第72話 絡まる記憶は解けない
鈍痛に苛まれている頭に手を添え、記憶の途切れた瞬間を「……放送があって、博物館で」と口に出しながら、順を追って整理していく。
「今日は六月十三日。午後二時十八分」
「え?」
「君が第一世界境界博物館で魔神、及びSSDと交戦したのは昨日のこと。うちの専有四番機との戦闘後、衝突衝撃で意識を失った」
隼人の脳内で行われている思い返しは、アスタロトが博物館に来たところまでしか進んでいなかった。進みの遅い回想などを知る由もないイオンは、少年の記憶にない空白を語る。
「正直、死んだかと。良くても、四肢破損レベルと予測していた」
「……」
穏やかではない予測に、隼人は両手の表裏を繰り返し確認した。勿論、足はきっちりと二本、胴体と繋がっている。
ほんのり青ざめた顔へ、イオンは「こっちのオペレーターが優秀だった。あんな運転補助システムを組んでるとは思わなかった」と内輪話を漏らした。
隼人は心の中でこの場にいないオペレーターへと感謝の言葉を贈る。預かり知らぬところで、死を迎えそうだったなど、考えたくもない。
「英雄の意志に君を積んだまま、SSD日本支部まで運搬した。機体は支部の格納庫。君はそこからこの部屋まで、そのストレッチャーで私が運んだ」
「イオン博士が?」
「君の存在自体が機密で、作戦行動は内密にされている。人手はない」
「作戦って、第八境界線の掃討作戦ですか」
無表情に同等のイオンの眉が動く。
とは言っても微々たる動きで、一見して変わった様子は分からない。だが、確かに紺碧色の瞳は少年を訝っていた。
「ええと……」
隼人は視線を反らさないままで、小首を傾げて誤魔化す。
イオンが不審に思ったのは、どう考えても、第八境界線に関する発言のせいである。少年は不用意に口にしてしまったが、作戦参加人数が著しく少ないこの作戦を知っていると言うことは、軍人の誰かが裏切り者だと公言しているようなものだ。
「ここに来た経緯はいい?」
「はい」
あからさまに反らされた話題。
隼人は抗わずに流れに身を任せることにした。
「単刀直入に聞くけど、雛日はドールについて知っている?」
「……知ってます」
隼人は従順に頷き、肯定を示す。
よりにもよって、逸れた先がこの話題か、と隼人はきゅうと締まる心臓に手を当てた。不安を覚えた時、そっと寄り添ってくれるスレイプニルの不在を確かに認識してしまって、少年は余計に動揺する。
「俺たちのこと、ですよね」
沈痛な面持ち、諦めたような声色。
意外だ、とイオンの心の声は素直に顔に出ていた。
今度こそ、しっかりと表情筋が動いて、誰の目に見ても驚いているのが見て分かる。ぱち、と瞬いたイオンは「フロプトの情報網はどうなってる」と感嘆した。
ドールに関しては、作戦に組まれているカトラルや未来すら知らない事情。筒抜けになることがあるとすれば、身内からの漏れであるが、イオンの思惑は遠からず近からず。
実際は百合子の持つ、相島博士の端末が発信源。軍内からの情報であるが、本人の意は介していない。
「うちの情報官は優秀ですけど、ドールのことは完全にたなぼたです」
「……反軍組織の最大最高勢力か、伊達じゃないな」
率直に感心するイオンは、ふむ、と軽く握った手で口元に当てた。
詰問されるかと身構えていた隼人は、一人納得しているイオンに拍子抜けする。ぼけっとする隼人を尻目に「説明する手間が省けた」とイオンは白衣を揺らして立ち上がった。
イオンは隼人の傍へと、再び歩み寄る。
ベッドの脇、ステンレスのラックに置かれている箱から、使い捨ての手袋を取り上げると、するりと手をねじ入れる。
ぱちん、と手袋の口を手首に弾くと、隼人の目前に立った。
「イオン博士?」
少年はきょとん、とした顔で美しい容貌を見上げた。
手袋に包まれた手が隼人の両頬に添えられる。
くい、と顔を上向きにさせられた隼人は、揺れる瞳でイオンを見つめた。伏し目の彼女は少年の瞳ではなく、口元を見ている。
イオンの左手の親指が隼人の薄い唇をなぞった。
隼人は肩を揺らしたいのを一生懸命に堪える。ごくり、と喉が鳴り、分かりやすい自分に羞恥を抱きつつも、ただただイオンの碧眼を窺う。
「口を開いて」
命令通り、隼人は躊躇いがちに口を開く。
「うっぐ、う!?」
歯が開き、唇に隙間ができれば、イオンは隼人に了承も得ず、おもむろに親指を口内へと突っ込んだ。
少年の期待するような色っぽい事象など、ありはしない。
「うぇっ」
急な異物に、隼人はえずきそうになりながら、無意識に甘噛みしてしまう。それでもイオンは淡々としていて、親指の腹で隼人の上顎当たりを摩った。
「上顎の補助装置はどこ」
「うぇ?」
イオンは目当てのもが見つからずに顔を顰める。
「…………えういあいあいあ」
彼女の指の侵入を許したまま、隼人は素直に返答するが、母音だけの言葉に意味は見当たらない。勝手に他人の口内を荒らしていた指を引き抜き、イオンはもう一度「上顎の補助装置は」と疑問詞のつかない質問を繰り返した。
イオンは隼人の頬から手を離すと、はぎ取った手袋をゴミ箱に投げ捨てる。
「えぐり出しました」
隼人は嘘偽りなく、事実を答えた。
離れていった手にほっとする感情と、残念だと思う感情が入り乱れる。
「傷口どころか、跡もないけど、いつ取りだしたの」
「……雛日博士に引き取られて、すぐに」
「なんでそんなこと。疲れやすくなるだけで、いいことはない」
「え?」
「…………何か分からないで取ったの?」
「え、はい」
彼自身はそれを補助装置だと思ったことも、幼い頃から口の中にあったそれに、異物感を覚えたこともなかった。
それを一人で勝手にえぐりだしたのは、雛日博士に引き取られ、SSDと関与しない生活を送るようになってすぐのことだった。研究所でのことを思い出すのが嫌で、制止の利かなかった自傷行為。
「雛日博士から説明は?」
「何も……。というか、引き取られはしましたけど、一緒に住んだことはないし、ほとんど連絡もとってないです」
イオンは呆れていた。
雛日家の親子関係にではなく、雛日博士に、だ。
自分の作品であるドールの面倒を買って出たにも関わらず、整備も観察もせずに放置していたなど、同じ研究職に着く身として信じられなかった。
「ドールの脳は制御が甘い。五感を自分の意志で強化して使えたり、メルトレイドのような媒体があれば、人間では不可能レベルの神経命令ができる」
「……」
「本来なら脳の疲労が酷いが、ドールの脳は特殊だから、どんなに使ったところで反動はない。ただ、元が人体である以上、錯覚は避けられない。それを止めさせるための補助装置」
隼人はこれ見よがしに、きょろきょろと視線を彷徨わせた。
前半までは良かった。自分がしていることを堅苦しく言われただけである。しかし、後半は芳しくない。どう贔屓目に見ても、イオンの説明を微塵も理解していなかった。
「ええと、すみません。もうちょっと噛み砕いてくれると」
胸の前あたりで小さく挙手すると、隼人はへらりと笑って見せる。
「五感強化をしたり、メルトレイドに乗った後、体調不良を起こしたりしない? 発熱したり、胃が痛くなったり」
イオンは隼人の要望を呑んで、実例を口にしながら説き始める。隼人は思い当たった症状に大きく、何度も頷きながら「鼻血でたり、異様に眠くなったりします」と手を上げたままで答えた。
きしきしと、動作に合わせてストレッチャーが音を立てる。
「そうしなくするための補助装置」
隼人は押し黙った。
できの悪い思考回路でも、イオンの言わんとしていることを察せられる。
自分が過去に行った事は、本当にただ自分を傷つけるだけでマイナス要素しかない行為だったらしい、と年月を置いて気づかされた。
「…………うわあ」
「残ってるドールの研究データは欠損ばかり。代用品を用意するのに時間がかかる」
「用意してもらえるんですか?」
「妄想疲労の負担については考慮してなかった。ないよりはあった方がいい」
イオンは再びと散らかった机に戻り、一番上に積み上がっているカルテを取り上げると、同じく机上で転がっていたペンを手に取ってメモを連ねていく。
「イオン博士でもすぐには作れないんですか? 一応現物はあるんじゃ」
「現物? 何のこと?」
「……イオン博士って、研究所でアクロイド博士――父親の手伝いをしていたんでしたよね? それ以外って――」
「さっきも言ったけど、事件の日以前の記憶があやふやなの。第八境界での記憶はないと言って――」
イオンの言葉は、ドアを叩く音にかき消される。
崩壊させようというような勢いで、どんどんと止まらない衝撃を受ける扉。騒音を奏でるそちらへと、二人は視線を奪われる。
「っ……イオン博士」
隼人は痛む身体を立ち上がらせ、イオンと研究室との入口に割って立つ。研究所内、セキュリティは万全であろうし、侵入者など許すような場所でも機関でもない。
しかし、追悼式の一件が頭にある隼人は、万が一を想定せずにはいられなかった。ましてや、この部屋に来ている以上、目的は彼女。
ぴぴっ、と解錠を伝える電子音が鳴り、イオンは顔を顰めた。
自動ドアが開くのも待てなかったのか、侵入者はこじ開けるように扉へ手をかけている。
「隼人! まだ無事!? 頭と首はつながってる!?」
転がり込んできた小柄な体。赤い軍服。
叫ぶ少年に、隼人はぱちぱちと目を瞬かせた。呆然としている隼人を尻目に、イオンは面倒くさそうに目を細める。
「ここへの立ち入りは禁止。ロックはどうしたの」
「僕の前で、あんなものセキュリティとは言わないよ」
ふん、と少年は得意げに鼻を鳴らす。
イオンは突破されたセキュリティの起再動に、隼人を追い越し、少年とすれ違って扉へと向かう。少年を追い出しはしないものの、その顔は不機嫌に満ちていた。
イオンが離れる代わりに、急ぎ足は思い出したように隼人へ近寄った。
ぽかん、と口を開く隼人の両肩に手を乗せると、無事であることに安堵する。
襲来した侵入者に隼人は「未来」と名前を呼ぶしかできなかった。
「お前、なんで……?」
「なんでって、それはこっちの台詞」
「え、あ、そうか」
「でも、よかった。ホルマリン漬けにされてるかと思ったよ」
「……須磨は私を何だと思ってる」
出入り口の扉の横、セキュリティパネルをいじるイオンは心外だと横やりを入れる。
隼人を生け捕りにしろ、とは第八境界掃討作戦の前準備として、カトラルと未来に言い渡された命令で、その彼をイオンが殺すなどとまずない話だ。
「血も涙もないアクロイド博士でしょ? 知ってるよ」
「……君は本当に子供」
「十五歳だからそうだろうね」
生意気をつき通す未来と、無表情を少し険しくしたイオンに、苦笑いしたのは隼人であった。
ぎすぎすとした空気感を隠さずにいる二人の天才の不仲を目の当たりにして、気の利いた一言も思い浮かばなかった。
「彼と知り合い?」
同僚間に妙な火花は散ったまま。
イオンから隼人に向けられた質問に、未来は自信満々に「そうだよ」と応答した。しかし、彼女は作戦課の少年の声に反応せず、隼人からの返事を待っている。
そういった動作がお互いの癇に障るのだろう。空気の苦さは悪化の一途をたどっていた。
「俺、昔ちょっと軍学校にいて、未来とは同期入学なんです」
「……軍学生? 履歴にはなかったけど」
彼女は未来とは違い、掃討作戦に必要な情報はすべて抱えている。勿論、雛日隼人に関する情報は目を通していた。
軍学生という特殊な経歴があれば、目に着かないわけがない。
「そりゃあ、公立校に籍を置いたままの不正入学だからね。記録には残ってないよ」
「あのっ試験は不正してないですからね! 入学手順は正規の手続きです。名前は偽名でしたけど!」
「……隼人、それはなんの言い訳なの?」
隼人は一生懸命に、軍学校への入学は自分の実力であったことをイオンへと熱弁する。しかしその努力は聞き流され、舌の止まらない隼人を置いて、イオンは定位置の机に着く。
「知り合いなのは分かった」
疲れた、と言葉以外で訴えながら、椅子を少年たちへと向けた。
「須磨はどうしてパイロットが彼だと分かった。機密事項。まだ情報開示権限は下りてないはず」
「……旧世代のメルトレイドに搭乗するのも、起動するのも誰にだってできる。それだけなら、ね」
「……」
「でも、あのレベルで旧機を操縦できるのは、この世界に一人だと僕は思ってる」
賛辞なのか嫌味なのか、半々の意味合いであろう評価。
隼人は「お褒めの言葉をありがとう」とへらりと笑った。こちらには含まれた意味はなく、素直に礼を言っているようである。
「褒めてはないよ」
未来はわざとらしくため息をついて、半眼で親友を見下ろした。
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