第59話 一途な熱は暴走する
「行かせられない」
「なんで?」
「伊野が心酔したって、反軍組織は反軍組織だよ?」
「……俺には特殊身分がある」
隼人の正論は熱に浮かされていた浩介を、ほんのわずかだけ引き戻す。
だが、浩介に諦める気は一切ないようで、どうにか二人を言いくるめられないか、という本音が顔に透けている。
「だからでしょう。自分の身分くらい分かるでしょ? カモがネギ背負ってどうするの」
「鍋とカセットコンロもついてるしさ」
鍋で自分を、カセットコンロで紗耶香を指差し、隼人は「今の季節では熱すぎて遠慮だけど」と無理やりに呑気を押しつけ、自分のペースに巻き込もうとする。
こうなれば隼人に丸めこまれるのを、二人は経験で知っていた。紗耶香は既に勝ったとばかりに、安心した顔で成り行きを見守る態勢である。
へらへらとし、事を収めようとする隼人を浩介は「俺は黙って、一人で行かなかった」と突き放す。
三人の仲でなければ、こいつは何を言っているのか、と白けもするだろう。が、この言葉は二人には効果覿面であった。
隼人と浩介と紗耶香。
三人の関係性は、正常な友情を侵食し、柔らかな依存を孕んでいた。
「言わなかったら、もっと怒るくせに。なんで連れてかなかったって、お前らは文句言うだろ?」
ごもっとも。
二人はばつが悪そうに視線を泳がせた。
実際、行きたくはないが、浩介だけが一人で行くくらいならば、一も二もなく二人は付き添うだろう。ただ、大前提として、二人は行きたくないし、行って欲しくないのだ。
止められるならば、止める。
「大丈夫だって。来るもの拒まず、去る者追わず、ってのがスタンスらしいし」
異論を主張しているはずの浩介は、自分を人質に交渉にでる。自分が二人にとって、どれだけ価値があるのか自負していなければ、出られない行動。
しかし、彼には自信があった。
自分が二人ならば、絶対に断れない。
「……ああ、もう。だから浩介って嫌!」
まず、折れたのは紗耶香であった。
止まらない文句をつきつけながら、浩介の隣に並んだ彼女は、諦めることを隼人に視線で勧める。
このまま粘って、集会に間に合わせなくしようとしても、彼は一人で飛び出していく。最終手段に自分自身を引き合いに出した彼を、言いくるめることは既に難しい。
嫌々と首を振り、隼人は大きくため息を吐いた。
「言っておくけど、終わったらマジで怒るからね」
じとり、と恨みがましそうな視線に「……覚悟しとく」と浩介は半笑いで返す。
「よし、急ぐぞ!」
浩介が軽い足取りで駆け出し、止まったままの隼人を追い越す。
紗耶香はまだ走るのか、と顔を顰めながらも、後に続いた。隼人も進行方向を変え、二人の背を重い足で追いかける。
途中で紗耶香の手を拾い上げ、浮かれる背を見つめた。
「っていうかさ、伊野はどうやって集会があるって知ったの?」
隼人としては友人としても、フロプトの構成員としても知っておきたいことであった。
「昨日、駅で話してるのを聞いたんだ」
「今日、ここで集会があるって?」
「おう。そしたらさ、他にも聞こえた人らが行ってみよう、とかって言ってたから」
「……」
あの惨事の現場に居合わせて、脳が暴走でもしていなければ、そんな頼りない情報は受け入れられない。
少なくとも、隼人はそう考える。
冷静な判断だとは思えないし、行ってみようという猪突猛進は無謀でしかない。それに、情報を口にした人物も、それを聞いて行ってみようと言った人物も、集会に来ることはできないだろう。
「さっきから、駅、駅って何? というか、何で浩介はフロプトの集会なんか行きたいの。私、全然ついてけないんだけど」
「っ――俺も俺も」
隼人は取り繕うように、情報を一つも持たない紗耶香に同意する。浩介は笑ってはぐらかすだけで、詳細を語ろうとはしなかった。
それからは、会話に割く労力をも惜しんで、ノンストップで街中を駆ける。
一般平均よりは動ける少年二人も、少しばかり疲れを覚え始め、汗ばんできた頃「モウムリ」と片言の限界宣言が、死にそうな声で告げられる。
前ばかりを見ていた二人は、息も絶え絶えの声に背後を振り返る。
運動、という括りに入るもの全般が苦手分野である少女は、足をもつれさせるギリギリで、危うく揺れていた。
「ちょ! 佐谷が死んだ!」
「紗耶香っ!? おまっ、もっと早く言えよ!!」
駅から少し離れた公共機関の集まる区画に入り、三人の駆け足が徒歩に変わった。紗耶香の体調に配慮しただけでなく、ここからならば歩いても余裕だ、と浩介が判断したからだ。
「歩いて間に合わない時間だったら、紗耶香のこと置き去ってたわ」
「伊野が連れてきた癖に、ひっどいな」
二人に挟まれた紗耶香は息を整えながら、身体の熱暴走が収まるのを待つ。話に混ざろうという気力も、体力の回復が終わらねば湧いてこない。
「集会に行って、伊野はどうすんの? お話しでもすんの?」
「…………俺もよく分かんねぇ。けど――」
浩介の頭に、忘れられない昨日が流れる。
――魔神が自分に迫ってくる。開かれた口に剥き出しの牙は、確実に食い千切ろうとする前段階であった。
逃げなければ、と思うこともできず、硬直した身体は、微塵も動けはしなかった。行動に出られなかった浩介はあの一瞬ほど、自分の命というものを体感したことがない。
目の前では人が死んでいたのに、自分は大丈夫だと、根拠のない自信があったのだ。
「……多分、行かなきゃ後悔する」
そして、間近に来た死は、硬質な白に阻まれて、消えた。
結局は浩介の思う通りになったのだが、それを彼は自身の運命ではなく、捻じ曲げられた未来、与えられた奇跡だと思った。
「……そう」
隼人はそれ以上の追求をしなかった。
どことなく雰囲気の堅い浩介は、思考に没頭していたことに気づき、誤魔化すように笑った。
場所が場所であるからか、近道を選んだせいか、道端から人の影が減る。
公共機関の集められているこの区画は、狭く、入り組んだ道が多い。もちろん、便宜のために大通りが敷かれたりもしているが、それは前々からあった裏道を消すことにはならない。
公共の建物自体に改修工事が入ったりとしているが、私営の店などは昔ながらのままである。敷地にある機関や店の種類はそうそう変わり映えがせず、新古が入り乱れていた。
「ちょっと、集会って公園でなの?」
ようやく復活した紗耶香は、渇いた喉で掠れた声を絞り出す。
水道局の前を通り過ぎた後、横道を抜けて、分岐道を裁判所に続かない方へと進めば、大きな都立の運動公園に侵入できる。
正門ではなく、申し訳程度に開けられた花壇と花壇の隙間から、中へと踏み入る。
「そうそう」
軽々しい返事をする浩介は、並ぶ二人を率いる位置に立つ。
「俺だって講堂で、とか思ってた訳じゃないけど。まさかの都立公園だね」
「子連れの母親の井戸端会議と大差ないじゃない」
「えー、猫集会とかのほうがいい」
「……なにが?」
運動公園の中には、幼児向けの遊具ばかりではなく、児童の発育の為に設計されたアスレチックもある。それらがあるエリアは一部で、陸上競技用のグラウンドや多目的広場、更に奥に行けば体育館にテニスコート、プールまで設備されていた。
「……あれか」
浩介の足が止まれば、三人ともが停止する。
集会場所は多目的広場の先、体育館近くにある散歩コースへの入り口であった。
自動販売機が二台。五脚のベンチが五角形を描くように配置され、それを屋根が覆う。憩う為に設けられた屋外休憩所をステージに見たて、二十数人の人が集まっている。
レジスタンスの集会、というよりは、老若男女の参加するサークル活動のようであった。学生服は隼人たちだけではないし、人目を憚らずにくっつくカップルもいれば、子連れの女性までいる始末だ。
「レジスタンスって言う割に、なんかこう、すごくないね?」と紗耶香は友人らにしか聞こえない音量で囁く。
「そうだね。俺たちみたいに、興味本位で来た人たちの方が多いのかも」
実際、雰囲気が明らかに違うと思わせるのは、休憩所の屋根の下にいる男と、それを取り巻く二人の男たちの、計三人だけだ。
どこにいても可笑しくないような私服で、全員が二十代後半くらい。集団に向かい合うように立ち位置を取り、小声で何かをうち合わせている。
そこを始点にして広がるように人々は立っていて、隼人ら三人は一番遠巻きの位置に落ちついた。
「……私と隼人は脅されて来たんだけどね」
「連れてかなきゃ怒るくせに、だもんねえ。伊野は狡猾だよねえ」
「分かった、分かったから! お前らそんな目でこっち見んな」
口を尖らせる浩介と、それを半笑いでからかう紗耶香。隼人は和やかな二人から、この場を仕切るであろう男たちに視線を流す。
それから、一目でなんとなくを察した。
浩介が言ったように、一般的にフロプトは”来るもの拒まず、去る者追わず”がスタンスで、”人間と魔神の共生”を掲げている。
つまりは、名乗るだけなら誰にだって可能であるのだ。本物か、偽物かは顔を見ただけでは、判断はできない。
しかし、分かることもある。
「あの人たちはそうなんだろうけど、やっぱり、レジスタンスには見えないね」
隼人は素顔をさらす三人を見て、困ったように笑った。
彼らには顔を隠す、竜面がない。
すなわち、頭領に謁見したことも、その側仕えに近づいたこともない、ということ。
絶対につけなければならない、なんて決まりはないが、頭領に近しい名誉をしない理由も特にない。ずぶずぶのレジスタンスである隼人も、つけることはないと思いつつも、通学鞄にだってそれを忍ばせている。
自分がいつ何時であろうとフロプトである自覚と忠誠が、手放すという選択肢を潰していた。
「だなあ。俺も、想像してたのと違ぇわ」
「ん、もっとこう殺人鬼みたいな雰囲気なのかと思ってたわ」
隼人の評価に友人らも同意する。
レジスタンスの集会とは思えないほどに、穏やかな雰囲気だ。それは三人だけが異常なのではなく、周囲も同じで、規制の強さはないようだ。
隼人は休憩所に居座る三人を一瞥し、周囲にいる集まった人々を見回した。
これを美濃に告げ口するべきなのだろうか。
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