第74話 脱走準備は周到に

 隼人は慣れない制服に袖を通す。

 着るのに難しい手順はないが、飾り紐や襟の階級章など、初めて扱うそれに手間取ると、横から未来が正しい着方を口出しした。

 壁に寄りかかり、腕組みする未来は「さて」とわざとらしい切り出しを口にする。


「次の警報に乗じて、メルトレイドが出動。隼人にも一緒に出撃してもらって、作戦行動に混ざってもらう。で、帰還の時にそのまま逃走」


 まごまごした手つきでボタンをとめる隼人を横目に、未来は自分の立てた策を大雑把に説明する。

 内容は単純明快で、耳で聞く分にはなんとも簡単に思えた。


「ってことは、俺、メルトレイドで逃げるの?」

「そうだよ」

「いいのか? 機体を持ち逃げすることになるけど」

「良いも悪いもないよ。途中で乗り捨てないと、フロプトの本拠地がSSDにもろばれになるけど、いいの?」

「……ですよね」


 SSDのメルトレイド部隊は行動目的が捕縛であろうと、殲滅であろうと、基本的に複数で編成される班で動く。そして、動きを監督するオペレータは班に一人。

 当然、機体にはそれぞれGPSが備えられていて、一機一機の動きを指令室で確認できるようになっている。


「でも、そんな都合よく警報が――」

「一ノ渡若桜の定例放送がある。そろそろ時間だから、さっさと着替えて」

「あー、だからそんな急かしてんのか」

「それもあるし、催眠スプレーの効果時間が短いから。彼女が起きる前に出るよ」


 隼人は着替える手を止め、ちらり、と椅子で寝ているイオンに目をやった。

 糸の切れた操り人形のような不安定な体勢。未来と隼人が通常音量で会話しようと、起きる素振りは見えない。

 その姿は第一境界で寝ている薫を彷彿とさせ、隼人の心をぐらつかせる。

 もしも、イオンが起きなかったら。不必要な心労がちらつく。


「心配なのは分かったから、早く」


 傍目にもその表情の暗さは一目瞭然である。

 未来は申し訳なさに顔を歪める隼人を急かした。この状況を作り出したのは未来であるのに、彼にはイオンに対して、少しも罪悪感を見せない。

 返事の代わりに、隼人は再び手を動かし始めた。


 すべてのボタンをとめ、ベルトを回し、ブーツに履き替えれば、肌色は手と顔にしか見つけられない。腰元の服のたるみを直し、襟首を摘まんで引っ張りながら、かつかつ、とつま先で床を叩いた。

 目にかかりそうな前髪を後ろに撫で付け、隼人は深めに帽子をかぶる。視界を遮らないギリギリの位置に鍔がかかり、それを手に掴んだままで偽物は本物の軍人に視線を向ける。


「変なとこある?」


 首をかしげる少年を、未来は軍帽の頂点からブーツの先まで流れるように目を動かして、不備を確認した。


「ううん、いいんじゃない?」


 少し年若いが、見た目だけならば白服――SSDのメルトレイドパイロットのそれであった。


「ただし、廊下歩く時は、背筋伸ばしてね」

「……はい」


 びっ、と反射的に隼人の背筋が伸びる。

 もしも、隼人が軍学生のままで、卒業まで漕ぎ着けていたなら、これは変装ではなく、現実のことだったかもしれない。

 しかし、当の本人はしっくりきていないのだろう。隼人は白に包まれた手足を居心地悪そうに動かした。


「ああ。あと、左手に手袋」

「え?」


 未来は背中を壁から離し、床に転がっていた鞄を拾い上げると、中で忘れ去られていた手袋を摘み出す。白い手袋は片手分だけしかない。

 今度は投げ渡さずに、きっちりと隼人の手の上に白を乗せた。


「普通、メルトレイドパイロットの左手にはキーコネクタがあるものなの」

「……ああ」


 キーコネクタ、左手に手術される生体機器。人間とレプリカとを接続するそれは、パイロットには必要不可欠なものである。

 しかしながら、マグスである隼人はスレイプニルを挟むことで、人工的な接続を必要とせずにメルトレイドに乗ることができる。コネクタもキーも隼人には無縁の話だ。

 白い手袋で左手を隠せば、ようやく偽装は終了である。


「似合う、似合う」

「……」


 満足そうに二回頷いた未来に反して、手袋をした手を見ていた隼人は、さあっと器用にも一瞬で顔を青くした。

 それから、ぎぎぎ、と金属がこすれるような音がしそうな動作で首を未来へと捻る。


「今、気づいたんだけどさ。俺、コネクタ手術してないし、魔神と一緒にいないから、メルトレイド動かせない」


 隼人は手袋をした左手で、心臓を押さえた。スレイプニルは百合子と共にいるはずで、同じ身体を共有してはいるが、今は隼人の中にはいない。

 作戦が計画倒れになる、と冷や汗でも流しそうな隼人に、未来は目を細めた。

 勿論、微笑ましくしているわけではない。


「魔神は置いておくとして、君にコネクタがないのは知ってるよ」


 未来の言葉は隼人の焦りを鈍らせた。

 当然と言えば、当然の話である。

 コネクタの手術はSSDで行われるもので、外部で行われることはまずない。手術用の整備が整っている場所が、SSDの管轄下にしかないからである。

 例え、隼人が上手く新人パイロットに紛れ、左手に手術を受けられたとしても、未来の見解は変わらなかった。一緒にファミレスで談話する隼人は素手を晒していたし、隠していれば目につく。


「対応策は準備してあるよ」


 未来は鞄から離した手を、軍服のポケットへと突っ込んだ。催眠スプレーを仕込んでいたのとは別のそこには、華奢なブレスレットが入っていた。


「何それ?」

「外部取り付けのコネクタもどき」


 コネクタもどき、と称された金属は無骨なアクセサリーのように見える。

 ブレスレットとしては細く、シンプルなデザインで、開閉する金具も市販される装飾品と変わらない。ただ、細い鎖とバランスのとれていない長方形のチャームがついており、表にキーレプリカをセットする窪みが、裏にマイクロチップが埋められていた。


「手首につけるだけ?」

「そう。左右どっちでもいいし」


 ずい、と迫る手に隼人は両手を差し出した。

 手中に落ちてきたブレスレットをまじまじと見つめ、へえ、と感嘆に声を漏らす。未来ならば、パイロットなしでのメルトレイドの可動すら可能にしそうである、と思わずにはいられない。


「動かすだけならこのコネクタでなんとかるよ。戦闘行動はまではできないだろうから、そこは僕が遠隔操作で補助する」

「こんなのあったら、パイロット志望増えるだろ」


 左手首に装着した擬似コネクタを目線の高さで揺らす隼人は、ただただ感心しているようだ。

 SSDのパイロットという職は、努力だけでは叶わないものである。

 花形であり、実際に魔神と接触する数少ない課であるが、軍学校のパイロット課を卒業しながらも、その道に進まないものも多い。


 なぜなら、移動している間に攻撃ができなかったり、攻撃をしている間に移動ができなかったり、と動かせるだけで、操縦とはおおよそ呼べない者が大抵だからだ。

 パイロット候補者としての知識と技術を持ちながらも、青服として仕事をする軍人は少なくない。


「こんなの、で操縦できるような神経回路を持ってるのは、僕が知る限りは君とカトラル少尉くらい」


 移動だけをパイロットが負担し、攻撃をオペレーターが補助という形で、二人で一機を操縦するスタンスであれば、パイロットとして機能できる人は多いだろう、という隼人の目算はすぐに否定された。

 擬似コネクタは、決して実用的ではない。


 直接接続でない方法での操縦は、元からの素質を標準以上に必要とする。


「それは残念。でも、体外にある装置で脳神経を接続できんのか」

「まあ、実地で使ったことはないけどね。問題ないよ」

「なんだそれ」

「問題ないよ」


 真顔で同じ台詞を繰り返す未来に、隼人は「別に心配はしてない」と歯を見せて笑った。

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