第20話 殺伐としたお茶会

 隼人は垂れる血を拭い、美濃の後を追うように部屋を出た。

 美濃は既にオペレーションルームに籠ってしまったようで、開け放たれていた扉は閉められている。


 隼人はどうしたものかと後ろ髪をかき混ぜた。

 美濃が電話で呼び出した用件については力になれなかった。映像に映っていた”何か”の対処は考えなければならないが、あれが何なのかが分からない今では手も足も出ない。

 おとなしく、美濃の解析が終わるのを待つのが今できることだった。


 隼人はテラスに人の姿を見つける。

 テラスからは庭が一望できる。建物に負けず劣らず豪奢な庭で、美しさを感じると同時に、手入れの面倒くささを心配したくなるものであった。

 テラスには雅の強い希望で円形のテーブルと四脚の椅子が置かれている。絵本の挿絵のようなお茶会をするためだ。


「あら、隼人。お話は終わったの?」

「うん。まあ、とりあえずは」

「そろそろケーキが焼けるから、もうちょっと待っててね」

「はーい」


 隼人は雅と入れ違うようテラスへ出る。

 テラスには、雅の他にもう一人、優雅にお茶を口にする百合子がいた。隼人の姿を認めた少女は「おかえりなさい。雛日隼人」と親しみを感じさせない口調で挨拶をする。

 隼人は百合子と対面になる椅子を引きながら、「ただいま」と愛想よく返した。

 

「テレビ見た? 相島さんの顔写真、全国ネットで放送されてる」


 他愛ない話。隼人が先ほど見たばかりの放送の話を持ち出せば、百合子は不快そうに視線を細めた。

 少年を映す意志の強い瞳はぎらりとしていて、か弱そうには到底見えない。画面上の写真と、本物を見るのとは大違いだと、隼人に再確認させた。


「あいにくと、自分の顔は毎日見てるの。見飽きたわ」

「写真じゃあ、気が強そうには見えなかったけどな」


 隼人がぐっと背伸びをすると、首筋から乾いた音がした。


「今日から公開捜査に踏み切ったって。街でも軍人が走り回ってた」

「そんな古典的な方法で見つかると思ってるのかしら」

「はは、友達も同じこと言ってたよ」


 隼人は少年軍略家の口から落ちた言葉をそのまま伝える。

 隼人から百合子に情報漏えいしようとも、彼女には情報を出す先がなく、情報拡散の問題はない。


「いわく、相島さんじゃなくて、相島さんが駆けこんだ先への圧力じゃないかってさ」

「……つまり貴方達に向けての警告ってこと?」

「そう。軍総出で潰しに行くぞ、って」

「ふうん」

「ふうん、って。それだけ?」

「圧力かけられてる貴方たちがこれなんだもの」


 肩をすくめる百合子の前には、ティーセットとクッキー。

 隼人の目線から見れば、作り物のような完璧さだった。美しい庭、いい香りのお茶に美味しいお菓子。次にはケーキが来るらしい。参加しているのも生粋のお嬢様とくれば、足りないものは何だろうか。


「そっか」


 実際、この屋敷にはSSDからのプレッシャーを感じている者はいない。


「――にしても、綺麗に腫れたわね」


 隼人は今日何度目になるか分からない指摘に、ひくりと笑った。腫れを隠すように頬に指を這わす。

 片方の頬は作戦に遅刻した罰、もう片方は隼人にしてみれば彼女のせいでもあった。


「おかげさまで」

「謝らないわよ。私は彼に正論を述べただけ」

「正しすぎて、ぐうの音も出ないよ」


 昨日の機体回収作戦は失敗に終わった。

 機体の中で意識を失った隼人が目を覚ましたのは、夜中のこと、自室のベッドでだった。

 ベッドの傍の椅子に美濃が座っていて、横顔を淡いライトに照らされていた。そして、隼人を待っていたのは、労わる言葉でも、重苦しい反省会でもなかった。


 頬に一発の打撃。


 殴られた理由は寝不足だったからではない。それがまかり通るなら、隼人にだって美濃と雅を殴る権利があるだろう。

 美濃の怒りをかったのは、寝不足の本当の原因だ。


 百合子の密告により、隼人がテスト勉強と嘯き、イオンのために時間を費やしていたことがばれたのだ。


 遠い目をする隼人を百合子は伏し目で観察する。彼がどこまで本気なのか、彼女には判断ができなかった。


「お待たせっ」


 可憐な少女のように、ケーキを運んできた雅は最高潮に幸せそうだ。

 現実逃避に目を泳がせる隼人とはテンションが雲泥の差である。鼻歌交じりでご機嫌にケーキをカットする集いの最年長へ「貴女のお茶とお菓子は素晴らしいわ」と百合子が賛辞を贈った。


「まあ、本当?」

「ええ。その年がいのない能天気な声さえ聞こえなければ、言うことないもの」


 上げて、落とす。つん、とする百合子に雅はびたり、と動きを止めた。素直に喜んだばかりに、続いた辛辣な言葉に反応しきれない。


「雅さん、顔すげーことになってるよ」

「……隼人、慰めて」

「俺もお茶欲しいな」


 うう、と唸りながら、傷ついた顔で雅はティーポットを傾ける。

 注がれる紅茶を眺めながら、隼人はその先の百合子を見やった。


 今やこの屋敷にも随分と慣れたようである百合子は、今のように冗談か本気かも分からない軽口をするようになった。

 ここに来た当初よりはリラックスしているように見える。


 ――ことの始まりは、二週間前に遡った。


 隼人は普段をマンションの方で過ごしている。とは言っても、友人と外をふらつくことが多く、部屋にいても寝ていることが多かったが。

 屋敷には招集されるか、気が向いたときにしか訪れない。その日は後者だった。


 リビングにある共用テーブル一杯に書類を広げる美濃。ソファーに寝そべり、携帯をいじる隼人。雅はオペレーションルームに籠っていて、リビングにいるのは二人だけだった。


『七代目、何か紛れ込んだ』


 真っ先に異変に気付いたのはスレイプニルであった。


 隼人の脳裏にだけ響く言葉は、魔神からの警告。

 ”汚染国有林”と称され、人の出入りの禁止された魔神の領域に何かが入ってくるなど普通にあることではない。

 スレイプニルの声を聞くや否や、隼人は携帯を放った。


「美濃君」


 名を呼ばれても、美濃は何の反応も見せない。

 いつものことだ。それでも、彼はしっかりと隼人の言葉を拾っている。

 続いた「スレイプニルが、何かが入ってきてるって」という言葉に、滑らかだった筆の動きを止めたのがその証拠だ。


「人間? メルトレイド?」

『さてなァ。今のところ攻撃性は感じられなイが』

「分からないって」

「まあ、観光に来たわけではないだろーよ」


 ここに侵入する、ということは、決して簡単なことではない。侵入者の処遇について美濃から指示が出るのを隼人はじっと待つ。


「……任せる」


 全権を放り出した適当だろうと、主人からの命令は絶対である。


「了解。行こう、スレイプニル」


 猟犬は放たれた。


 武装もせず、携帯も持たない。

 できうる最高に身軽な状態で隼人は屋敷を飛び出した。侵入者が何であるのか、一切の情報を持たないというのに、あまりにも無鉄砲である。


 帰ってきたならば、まずは説教か、と呆れる美濃の心など考えもしていないだろう。


 隼人は木々の中を、姿を現したスレイプニルと静かに歩いていた。急ぐにしても走る必要は彼らにはないのだ。


 逞しい八本足の軍馬。風に揺られるたてがみは、美しく艶やかだ。

 スレイプニルの瞳は、闇夜のように真っ暗で深い。そこに入った光は一生、外には出られないような漆黒。そこに紫のもやがかかったような不思議な彩色である。


 凛々しい白に近い灰色の身体が、隼人の傍に寄り添う。


 この森林が続くところは、スレイプニルの庭とも呼べる。


 現在地から目的地まで、地図がどんなに遠距離を示していても、隼人たちには関係ない。正規のルートが徒歩二時間かかろうと、スレイプニルとそれを有する隼人には、二歩で移動できる距離だ。


『止まれ、七代目』


 スレイプニルの制止の声に、隼人は素直に従う。


 遅すぎる警戒だが、辺りからは何ひとつ物音は聞こえない。

 きょろきょろと周囲を見渡す隼人の頭をスレイプニルは優しく小突き、鼻先で侵入者を示した。魔神に促された先、木の根に足を取られた制服の姿が見える。


 黒く長い髪、土で汚れた制服、乱れたスカートから覗く白い足。


「……女の子?」

『魔神ではなイが、易々近寄るな』

「大丈夫」


 隼人の大丈夫は当てにならない。心の声を口には出さなかったが、スレイプニルは隼人を守るために、万が一があっても対応できる位置から離れなかった。


 対する隼人は、恐れも警戒も抱かず、軽い足取りで少女までの距離を詰める。身体を転がし、仰向けにすると呼吸を確かめるために、口元へと手のひらをかざした。


「……生きてる」


 とはいえ、動かない女はまるで死んでいるかのようだった。


 青白い肌、血色の悪い唇。

 触れた肌から温もりは感じられず、小さく上下する胸と、音を殺して初めて聞こえるような呼吸音が、辛うじて生きていることを伝えている。


 そう、この時、獰猛な瞳は隠れていたのだ。現在、雅を見下している高圧さなど、微塵も感じなかった。


「どうしよっか」

『殺すか』

「いやいや、率先して殺人はちょっと」


 死体ではないことは良かったが、彼女をどうすればいいか、の答えは分からなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る