放棄機体回収作戦

第11話 朝十時半放送 博士、これなんですか?

 魔神とは、世界で最もクリーンなエネルギーである。


「例えば、どんなことができるんですか?」


 機能的でなく、デザイン重視の学生服に身を包んだ少女が、こてんと首を傾けてみせた。大きな目をぱちぱちと瞬かせ、蜂蜜のように甘い声が響く。大変に愛らしい。


 が、破滅的に酷い棒読みだ。覚えた台詞を辿っているのが丸分かりである。


 疑問をぶつけられた白衣の男性は「いい質問ですね」とかけている眼鏡の位置を直すと、その場で一回転した。ひらり、と白い裾が舞う。


 子供向けの教養番組。


 博士と助手、という設定なのだろう。二人は大きなスクリーンを間に挟んで立っている。


 青年と少女は、安い効果音を交えながら、魔神のエネルギー利用の実例を挙げていく。大げさな身ぶり手ぶりは、決して自然ではない。


 しかし、その作られた動作よりも、少女の声の発し方の方がどうしても気になってしまう。

 大根役者の実例そのものであり、よくこれで放送にゴーサインが出たなと疑わずにはいられない。


「さて、一番の身近な例と言えば――!」


 男に招かれ、画面の外枠からカートが押し入ってくる。スタッフの影が映り込む前に、制服姿のアシスタントが台車を受け取った。


 ステージ中央に運ばれたその上には、三つのガラス細工のようなもの乗っかっている。


「この擬似世界境界点レプリカでしょう!」


 横幅三十センチくらいの正八面体の結晶。それぞれが三原色に染まっているが、どれも透過していて、背景がくっきりと見える。


 少女は一番右端にあった赤色を取り上げた。


「つなぎ目もなければ、重さもないんですね」

「これは魔神の世界の技術で作られているんですよ!」


 形から分かるようにレプリカは世界境界点を模して作られている。

 世界境界点は世界と世界の交わる場所に現れた異世界の物質だ。


 世界境界点を中心に、約半径二十キロの円形の区画内が世界境界点の影響圏と呼ばれる。

 その土地は侵略された土地であり、世界と世界が混ざり合う場所。この世界で魔神が何の制限もなく生息できる限られた天地である。そして、その場所は世界境界の統べる土地となっていた。


 世界境界点は世界境界が世界境界線を定めることで起動する。

 例えば、第八世界境界点はアスタロトが一ノ砥若桜を認めたことで起動している。

 境界点が起動すると、世界の繋がりがより強固なものとなり、より人間に害悪のある魔神の行き来が可能となる。

 起動していない境界点の影響圏も、魔神の住みかとして同じ特性を持っているが、世界の交わりが弱く、魔神も少ない。


 そして、世界境界の意志は、世界境界線の意志。第八世界境界点の影響圏内はアスタロトと若桜の意思によって自由にできる場所とかしていた。


「では起動してみましょう」

「はい、やってみます!」


 何も難しいことはない。


 一つの頂点を台につけ、倒れないように手で支えるだけでスタンバイは完了である。

 次に、独楽のようにレプリカを回転させれば、レプリカの方から手を離れていく。 


 赤い宝石は淡く灯りながらふわり、と宙に浮いた。


 すると、かすかな可視光がレプリカを中心に、球体を象る膜を作り上げる。三十センチの結晶を呑みこむ、円球はぷかぷかと空気中を漂っていた。


「わあ、浮くんですね!」

「これで準備はいいですね、次は実際に使います!」


 男は白衣のポケットをごそごそと探り、スマホを取り出す。私物なのか、用意されたものなのかは分からないが最新機種のそれを、光の膜で構成されている球の中へと入れ込んだ。


 携帯電話は重力のまま、球の底へと落ちて行ったが、光の膜を突き破ることなはい。


 ものの数秒後、男は膜に手を入れて携帯を取り出すと「この動作だけで、充電は終わりです」と、カメラに待ち受け画面を向けた。

 言葉通り、充電マークは百パーセントを示している。


「えっ、こんな簡単にっ」


 少女の抑揚のない驚きの声。

 いかに棒読みの下手な演技であろうとも、番組が止まることはない。


「ははー、革新的ですねえ!」

「そんな魔神資源化研究の第一人者といえば――」


 続くはずであった台詞は、一瞬で訪れた暗闇にかき消された。


 画面は窓の外と同じ色。

 消えたテレビには、クッションを抱える隼人と、冷淡な眼差しの少女の姿が反射している。


「――魔神掃討機関、通称SSD。そのSSDに属する若き天才科学者、イオン・アクロイド博士」


 リモコン片手に呆れた顔の少女は、流れるはずだった番組の続きを口にして見せた。


 床に座り込んでいた隼人は、恨みがましい表情で彼女を見上げる。


 隼人を見下ろす視線は絶対零度。深海のような黒髪に黒目。相島あいじま百合子ゆりこの深い黒の瞳には蔑みが含まれていた。


 隼人は誰に迷惑をかけるわけでもなく、自室にこもっていただけなのに、と自分の時間を邪魔されたことに頬を膨らます。


「リモコン返して――くれなくてもいいから、テレビの電源入れて」

「飽きないわね。またこの録画なの」

「いいじゃん、別に」


 隼人はぶすっとしながら、腕の中のクッションに顎を埋める。硬さのないそれは、押されるがままに潰れた。


「本当に好きなのね」


 百合子の声色から察するに、感心している訳ではなく、単なる嫌みのようである。


 お互いに電源の入っていないテレビ越しに、視線を交らせる。隼人はすぐに視線を逃がした。


 ここは隼人の自室だ。


 自他共に認める天才科学者のファンであるが、壁にイオンの写真が貼ってあったりはしない。ただ、本棚には彼女の発表した論文や、寄稿した雑誌、インタビューの掲載されている新聞が詰められている。


「……そうだよ。彼女を尊敬してるし、応援してる」


 憧れのあの人に思いを馳せているのか、穏やかに微笑んでいる隼人の心は、ここにはない。


「貴方、明日はテストって騒いでなかった?」


 百合子は手に持ったリモコンを揺らしながら、幸せそうな彼を現実に引き戻そうとする。が、当の本人は「気分転換も大事でしょ」と楽観的なものであった。


「……気分転換、ね」


 呑気にしている隼人の机を見る限り、息抜くほどに勉強にがはかどっているようには見えない。

 部屋の主は「で、ご用件は?」と振り返り、目線でリモコンを渡すよう再び催促した。


 百合子は腕を組み、改めて、隼人を見下ろす。


 彼女の眼力のある視線は、詰問されいているような錯覚を起こさせる強さがあった。百合子にそのつもりがなかろうと、対峙した相手を怯ませてしまうこともあるだろう。


「百合子さんの目、綺麗だね」

「名前で呼ばないで」

「いい名前なのに」

「……喜里山美濃が呼んでるわよ」

「え!? ちょっ早く言ってよ!!」


 瞬時に百合子の言いたいことを理解し、隼人はクッションを投げ捨てた。


 慌てて立ち上がると、力の入らない足は踏ん張ることができず、彼は打撃音と共に床に戻った。バランスを崩しての尻もち。床は彼と離れたくないらしい。


「……立ちくらみ?」

「……違います、ただのあわてんぼうです」


 同じ過ちを犯すまいと、隼人は床に手をつき、丁寧に立ち上がった。が、心は身体を置き去りそうなくらいに急いでいるようだ。

 少年の表情にはまずい、と焦りが滲んでいる。


 隼人はベッドの上に脱ぎ散らかしていた上着を引っ掴んだ。羽織る時間も勿体ないらしい。今さっきの失態を反省もせず、転びそうに重心を動かしながら廊下へと飛び出た。


「わざわざ呼びに来てくれてありがと。百合子さん」

「だから! 名前で呼ばないで!」


 百合子は隼人を追って、廊下に出る。彼女には彼の背中しか見えなかった。


 聞いているのか、聞いていないのか。


 廊下を行く隼人は言葉を返すでもなく、すぐに階段へと姿を消した。

 軽快に階段を下っていく音は、次第に小さくなっていく。聞こえなくなる寸前で、それは騒音に変わった。


 察しはつく。


 百合子は呆れたように、階段方向から目を離す。


 主の消えた部屋に戻る必要はなかったが、百合子は電気のついたままの部屋に入り込み、おもむろにテレビの電源を入れた。


 隼人が見ていたのは録画の番組で、停止されていない映像は当り前であるが進み続けていた。


 画面には先ほどのスタジオではなく、目が痛くなるような真っ白の研究室が映っている。壁に掲げられた機関の紋章が、SSDの施設であると主張していた。


 一人の女性が画面中央に居座っている。


 太い編み目で結われているピンクゴールドの髪。百合子の瞳の色が深海であるなら、彼女の紺碧は海原。右耳にプラチナのピアスが光る。


 この部屋の主が見たかったのは、ここからのシーンだ。

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