3-2 決闘の裏

 雷の記憶。

 それは、ティア・エルシア・ウィットランドの中には存在しないものだった。

「……大丈夫かい、ティア?」

 アルバトロスとアンナの去った部屋、ニグルは自らの椅子へと座るよう促すも、ティアはそれに首を振る。

「私は問題ない、あの場には居合わせていなかったからな。先程も……その前も」

 ティアの口元に浮かぶのは、緩い笑み。それは、自嘲の笑みだった。

 ティアはヨーラッド・ヌークスを知らない。名前は、存在は知っていても、その姿を直接目にした事がない。

「すまない、僕は――」

「いや、私が悪かった。よりによって、お前に当たるなんて。一番辛いのは、兄さんと共に討伐隊に出たお前だろうに」

 ヨーラッドの活動域からは離れていたマレストリ王国で彼を直接知るのは、かつて大陸中から魔術師を集め編成されたヨーラッド討伐隊に参加していたもののみ。

 その唯一の生き残りが、他でもないニグル・フーリア・ケッペルだった。

「……この話は、やめておいた方がいいかもね」

「そうだな、そうしよう」

 小さく零し椅子に腰掛けるニグルに、ティアは頷きを返す。

「……それより、差し迫った問題についてだ」

 短い沈黙は、女騎士の言葉に打ち破られた。

「アルバトロス卿の決闘、か。避けたい話題だけど、そうはいかないだろうね」

 大仰に頭を抱える素振りをしながら、ニグルは言葉を続ける。

「それで、ティアはどう思う?」

「無理だろう。アルバトロスの、本人曰くの魔術的才覚がどれほどのものであっても、それだけで身に付くほど変成術は甘いものではない」

 アルバトロス自身の語った、彼がヨーラッドと拮抗する力を得る可能性について、ティアは懐疑にすらならない明確な否定の感情を抱いていた。

「まぁ、そうだろうね」

 そして、それにニグルも同調する。

「なんだ、てっきり何か手でもあるのかと思ったが」

「別にそういうわけじゃないよ。本人も言った通り、試して損はないとは思うけど」

 浅い笑みを保ったまま、ニグルが背もたれに深く寄り掛かり、反動で起き上がる。

「それにしては、随分と落ち着いているようだが?」

「決闘するのは僕じゃないからね。……ああ、冗談だよ」

 ティアの表情を見て、少し真顔に戻って言葉を取り下げる。

「人間、本当に困った時には中々慌てたりできないものだね。そのためのエネルギーも無くなる、って言うのかな。僕じゃあヨーラッドをどうにもできないって事はもう十分にわかっているし」

「何か、策はないのか? 弱点や対策は?」

「そういうものがあったなら、こんな事にはなっていないよ」

 ヨーラッド・ヌークス討伐遠征の顛末について、ティアはニグルの話でしか知らない。更に言えば、ティアは自らそれを聞く事を避けてきていた。

 それでも、大陸中の魔術師を集めた討伐隊を相手にしてなお、今もヨーラッドが表舞台に姿を現す事ができたという事実だけはたしかだった。

「……来るにしても、まさかこれほど早いとは」

 眉をひそめるニグルに、下唇を強く噛むティア。表情は違えど、思い浮かべている事はほとんど同じだろう。

「おそらく、ヨーラッドはウルマと組んでいる」

 ニグルの呟きに、ティアが目を見開く。

「負傷はともかく、ヨーラッドが以前のように自由に動くには組織の力が必要だ。公の場に姿を現して、その上アルバトロス卿に宣戦布告するような余裕は今のあれにはない」

「ウルマが匿っているからこそ、ヨーラッドはあのような場に姿を現せたと?」

「それに、タイミングが良すぎるからね。ウルマから決闘の申し込みを受けて、まだ二日と経ってない。明日にでも、ウルマは決闘の代表者がヨーラッドだと告げて来るだろう」

「もしそうだとしたら、尚更最悪じゃないか」

「本当にそうなんだよね。ウルマからの提案を断っても、アルバトロス卿が決闘を受けた事に変わりはないし。そこに便乗されると、問題を切り離すだけでもなかなか面倒だ」

 顔を歪めるティアと対照的に、ニグルの表情は笑みへと戻っていた。

「それで、結局どうするつもりなんだ?」

「それは君が決める事だよ、ティア」

 焦りからか、詰め寄るようにして発されたティアの言葉に、ニグルは笑顔で切り返す。

「言っただろう、ウルマとの決闘に関しての決定は君に任せるって。今は前線にも出れないんだし、じっくりと考える時間もある」

「それは……だが、決闘を私が戦うという前提だったからじゃないのか?」

「そうだね、たしかにそれもある。だけど、今の君は騎士団長で、僕はあくまで護衛長に過ぎない。最初から、この戦争に関する最終的な決定権は君の方にあるんだよ」

「だが……っ」

 何かを言いかけようとして口籠ったティアを見て、ニグルはゆっくりと背もたれに体を預けていく。

「君にヨーラッドの問題を預けるのが酷な事はわかっている。でも、だからこそ君が決める必要がある。そうでないと、一番苦しむのは君自身だ」

「……そう、だな。今度こそ、私が」

 決意の声は、しかし力なく響いた。

「少し時間をくれ。考える時間がほしい」

「ああ、そうするといい」

 踵を返し去っていくティアを、黒髪の魔術師は腰掛けたままで見送った。

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