第65話 大坂1

 初日に商談が成立し、スポンサーの獲得まで成功した初は、いきなり暇になってしまった。


 船で運んできた商品は、最初から納入先が決まっている。細かな値段の取り決めや、新たな販路の確保は光定の仕事で、初に出る幕はない。


 到着してから二日間は、滞在先の海生寺の支院で身体を休めた。船酔いの後の二日酔いで、さすがに体力が限界を迎えたためである。


 菊たちの看病もあり無事回復した初は、周囲の勧めもあって、堺の街を見物しに出かけた。


 乱立する寺社を巡り、美味いものを食べる。比較的庶民向けの湯屋を覗いた時には、少々過激なサービスがあって面食らった(この時代の湯屋は、そういうお店としても営業している)。

 一週間ほどかけて、初は堺の街を大いに堪能した。


 無論、その間に仕事も忘れない。


 この時代の堺は、最先端技術の集積都市だ。包丁や刀、鉄砲といった鍛冶仕事に、鍋や釜、鐘などの鋳物。各地からは、絹や麻、木綿の織物が集まり、茶の湯の流行もあって、街中は陶器の博覧会といった風情である。


 初は、堺に軒を連ねる店を覗いては、様々な商品を見せてもらった。

 現代でも、刃物の街と言われる堺だが、この時代の製品も素晴らしい。鋳物の出来も見事だ。気になった品は、今後の参考にと購入していく。


 織物は、安宅荘に軍配。明からの製品を除けば、国内の敵は都ぐらいか。

 陶器に関しては、判断が難しい。明の磁器は素晴らしいが、国内の製品もバラエティに富んでいる。安宅荘の陶磁器産業は、まだ始まったばかりなので、学ぶべき点も多い。


 そうして、様々な製品に目の色を変える初をおもんぱかってか、宗陽が取引先の工房を見学できるよう取り計らってくれた。

 有り難い申し出に、初は意気揚々と出かけて行った。


 菊の冷たい視線を他所に、初は職人たちの技術を貪欲に吸収していった。職人たちの手元を覗き込み、わからないことがあれば問い質す。


 微に入り細を穿つ初の質問に、最初は微笑ましいものを見るようだった職人たちの目が、だんだんと焦りを帯びていった。初の質問に対しても、徐々にぼかすような答が増えていったのだが、初はそれを許さない。


 納得するまで徹底的に問い倒し、無数の技術情報を聞き出した初だが、半月ほど経った頃、はたと気付いた。


「……いや、さすがにこれはナイな」


 技術とは、職人が長い時間をかけて身に着け、発見したものである。それを武士の身分と、紅屋の威光を盾に聞き出すのは、さすがにマズい。半泣きの職人たちを前にして、初は己の行いを反省した。


「これからは、純粋に職人の技術を見学させてもら……」

「初姫様。申し訳ありませんが、これ以上は」


 堺の鍛冶師、鋳物師、繊維業者、それぞれが結成する座(同業者組合のようなもの)から、もの言いが付いたという。


 街中の工房に出入りする、怪しげな姫を警戒するよう触れが出回った。もう、どの職人も受け入れてくれないと宗陽に言われ、初は意気消沈した。


 光定は、今井、平野、四天王寺。さらに淀川を遡って山崎、宇治にまで出かけており、仕事を終えるには、今しばらく時間が掛かる。


 退屈する初を気遣い、宗陽は茶事を催したり、豪商たちの娘を招いて連歌、踊りを披露してくれたが、今一つ気が乗らない。初も、これも付き合いと思い、割り切って参加したが、連日となると、さすがに苦痛になってくる。


 初から知識を引き出そうとする商人とのやり取りや、女同士の複雑怪奇な神経戦に、初はすっかり疲れ切ってしまった。


「……姫様、お行儀が悪いですよ」


 畳の上に、ぐでっと寝そべる初を見て、菊が苦言を呈する。いつもなら多少は菊に配慮する初だが、今はそんな気力すら存在しない。


「誰かに見られたらどうするのです。嫁の貰い手がなくなりますよ」

「別にいいよ、そんなの」


 むしろ、なくなって欲しいくらいだと初はぼやいた。


「また、そのような戯言を」


 芋虫になってしまった初を見て、菊が珍しく嘆息する。


 ごろごろと畳の上を転がっていた初は、廊下から聞こえた足音に、動きを止めた。

 この身体になってより、約十二年。武家の姫として、今の姿を見られたらマズいことくらい、初も自覚している。


 渋々と身を起こし、菊に着物の裾を正される。とりあえずの格好をつけた初は、障子を引いて現れた人物を出迎えた。


「兄上?」

「うむ。遅れてすまなんだな、初」


 やってきたのは、新三郎頼定しんざぶろうよりさだ。安宅家の次兄だった。


 旅装に身を包んだ頼定は、刀を置き、どっかとその場に座り込む。

 湊からそのままやってきたのか、頼定の身体からは、強い潮の香りが漂っていた。


「随分、遅かったですね。何か、お家で問題でも?」

「いや、少々雑務が立て込んでな。思ったより時間が掛かっただけよ」


 本来ならば頼定は、今回の船旅に同行するはずだった。それが出航の直前になって、急な仕事が入ってしまい、一人だけ安宅荘に残っていたのである。


 十日ほど遅れて堺へ来るはずだったのに、今日まで掛かってしまった。なかなかやって来ない頼定を、初も心配していたところだ。


「いったい、どんな仕事だったんですか?」

「お主が気にするようなことではない。些末な話よ」


 気にするな、と一蹴される。何も話そうとしない頼定の態度が、初には不満だった。


 初がまだ幼いからか、それとも女と侮っているのか。安宅家の者たちは、初に仕事の話をしたがらない。

 父の安定も、長兄の直定も、いまだに初をお姫様扱い(実際そうなのだが)する。それが、どうにも歯痒かった。


「堺はどうじゃ、初? 日ノ本でも有数の街。珍しいものが多かろう」


 席を立った菊が、盆を手にして戻ってくる。

 急須で淹れる煎茶は、江戸時代に生まれたものだ。それを青涯が再現し、今では安宅荘の特産品となっている。


「一月もいれば飽きまする。近頃は、街を出歩くこともできませんし……」


 どういうことかと糸目を開く頼定に、菊が事の経緯を説明する。


 堺の工房を荒らしまわったせいで、初が外出しようとすると、座の関係者に監視されると聞いて、頼定は苦笑した。


「相変わらずじゃのう、初は」

「私だって、反省してるんです。今後は、無理に技術を聞きだしたり、盗んだりしないと誓ったのに、あいつら全く信じてくれなくて」


 膨れる初に、頼定は苦笑の色を濃くした。


 そのせいで、ここしばらく寺に籠りきりだという初に、頼定は思案顔となった。


「……ならば、初。退屈しのぎに、大坂おおざかへでも行ってみるか?」

「大坂?」


 初は、きょとんと目を瞬いた。

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