記憶螺旋 -赤と白-
第107話 自己紹介をしましょう
「次は誰の過去なんでしょうね」
若桜にちっとも相手にされていなかった軍人二人は、蚊帳の外の者同士で組まされていた。言葉には出さないが、若桜にとっての優先順位の結果で共にいることは、お互い理解している。
「しかし、人の過去に他人を押しこむなんて、デリカシーに欠けると思いません?」
「…………境界と境界線のことは考えてたけど、境界点については盲点だった。一ノ砥若桜は”直接接触”をしなくても力を他者に行使できてた。それは境界点のせいだと思う」
「そんな話もありましたね。触らなければ大丈夫、みたいな」
未来とカトラルは、視界が瞬間に切り替わるという現象に慣れ始めていた。最初こそ慌て驚いたが、短時間の内に何度も経験してしまえば、異能力に対する動揺は着実に薄れていった。
「えーっと。ここ、司令室? ですかね」
「みたいだね。……研究所っていうか、仮設基地って感じがする。メルトレイドの格納施設もあるし」
第八境界点の影響圏内にある研究所は、気軽に援助を求められない建造物である。故に多くの施設を複合していた。この司令室もその一つである。
司令室のど真ん中に現れた紅白の軍人は、淡々と仕事をこなす白衣たちを目だけで追う。ここにいるのは勿論、SSDの軍人だけある。戦闘兵はたった一人、ここにいない白服の女性軍人だけで、他全員は事務兵で科学課所属の研究者である。
「何してるわけじゃないですけど、すごく疲れるのは俺だけですか」
「まあ、ここの時間の流れが分からないし、気づいたら時間飛んでるし、時系列ごっちゃごちゃだし」
「季節感も皆無ですし、時間感覚が狂いますよね」
記憶螺旋の迷子になった二人は、ある程度は自分たちに起こった事象を理解してた。正確には、未来が立てた推測が結論と化し、理解に至ったと言うべきであるが。
記憶螺旋の中には六人の人間がいること。
その中の誰かの過去を見ていること。
若桜の気まぐれなのか、記憶螺旋自体の特性なのか、原因は不明であるが、過去から過去へと飛ばされることがあること。
「そろそろ期待できるイベントがあるといいんですけど」
ここで過ごした時間は一、二時間のつもりでいるが、現実時間がどれだけ過ぎているかは、二人には検討もつかなかった。
司令室の中は静かであるが、動く人影は誰しもがせかせかと足を動かしている。支部の作戦司令室と比べればちゃちな部屋であるが、作戦内容によっては十分に機能する設備があった。
「あ、相島博士ですよ」
「……じゃあ、隼人かアクロイド博士の過去か」
会ったことのなかった相島博士の顔も、この記憶螺旋の中で覚えた。
丁度、二人のすぐ傍、部屋の中央にある長机は、ゆったりとスペースをもった三人掛けになっている。その真ん中に座った相島博士は、両隣りのスペースを侵して資料を広げていた。
「見れば見るほど、誰かに似てるんですよねえ」
「少尉の恋愛遍歴なんか、ここじゃなくても聞くつもりないから」
「違いますってば」
むっと口を尖らせたカトラルは、存在が誰の目にもつかないのをいいことに、まじまじと相島博士の顔を観察する。
「相島百合子じゃないの? あんだけ写真見せられたら、嫌でも頭に染みつく」
「ああ、確かに。化粧っ気まるでないですけど、素で綺麗だ。ふうん、親子で大和撫子なんですねえ」
「……呑気だね」
気ままなカトラルは失礼な行いもそこそこに「正直、部外者の俺たちにどうにかできる課題じゃないですよ」と呆れ顔の未来の元へ戻った。
「誰かがクリアしてくれるのを待つしかない、っていうのはちょっと癪ですけど、どうしようもないですし」
「……」
「俺にできるのは祈ることだけですかね。須磨君の方はともかく、俺の機体は魔神による自律行動なんてできませんから」
カトラルの言い分がもっともなのは、未来もよく分かっていた。
吉木による隼人の過去を暴露する話で、ドールや研究所について多少の予備知識があるが、情報量は極端に少ない。
元より、軍人二人は招かれざる客である。若桜から彼らに対する気遣いは皆無で、記憶螺旋に落とした理由も”隼人と共にそこにいたから”と言われたとしても納得してしまえた。
「記憶螺旋には情報収集に来た、くらいの気持ちでいないと。切羽詰まるのはまだ早いですよ」
カトラルなりの考えは、楽天的であるが建設的である。
前向きなエースパイロットに比べ、浮かない顔をした未来は部屋の端へと足を進める。すれ違う人を避けなければならない、と学んだのは螺旋に入ってすぐのことだった。
過去のモノは持ち上げたり、変形させたりできない代わりに、触れることができる。それは人間にも当てはまり、人とぶつかると、来訪者である未来たちは一方的に押し長されてしまうのだ。結果、痛みを覚えるのも、最悪に転倒するのもこちらだけ。
「はぁ……」
未来は室内に並ぶ長机の一番後ろ、引かれっ放しになっている椅子に腰を下ろした。後に続いていたカトラルも倣って左隣に座ると、視線の高さが近くなった同僚の顔色を窺う。
幼さの残る顔は蒼白ではないが、元気がない。
「……大丈夫ですか?」
「あんまり」
素直に心情を吐きだす未来は、頬をぺたりと机上につけて、魂でも吐き出しそうである。暗い顔を隠すように、突っ伏す態勢になると未来は黙り込んだ。
微動だにしない赤服を横目に「完全戦略としての自信を失います?」とカトラルは容赦なく核心を突く。未来が落ち込んでいる理由を、聞かされなくとも分かっていた。
「そりゃあね……」
顔を上げず、机に邪魔された声は聞き取りにくい。
「事前情報が無かったにしても酷すぎる。いくら突発作戦だとしてもこれはない」
反省に勤しむ未来は、作戦中には禁句である弱音を一息で連ねる。
未来が特別ではなく、オペレーターという役職の人間に弱音は厳禁である。戦地に赴かず、パイロットの命を預かり、作戦を指示する立場は、どんな苦境であろうと心を折ることは許されない。上辺だけの威勢でも張り続けることが必要とされる場合もあり、それも仕事の内である。
「あーもーやり直したい」
未来は駄々をこねるように喚き、ごつんと机に額を打ち付けた。鈍い音が響く。
不可能の我が儘を言う未来は、カトラルには物珍しいものだった。完全戦略と呼ばれる少年は、多少の失敗どころか、つまらないミス一つでも自分の非を飽くまで問責する。黙って一人だけの反省会に勤しむ未来の姿を、カトラルは純粋に尊敬していた。
「キミはオペレーターであって、作戦参謀じゃないでしょう」
カトラルはキーレプリカのはまっている手でぐしゃぐしゃと、薄茶色の髪をかき混ぜた。
「自分の才能を過信しすぎです」
励ましの意図を未来が掴めないはずもなく、されるがままであるが、心は更に深く、どん底へと落ちていた。慰める言葉をされることは有難い半面、自分の不甲斐なさを他人にも認めらるようで、未来には辛いだけであった。
「完全戦略と呼ばれるからには、どっちもこなして当然」
「須磨君」
「……ごめん、ちょっと放っといて」
一向に顔を上げようとしない未来の言い分を聞き入れ、カトラルは未来の頭から手をどける。しばらく動かない後頭部を見つめていたが、上手い言葉も思い浮かばず、励ますことを諦めざるを得なかった。
「……」
「……」
作戦準備に忙しい司令室の隅、机に伏す赤服とぼんやりする白服は場の空気から浮いている。
両手で頬杖をついたカトラルは、忙しそうな室内を薄灰の瞳に映した。
白衣、白衣、モニター、白衣、相島博士、空席の多い長机、白衣。
「ここにいる科学課の人たちって、オールマイティーに仕事ができるみたいですね」
必然的に独り言になる。
白衣、イコール、研究所に引きこもるのが仕事、だと考えていたカトラルは、仕事内容はさておき、幅広い業務従事に感心しているようだった。
数名の研究員の動きを追った後、カトラルの視線はオペレーション用のモニターに焦点を合わせる。
壁にはめ込まれる形で設置された大きなモニターには、十六カ所に設置された定点カメラからの映像が分割して流されていた。死角がない草原が、四方八方から監視されているようだ。
メインの脇、サブのモニターには無人のコックピットが二機分映っている。一壁の大部分を埋め尽くすモニターの邪魔しないように、簡素なオペレーション機器がモニターの最前に備え付けられていた。
「ふーん、凄い。ミニマム日本支部って感じです」
素直な感想を漏らすカトラルは、きょろきょろと金髪を揺らしながら、見逃しがないか探す。司令室はまだ作戦を始められる状態ではないが、着々と準備は進んでいた。
準備の一つに入るのだろう、サブのモニターに映るコックピットにパイロットが乗り込んだのが見てとれる。
「う……」とカトラルが呻くのは不可抗力。
二機のコックピットに現れた二人は、色違いのジャージを着ていた。メルトレイドに乗る適応年齢から、大きく外れる年代の少年少女。
黒とピンクゴールド。
「……須磨君、起きて下さい」
モニターに視線を渡したまま、カトラルは反省会を続ける未来の背を叩く。その程度の衝撃で動くようなら、未来は既に復帰できているだろう。
カトラルからの訴えを流していた未来も「イオン、気をつけて」と通信機越しに聞こえた声に、弾かれるように顔を持ち上げた。緩慢からは程遠い動作。
大きく見開かれた砂糖を焦がした色の瞳に「ヒナも」と目を伏せたイオンが映り込む。
こうなると分かっていたはずでも、驚くものは驚く。
十一年前の隼人とイオン。
「相島博士。サンプルA、サンプルC。出撃準備完了です」
未来とカトラルには何が起こるかは未だ定かではない。しかし、これが作戦ではなく、実験であることは察した。
「事の顛末までは見届けたいと思いますけど」
「……原因不明の邪魔が入らなければ、ね」
いくつかの過去を渡り歩いてきたが、実験現場に立ち会うのはこれが初めてである。
ドール計画には、どんな形でか一ノ砥若桜が関与している。連続のはずれくじを捨て置き、ようやく手ごたえのあるくじを引き当てた気分であった。
未来とカトラルは部屋の中央――この実験を取り仕切る相島博士に照準を絞ると、事の流れをひとつも取りこぼさぬように集中し始めた。
「アクロイド博士はどうしたの?」
「案件が増えたから、と研究室に籠っていらっしゃいます。今回は欠席するとおっしゃっていました」
「そう」
相島博士は報告に来ていた白衣から、机上に顔を下すと、既に他者の領域を侵している資料を更に広げた。アクロイド博士の席はすぐに相島博士の物となる。
タブレット型端末一つあれば済むのに、相島博士はかさばる紙を使って研究結果をまとめていた。博士たちが座るために用意された長机が、他に比べて広々としたサイズのものであるのは、ひとえに彼女のせいである。
「一ノ砥博士は?」
「すぐにいらっしゃられま――」
「今なんて? 一ノ砥博士?」
未来は使いっぱしりをする研究員の言葉を遮る。とはいっても、遮られたと当人が思うはずもなく、過去は未来の疑問に応えるように続く時間を流していく。
「先の実験での脳波資料を取っ――」
「なんだ、まだ準備は終わっていないのか」
今度こそ、確かに言葉が遮られる。
現れた男は司令室を一通り確認し、呆れの籠ったため息を落とした。
皮と骨しかないのではと思わせる細身、青白く不健康の滲む顔。
「……あの変人っ!!」
未来は勢いよく立ち上がる。ここが現実時間であれば、倒れた椅子が騒音を奏でもしたが、ここは過去で、動かぬ椅子に未来が足を強打する音だけが鳴った。
しかし、そんな痛みなどに構っている場合ではない。
小走りで二人の博士と一人の研究員に近づいた未来は、一ノ砥博士と呼ばれた男を至近距離で睨みあげた。白衣に揺れる名札は確かに、一ノ砥と印字されている。
が、その顔を未来とカトラルは違う呼び名で知っていた。
「遅かったですね。脳波資料ならここにあったのに」
「キミはいつまでアナログで仕事をするんだ。効率が悪いな」
「単純作業ならデジタルでもいいですけど、実験の効率の善し悪しは、私がやりやすいかどうかですから」
後に”ドール計画”と呼ばれることになる、この計画の主任研究員は全部で三人。
この場で、淡々とした会話をする一ノ砥博士と相島博士。もう一人、今日は不参加らしいアクロイド博士。
「あー、見間違えないですね。研究用の白衣より、患者衣の方が似合いそうな顔色の悪さ。気が狂ったみたいな笑い方」
「……今は笑ってないけど」
「そうですね、でも――」
未来に遅れ、ゆったりとした足取りで来たカトラルは、半眼になって白衣の男を評する。口調は落ち着いているが、心中は絶句する驚愕を通り越して、どんな反応をすべきかを見失っていた。ゆえに、カトラルに見てとれる表情や動作は平常のものである。
「この人、吉木博士でしょう?」
カトラルの立てた人差し指が、目前の男を指差した。
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