第2話 名もなき英雄の追悼式

 博物館と市民会館との間は、人に埋め尽くされていた。


 先ほどにまで隼人のいた博物館も、この市民会館も普段は人気の多い場所ではない。それなのに、今日はそんな通常の姿を連想させない人混みだ。しかも、市民会館側は博物館の敷地内とは比べ物にならない混雑であった。


 市民会館の門から先は、更なる熱気を帯びている。

 隼人は雑踏に流されるように、抗わずに紛れ込む。


 ――”第十回 名もなき英雄の追悼式”。

 立て看板、ポスター、市民会館の屋上から下げられた垂れ幕。どこを見ても視界に入る文字に、隼人はそっと拳を握った。


「最後尾はこちらです! 入場券をお手元に準備してお並びください!」


 最後尾と書かれたプラカードを片手に、拡声器をもう片手に構えた男は群れる人をさばいていた。


「一列になってお待ちください!」


 統制された列に付き添う彼は、拡声器に向かって大声を張り上げる。耳障りに音割れしているが、それくらいが丁度いいとばかりに、周囲も張りあうような喧噪だ。

 隼人は引き寄せられるように、拡声器を持つ男へと近づいていく。


(間に、あった)


 周囲にならい、隼人も列の最後尾に並ぶ。すぐにも後ろに人がつき、あっという間に列の中へ取り込まれる。隼人はほっと胸をなでおろすと同時に、心労による軽い疲れを自覚した。


 連れのいる来場者はいいが、一人の来場者の時間の潰し方は限られる。

 じっと待つか、携帯端末をいじるか。もしくは――。


「すみません。あの、貴女も一人で来たんですか?」


 同じように一人ぼっちの誰かに、果敢にも声をかけてみるか。


「そう、だけど」

「俺もなんです」


 隼人はためらいなく、前に並んでいた女性の肩を叩いていた。

 女性は黒髪で短髪。振り返ったその顔は驚き一色だ。首元までボタンの閉められたシャツに、ボタンの閉められたジャケット。普段着なのか、オフィスカジュアルなのか判別付かない。


 言葉に詰まっている女性に、隼人はにこりと笑って「よかったら、話して待ちませんか」と提案する。

 馴れ馴れしい少年に、女性には少しばかり警戒心が見え隠れしていた。しかし、隼人は笑みを絶やさず、彼女からの不躾な視線を受け流す。


「君、高校生?」


 女性の視線は隼人の制服を凝視していた。聞きたくて聞いたわけではなく、単に思った疑問が口からこぼれたようだった。


「はい。四条坂第二です。ちなみに二年」


 女性の態度など気にせずに、隼人は素直に返答する。四条坂第二で左手にピースを、二年で右手にピースを作ると、歯を見せて笑った。


 へらへらする少年に、女性の方も強張っていた肩の力を抜いた。時間潰しがしたかったのは彼女も同じだった。

 ――相手が高校生ならば下心があろうと問題なくあしらえる。ならば、乗らない手はない。


「ヨンニかあ。こっからだと遠いよね?」

「そうなんですよ。タクシーなんて乗れる身分じゃないし、バスを乗り継いで」


 一転して友好的な女性に対し、隼人の口から出た嘘は彼の本来の予定であった。

 そうするはずだったのだ、寝過ごしたりしなければ。


「ね、メルトレイド見てきた?」

「通り過ぎてきちゃいました。さっきここに着いたので」

「そうなの」


 女性は目は勿体ない、と力強く訴えていた。


「お姉さんは見てきたんですか?」

「うん。何周もぐるぐる回っちゃった。最新型の現行機なんですって」


 少しだけ早口になった口調に、嬉しそうな顔。きっかけをもらい開いた口は、次々と解説を述べた。メルトレイドを語る言葉は、止められないようだった。

 隼人は呆れることなく、しっかり頷きながら彼女の興奮を聞き入れる。


「じゃあ、駅前のあれとは全然違うんですね」

「違うなんてもんじゃないわ!」


 荒げた声に、彼女は自分の口を右手で隠した。確かに、少しは大きな声だったが、周りの雑音はそれをかき消すには申し分ない。

 周囲を見回し、目立っていないことを確認すると、眉を下げた彼女が「ごめんね」と恥ずかしそうに頬を染めた。

 隼人は緩く首を振って、気にしていないこと伝える。


「メルトレイド、お好きなんですね」

「そう。それで、応募したの」


 口を塞いだのとは逆の手、握られていたチケットをひらひらと揺らした。


「君はどうして?」

「俺、イオン・アクロイド博士のこと尊敬してて」

「あー、あの美人科学者ね」


 納得、と何度も頷く彼女は、弱みを握ったかのように意地悪く笑う。


「高校生が一人で、って珍しいなぁと思ったのよね」

「女性が一人で、ってのも珍しいと思いますよ」

「そうかしら」


 列は緩やかな速度で進んでいるが、確実に人を施設内に呑み込んでいる。

 他愛ない話題を交わしながらも、二人の足は前へ、前へと着実に会場に近付いていた。


「チケット、出さなくて大丈夫?」

「え、ああ、そうですよね」


 入口寸前になって、隼人は慌てて鞄の中を漁った。

 折れないようファイルに挟んである封筒、更にその中に一枚の入場券。会場に入れもしないのに集まっている群衆が、欲して仕方ない一枚。


 隼人がそれを手にすると、空気を読んだかのように入館順番が回ってきた。


 赤い軍服を着た受付は「こんにちは」と、プログラムされているような完璧な笑顔を浮かべ、来場者を迎える。

 受付の着ている軍服はこの式典のために用意されたものではなく、彼らが所属する機関の制服だ。魔神掃討機関――これから執り行われる式典の主催である。


「ご来場ありがとうございます。申し訳ございませんが、手荷物検査がございます」

「はい」


 とはいっても、金属探知機にかけられたり、荷物を取り上げられたりはしない。開けられたバックの中身を、赤服が目視で確認するだけの簡素なチェックである。


「ご協力、ありがとうございます」


 簡単で単純、する意味はあるのか、疑問に思うような検査だ。

 確かに、軍の運営するイベントで不祥事を起こそう、という思想はまずないのだろうが、大雑把だな、と隼人は心中で素朴な感想を抱いた。


「パンフレットを受け取りましたら、座席にて開演をお待ちください」


 戻された半券を受け取り、流れのままに進行すると、違う赤服からパンフレットが手渡される。先ほどの赤服とまるで同一の笑顔で来場を迎えられた。


 手に冊子を持ち、無事に入館した隼人は「少年」という呼びかけに呼び止められる。先に入館していた女性が隼人と待っていた。


「じゃあね、話せて楽しかったわ」

「俺の方こそ。ありがとうございました」


 ひらひらと手を振る彼女に、隼人も同じく返す。すぐに彼女の姿は見えなくなり、隼人も自分に割り当てられた座席に向かうためにホールへと入った。


 屋外とは雰囲気がまるで違う。

 隼人が並んだ時間のせいか、座席はほとんど埋まっていた。熱に浮かされた様子はなく、話し声は聞こえるがひそやかだ。


 それは本来あるべき空気なのだろう。

 これは追悼式であり、祭りではないのだ。


 指定されている席についた隼人は、戻された半券を取り出した手順を巻き戻すようにしまい込む。鞄の中、指先に触れた携帯に、ひとつ、忘れていたことを思い出した。


 ――自分はどうやってここに来たのか。


「…………」


 隼人はここへ来るために、ある人物の帰り道を潰してきたのだ。

 隼人は苦々しい顔で携帯を拾い上げると『ごめん、博物館の扉閉めてきちゃった。一緒に帰ろう』と一通のメールを送った。

 それから、これからの式典のためにマナーモードを設定し、携帯を鞄に戻す。


 いや、正確には戻そうとした。


 しようとしたその時、音も振動もなく、画面が点灯したのだ。早すぎる返信。隼人は険しい顔を更に暗くし、恐る恐るメールを開いた。


『理由』


 ただの単語。

 相手は言葉多い人ではなかったが、あまりにも短い。隼人は文面から不穏を感じざるを得なかった。


 どう弁解したものか、と眉間を抑えたところで、ブザーが鳴り響く。まるで隼人を咎める代弁のようだ。

 その合図で、ホールには瞬間で静寂が訪れた。隼人は悩ましげな問題を名残惜しくもなく鞄に隠すと、目先の式典に頭を切り替える。


 ――それはそれ、あれはあれ。どうにかなるだろう。


「名もなき英雄の追悼式へ、足を運んでいただきありがとうございます」


 スピーカーから響く声、壇上にはまだ誰もいない。

 金糸が美しい深紅の幕も下りたままだ。


「この式は、世界に十三の世界境界点が現れた日を、忘れないための式であり――」


 場内の照明が絞られていくのに反し、壇上の明かりは変わらず、煌々としていた。


「魔神掃討機関の設立からの歴史をたどり――」


 がち、と機械音が鳴り、緞帳がせり上がっていく。


「史上でたった一度だけ起こった奇跡。第三世界境界点を消失させた英雄の追悼式であります」


 真っ先に異常を察したのは、最前列に座る客であった。


 誰のものかは分からない絶叫が響く。


 連鎖するように、異常に気付き始めたものたちが順々に悲鳴を上げた。段々と人の数を増していく叫び声は、甲高く、騒がしくなっていく。その高音さと音量が危険指数を示しているようだった。


 隼人の視界で異常を見極められるようになった時には、会場は戦慄と動揺に支配されていた。


 緞帳が上がりきる。

 露わにされたステージには、五人の男と、拘束された赤い軍服の女性。


 軍服の女性の首元に当てられたナイフは、すぐにでも命を奪える位置にあった。赤服以外は誰もが黒装束で、足先から指先、肌色は寸分も見受けられない。全員が銃を持ち、竜を模した面をつけている。


「この追悼式は、俺たちフロプトが仕切る!」


 機械に変性された声は、マイクを通し、確かにこの会場すべての人間の耳に届いた。

 声を上げた中央に立っていた男は、天井に向けて引き金を引く。


 破裂音と共に明かりが一つ消え、無残にも欠片になった照明であった物が振り落ちた。


 きらきらと、無事な照明からの光を反射し、美しく散る。

 動けない者はその場で悲鳴を、足が動くものは我先に出口へと行動を始めるのは自然なことだ。


 それを制止させたのは、二発目の銃声。

 続いて「席に戻るか、その場で座れ。扉に辿りついた奴はその場で殺す」という宣言が、勝手な行動を制した。


 いつの間に現れたのだろうか。

 各出口を竜の面をつけた黒装束が塞いでいた。出口を目前にしていた者は慌てて足を止める。

 有無を言わせない威嚇に人々は口を噤んだ。一瞬にして、会場は異様な静寂に包まれる。


「この式は、うちのリーダーの偉業を讃えるための式だ!」

「名もなき? 違う! 英雄の名はカオル!」


 彼なのか、彼女なのか。性別は分からない。全員が同じ声で口々に己らの主張を叫ぶ。


 壇上と客席との差は、物理的な高さだけではなくなっていた。


 恐怖で混乱する観客の何人が、彼らの言い分を理解できているというのだろうか。

 それでもフロプトと名乗る集団は、宣誓を止めることはなかった。


「SSDの連中は間違ってんだよ!」


 隼人は頭を抱えた。

 事実を受け入れられない。

 先ほどの不穏なメールの方が、まだ可愛い問題であった。今度の問題は、鞄の中に隠せる大きさではない。


「――そして、歴史を自分たちのいいように捻じ曲げている」


 中央に位置していた竜面が、一歩、二歩と前にせり出す。


「踊らされるお前たちも、同罪だ」


 竜面の足元から、影がうごめくように揺れる。ぞわり、と背筋を上る寒気に、隼人は反射的に顔を上げた。


 一瞬のことだった。


 ステージに現れたのは、その半分を埋める大きさの獣。

 毛皮に覆われた巨体に、口には隠しきれない牙。百獣の王を魔神として存在させるなら、このような姿になるだろう。

 ――実体を持つ魔神。

 獅子のような魔神は太い四本脚で雄々しく立ち、咆哮をあげる。声だけで施設を破壊するような圧があり、怯える人々から悲鳴すら奪った。


 この後の展開など、どうにも予想できない。

 ただ、悪い予感と最悪の想像だけが人々の思考を占める。


「マグスはフロプトの専売特許ではない」


 発言権を握っている黒装束以外が言葉を発しない空間で、客席からの声は異様であり、聞き逃す者などいなかった。


「名もなき英雄など、過去だ!」


 隼人の席からは、八人が立ち上がったのを確認できた。

 そして、その全員の身体にまとわりつくような様々な形をとる魔神の姿。光浴びるステージを自分のものにしている魔神よりは、何倍も小さい魔神であるが、単純計算で数は勝っている。


「この式は、追悼式ではなく、彼の救世主の壮行式!」

「救世主、若桜わかさ様こそが至高であるのだ」


 全員揃いの白の法被。

 ご丁寧に一ノ砥いちのと組と書かれたそれを、どのタイミングで羽織ったのだろうか。着ていれば、会場内に足を踏み入れるどころか、危険思想で現行犯逮捕されていてもおかしくない代物だ。


「一ノ砥組だぁ? なんだよ、雁首そろえて、俺達のまねごとか?」

「若桜様に栄光あれ!」

「裁いてやるよ! 審判者は俺達、フロプトだ!」


 銃声と魔獣の雄叫び。

 ほんの数分にして戦場と化したホールで、隼人は脱力するのを感じずにはいられなかった。混迷していく現状を眺めながら、心を占めるのは身の危険ではなく、軍への悪態。


 ――魔神掃討機関は一体何をやっているのか。


「……嘘、嘘だって言って、誰か……」


 この世の終わりが到来したかのような呟き。隼人の独り言は、誰にも拾われることはなかった。


 答えの代りに、非常警報が鳴り響き、竜の面に封鎖されていた出口は外側から突破される。黒装束と白法被の小競り合いに、好機と青い軍服たちが、会場へと押し入ってきた。


 三つ巴の戦争である。

 止まっていた時間が動き出した。


「イオンの演説が中止なんて、信じない」


 軍人と引き換えに人々が外へ出ようと押し寄せている中で、隼人は客席から立ち上がることができなかった。

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