第27話 少年、「人生を変える一発」を見つける(前編)

 僕らと宿木は倉庫の机を挟んで静かに睨みあう。


 そんな状況をよそに榎田が怯えた声を上げる。彼は今にも走り出しそうに倉庫の扉に手をかけていた。


「は、早く逃げましょう! 警察が来ます!」


 だが、宿木はそんな彼を厳しく叱咤する。


「うろたえるな! その女と量子コンピュータさえ持って逃げればまだいくらでも立て直せる。……さっさとその女を捕まえろ!」


 茨木と檜原がその指示に応えて、腕を鳴らしながら僕らの方に近づいてきた。


 だが、僕にだって切り札はある。


 先刻倉庫に入るときに茨木にボディチェックをされたのだが、流石の彼も上着のミニポケットの中のたった一粒の小さな錠剤は見逃していた。


 言うまでもないが、鴨井に譲ってもらった恐怖心と痛覚を感じさせなくする薬である。既に前日に音声による暗示は済ませてあった。そして僕は花咲が宿木とやり取りをしている間にこっそりと薬を服用していたのである。


「させるものか!」


 こいつらが花咲にしたことを思うだけで、全身の血が沸騰して体中に力がみなぎる。今の僕は彼女を守るという目的のためなら、人を傷つけることにいささかの躊躇もないだろう。


 僕はすぐ近くのデスクを踏み台に軽々と飛び上がる。ちょうど人の顔面が足元に来るほどの高さだ。その飛び乗った勢いと自分の体重を全て乗せるように茨木の喉元に鋭く飛び蹴りを叩きこんだ。


「ぐぇっ!」と潰されたカエルのような声で茨木がうめいてそのまま後方に仰向けで倒れる。茨木の後ろにいた檜原も機先を制されてひるんだ。


 檜原が「うわっ」と驚いて声を上げたところで「さっきのお返しだ!」と僕は拳を檜原の顎先めがけて振りぬいてやる。


 どうやら脳震盪を起こしたようで檜原は一瞬よろめいた。その隙に僕は近くにあったオフィスチェアを持ち上げると、とどめとばかりに檜原に振り下ろす。


 流石の大男もこの一撃には「ぐは」と声を漏らしてそのまま昏倒した。


 人数と力で劣っていても気迫と覚悟があればここまでできるものなのか、と我ながら心のどこかで驚いてしまうほどだ。

 

 もっとも金儲けのために弱者をなぶるだけの簡単な仕事でいたつもりの彼らと、自分と花咲の命が懸かっているうえにアドレナリンが分泌した興奮状態にある僕では戦意に差があったのも事実だろうが。


 これで残りは榎田だけのはずだ。


 僕が素早く周囲を窺うと「うわーっ!」という悲鳴と榎田がガガッと鈍い金属音を立てて扉を開く音が響いた。


 扉の隙間から、夜の港の倉庫街と走っていく彼の背中が見える。僕の剣幕に恐れをなしたのか警察が来るのを恐れたのか、真っ先に逃げ出したようだ。元々荒事が得意な人種には見えない。あくまでも薬品関係や外部との交渉の手伝い要員だったのだろう。


 そのまま脱兎のごとく彼は姿を消してしまった。とりあえず彼はもう無害とみていいだろう。


 僕が振り返って倉庫の中を見渡してみると、既に宿木の姿も消えているではないか。


 残っているのは倒れた二人の男と花咲だけだった。


「花咲。宿木は?」


 花咲はとぼけたような顔で肩をすくめる。


「……君が二人を倒したのを見るや否や倉庫の奥に行ってしまった。いざという時のために反対側に裏口があったからそっちから逃げたのかもしれないな」

「自分は部下に僕らを捕まえるように言ったくせに? 呆れたな」


 警察が到着するまではもう少しかかるようだ。


 僕は花咲に使われていた拘束バンドと室内に転がっていたケーブルを使って倒れていた男たちを縛りあげた。


 二人だけになった僕と花咲は顔を見合わせて「ふふっ」と笑う。


「どうやらこれで無事に量子コンピュータは戻ってきそうだな」と僕はため息交じりに呟いた。


「ああ。倉庫の二階にあるはずだが、一応確認しておくか」


 花咲はそういうと倉庫の階段を登り始める。


 二階の区画は殺風景なコンクリートがむき出しの物置だ。見るとそこには確かに花咲の家にあった量子コンピュータが保管されていた。


「よし。それじゃあ、後は私の家に残っている開発記録と照合して警察に説明すれば盗んだことはわかってもらえるだろう。自白した音声も動画で残っているのだからな」

「これからどうなるんだ?」

「……しばらくは忙しくなるかな。警察が来たら状況を説明しないといけないし、私も指名手配犯にされたままかもしれないから、違法アクセスして警察の犯罪データを改ざんしたログを見つけないといけない。被害者として取り調べも受けるだろうし、マスコミも騒ぎ立てるだろうな。騒がしい毎日になりそうだ」

「ええ? 期末テストが来週なんだぞ? 赤点回避できるかな……」

「心配なら私が勉強を教えるさ」 


 花咲はうんざりした表情の僕ににこやかに微笑んでみせる。


 ふと、僕は気になることを思い出した。


「そういえば、花咲」

「ん?」

「今回花咲がしたことってさ。ゲームアプリで情報をかく乱して、ダミーの量子コンピュータのプロトタイプがあるところにあいつらをおびき寄せたってことだよな」

「そうだが」

「それで、そのダミーにはウイルスが仕込んであったから、接続した宿木の量子通信グラスをハッキングできた。その時の演算にはゲームアプリをプレイしている無数の利用者のスマホやパソコンを利用した、と」

「そのとおりだ」

「……ということはあいつらにウイルスをかませて、ハッキングに成功したのは『花咲が捕まったあと』なんだろ? それじゃあ、どうやって宿木の量子通信グラスを乗っ取って、僕が来たタイミングで動画を撮影したり、それを宇田にメールで送るなんてことをやったんだ? 見たところパソコンもスマートフォンも取り上げられていたみたいだが」


 果部に頼んでゲームアプリをばらまいたのは僕だし、それによってサジェスト汚染を起こし撮影場所を誤認させることができたのはわかる。またあらかじめウイルスが仕込まれたダミーのプロトタイプについても、真っ先にアクセスする可能性が高いのは宿木だろうから、最初にアクセスしたモバイルにハッキングをかけるようにプログラムすれば問題ない。


 しかし事前にプログラムを組んで、自動的に何とかできるのはそこまでではないだろうか。


 ウイルスでハッキングに成功しても、肝心のその先を「花咲自身が操作するためのモバイル」がないではないか。


 現に僕はこの倉庫に入ってきたときに茨木にスマートフォンを取り上げられてしまった。いわんやホテルで捕まって荷物も取り上げられ、下着姿にされてしまった彼女がどうやって宿木の量子通信グラスを乗っ取って操作していたのだろう。


「ああ。そのことか。これを使ったんだ」


 花咲は自分の胸元を指さして見せた。


 僕は彼女の薄ピンク色の下着に包まれた形の良いバストを思わず凝視する。


「え? 色仕掛けであいつらの誰かにパソコンを使わせてもらったってこと?」


 そんなの僕がされてみたい。


「いや違う。……何を考えているんだ、君は。そうじゃなくて、これだよ。これ!」


 彼女の胸元で揺れていたのは以前見せてもらった薄紫色の透きとおった石が付いたペンダントだ。確か父の形見だと言っていたが。


「え? そのペンダントで? どういうことだ?」

「このペンダント、実はただのアクセサリじゃないのさ」


 花咲は悪戯っぽく笑うとペンダントを外して床に置いた。そして石の台座をすこしひねる。すると微かに電子音が聞こえて、壁にプロジェクターのようにOSの起動画面が投射された。また同じように床にはキーボードが映し出される。


「すごいな。そのペンダント、小型のモバイルパソコンだったってことか」

「ああ。薄暗くて平らな場所と壁さえあれば、光感応センサーによるキーボードと操作画面をこんな風に映写できるんだ。生前の父からいざという時に役に立つかもしれないからと持たされていた。……あいつらにボディチェックされた時もこれだけはたまたま見逃したわけさ」


 同じようなものなら現代の技術でも作れるだろうが、十数年前に既にこれほどの小型化に成功していたのは凄いことかもしれない。


「私が電子工学に興味を持ち始めた時に、わざわざ職場の研究所の電機製品部門の知り合いに頼んで特別に作ってもらったんだそうだ。とはいえ、すでに携帯電話も普及していた時代にわざわざこんなものを作らなくとも、と少し呆れたこともあったんだ。しかしせっかく作ってくれたものだったし父の愛情表現には違いなかったからずっと持ち続けていた。いや、まさかこんな形で役に立つとはね」

「花咲のお父さんが守ってくれたのかもしれないな」


 僕は思わず感傷的につぶやいた。


「しかし、こんなものがあったならメールか何かで連絡してくれよ。こっちは心配したんだぞ」

「そうしたかったのはやまやまだが、常に監視されていたからなかなか思うように行かなかったんだ。あいつらがウイルス入りのコンピュータにひっかかって、ここに持ち帰ってきたのは私の方でも把握できたが、その後トイレや深夜の寝ている間にこっそりと宿木の量子通信グラスにバックドアを設定するのは大変だった。それを基に気づかれないように録画機能をオンにするコマンドをあいつの部下のモバイルに実行させて宇田さんのアドレスに送信するようにプログラムを組んだんだぞ。私もいっぱいいっぱいだったんだ」


 余裕があるように見えていたが、彼女もやはり薄氷を踏むような思いだったらしい。


 それでも、彼女は僕が自分の伝言通りにやってくれるのを信じて期待してくれていたのだ。そのことは僕にとって少し嬉しく思えた。


 だがその瞬間。


『バァン!』という何かが破裂するような大きな鈍い音が部屋の中に響き渡る。


 同時にコンクリートの床に穴が開いた。


 僕は一瞬何が起こったのか理解できなかった。


「なるほどなあ! そんなものを隠し持っていたわけか!」

「……宿木くん」


 花咲のつぶやきに振り返るとそこに立っていたのは、確かに宿木高志だった。だがさっきと違う点が一つだけある。彼の手には金属のかたまりが握りしめられていたのだ。


 そう。それはドラマや映画ではよく見かけるが、現実に目にすることは滅多にない黒くて鈍く光る凶器。拳銃だった。

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