第52話 他人の過去を垣間見る

 ドール――世界境界に取って変わると噂される兵器。

 二十年前に始まった、世界境界を殺す為の生物兵器を作り上げる計画。四体のサンプルが成功作目前であったが、結果は失敗。

 失敗に終わったが、その要因の明記はない。


 ドール計画の論文を読み進めて行けばいくほど、隼人の顔から表情が消えて行く。肌の色も精神の動揺につられて、蒼白へと色悪く変化していった。

 サンプル二体は死亡、二体は生存。

 と書かれた後に、生存二体は不完全ながらも使用可能と記されている。


 論文は所々、文章ではなく箇条書きのメモで穴埋めされていた。不完全ながらも、ドールから題が飛ぶことはなく、一本の道筋が貫かれている。

 完成品ではない論文の文章量は、決して多くない。


 今、話しかけられたとして、隼人は反応できないだろう。外に対する感覚すべてが、視覚と先へと進める為の指先に集まっていた。

 自分の心臓が激しい苦痛に叫んでいることも、自覚していない。

 相島、と締めに書かれた名前に並び、付随されている日付は、五月二十一日。

 隼人は音にもならない、短い息をつく。

 どうにも、息苦しい。


「――ッ、――」


 生きるための行為が、思い出せない。


「あ――、っ――――」


 呼吸の仕方が、分からない。


「――ちょっと、顔色悪いわよ」


 いつの間にか戻ってきた百合子が、部屋の入口で突っ立っていた。隼人が論文を読破するのを待っていたようだが、どうにも異常な反応をする少年を見かねたようである。

 青白い顔で百合子を見上げる隼人は、百合子が初めて見る顔をしていた。


 飄々として、柔らかさと余裕を滲ませている世話係の姿はなく、浅い息を繰り返し、瞳孔の縮小した眼球を揺らしている。

 確かに視線が交わっているはずなのに、百合子は彼と目が合っているとは思えなかった。


「ちょっと本当にどうしたの? メルトレイドを操縦したから?」


 彼女に思い当たる節はそれだけだ。

 百合子は退出する前の位置に戻ると、隼人を落ち着かせようと背を撫でた。よく彼にされているように、たまにとんとん、と優しく叩くては、さする作業を繰り返す。


 隼人は意識的に呼吸の間隔を長くしていった。生理現象を無理やりに正している様は、それだけで痛々しい。


「っふ……、ちょっと、疲れたのかも」


 無事を言い渡すつもりが、隼人自身が驚くほどに絶命に瀕したような声が響く。いよいよ様子のおかしい隼人に、百合子もその身を心配して、辛そうに眉を下げた。


「……話は後でもいいわ。寝てきたら?」


 眠そうにしているわけではないと分かっていても、百合子が提案できることはそれしかなかった。


「百合子さん」


 隼人は背に当てられた手を止めるように願い出て、覇気のない顔で「百合子さんがよければ、少し話さない?」と希望を訴える。

 語尾は疑問形であったが、顔つきは引き下がるつもりはない、と表明していた。

 百合子には断ることだってできた。隼人の健康を思うなら休養を勧めるべきだ。

 しかし、彼女は隼人の決意に反論しなかった。


 肯定を示す代わりに「これから過去を見たことがあるの」と、隼人の手に収まった論文を指差す。


「これの?」

「そうよ。母の記憶ではなくて、祖父の記憶だったわ。吉木って白衣の男が、ドールを完璧な兵器にする準備は整っている、って祖父に宣言していたところ」

「吉木博士は、名前だけ知ってる。竜の民を研究してる人だよね」

「……そうなの?」


 百合子はきょとんとして、初耳とばかりに感心した様子である。


「知らないの?」

「自分から積極的にSSDに関わろう、と思ったことはないから。SSDに関しては、貴方の方がよっぽど知ってると思うわ」


 事実、魔神掃討機関に対する百合子の持ちうる知識は、祖父からの強制で行われていた、能力開発訓練の結果に得た情報がすべてだ。重要度こそ高いものが占めているが、量は極めて少ない。


「まあ、元帥の孫娘だから知ってなきゃおかしい、ってことでもないか」

「そう言ってくれる人は滅多にいないけどね」


 彼女の頑なな意地は、SSDとの隔絶を欲していて、一般人並みの予備知識を持ち合わせているかも怪しい。


「過去の吉木博士のことを見て、ドールを探すことにしたの?」

「……探させるつもり、だったの」


 誰に、とは言わずもがな。

 世界境界を消すことを目的にしてる集団の前に、それにぴったりな兵器の情報がちらつけば、結果は火を見るより明らかである。

 居心地悪そうにする百合子に、隼人は少しも苛立ちを抱きはしなかった。むしろ、見事と言わざるを得ない。


 元から、度胸のある少女だと思ってはいたが、生きるためには怜悧狡猾にあることも厭わない姿勢に、敬畏すら覚える。


「世界境界を消せるなら、どんな可能性にだって縋ろうと思ってたから」


 言い訳のように早口でまくし立てる彼女は、そわそわと落ちつかない。隼人からどんな罵詈雑言が出てくるのか、恐れているようだ。


「やっぱり、百合子さんって、強くてかっこいいね」


 隼人の眼差しはきらきらと、不純を含むことなく輝いている。無力でも、一人でも、全力で生きる少女への尊敬は、心からの本音であった。


「っ、はぁ?」


 変化球もいいところだ、と百合子は慌てた。

 拍子抜けどころか、あまりに眩しそうに目を細める少年に、羞恥を覚えるくらいだ。

 にこにことする隼人は、一見して体調不良と分かるが、少しは回復してきたのだろう。哀しい顔しかできなさそうだった表情筋が、硬直を解き始めている。


「…………そうよね、貴方だものね」


 かすかに滲む嬉しさを隠すように、百合子は呆れました、と両手を挙げた。

 降参。

 くすくす、と喉で笑う隼人は、少女の動作に楽しそうである。


 よくもここまで打ち解けた、と互いが互いに思わずにはいられない。会話の内容は安穏ではないが、二人の間に流れる雰囲気には棘も壁もない。


「読んだから分かるだろうけど、それ完成してないの」


 世間話のような軽い口調で、百合子は論文への説明を加えた。


「みたいだね。研究チームの他の人の名前とか、試行実験の結果とか書いてないもんね」

「結局、実体は分からない」


 名前だけが歩き回る存在。

 答えはどこかにあるのだろうが、それがどこなのかも、到着する方法も、論文からは取得できない。


「……なんにせよ、失敗作であることには変わりないし、母のいかれた愚作に頼ろうなんて、間違ってるかもしれないわ」


 独白。

 他人に聞かせる為にではなく、自分に言い聞かせる言葉。

 ぼんやりと、タブレットを眺めている少年は、百合子の言葉を聞き入れただけだ。それから、手の中の端末をくるくると回す。表面は文字で埋められた液晶、裏面は魔神掃討機関の掲げる象徴。


「……このこと、美濃君たちには話した?」

「論文は見せたけど、さすがに探させるつもりだったとは――」

「言えないよねぇ」


 隼人は百合子の手に携帯端末を握らせると「お話、付き合ってくれてありがとう。ごめん、やっぱちょっと休んでくるね」とベッドから立ち上がった。話相手の返事を待たず、一方的な断りで、退出しようとする隼人は鈍足で出口を目指す。


「どうせ聞かれると思うから、これだけ言っとくわ」


 休養と会話の天秤が、ようやく前者へと傾いた隼人へ、最後の話題を切り出す前兆が投げかけられる。ゆるり、振り返った隼人の顔色はいくばくか快方に向かっていたが、倦怠感が見て取れる。


「私があのメルトレイドから見た過去は、喜里山姉弟の口喧嘩」


 一瞬、隼人は突然の話題が理解できなかった。単語は知っているものしかない。少しの時間の後、隼人の頭の中でそれが一本につながると、無気力に近しかった瞳が見開かれた。


「……あー、また、なんていうか」


 ぐしゃぐしゃと後ろ髪をかき混ぜる隼人は、出て行こうとしていたのと同じ速度で、百合子の隣へと戻って来た。ぼすん、と遠慮なくベッドに腰を沈める。

 まだまだ、話を切り上げることはできないらしい。

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