラウの声がして怪物の身体を金色の光が貫いた。

耳を劈くような叫び声と共にカエルは水の中へ沈み込んで行った。


「ニコラス!」


スラウが落ちるニコラスを抱き留め、点在する石柱を蹴って城の扉の前に飛び移った。

その背後で轟音と共に水柱が立った。

振り返ると人の姿に戻った男が意識を失って浮かんでいるのが見えた。

フォセが指を上げると、風が渦を巻いて彼の身体を持ち上げ、扉の前まで運んだ。


『蔓鎖!』


ライオネルが印を結ぶと、地面から伸びてきた草が男の身体を縛りつけた。


「これでしばらくは動けないだろう」


「乗り込むなら、今しかねぇってことだな」


ニコラスはそう言うと大きな青銅の扉を押し開けた。


「さっさと行こうぜ!」

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