第53話 生糸

 安宅荘が、現在の繁栄を手に入れた第一歩は、絹だったと宗陽は語った。


「日本の絹は、明に比べて質が悪かったですからな。せいぜい、真綿くらいにしか使い道がなかったもので」


 うち続く戦乱の影響もあり、養蚕を行っている国自体が、減っていったという。


 熊野でも昔から養蚕は行われていたが、ごく小規模なものだった。糸を吐く蚕自体が、明の品種に比べて劣っており、作ってもあまり銭にならなかったからだ。


 そこへ青涯が、明から蚕種さんしゅ(蚕の卵)を持ち込んだ。


「明の嘉興かこう湖州こしゅう(ともに現在の中国浙江省に存在する都市)は、生糸の産地として有名でしてな。そこから、伝手を頼って取り寄せたとか」


 まったく、青涯殿の顔の広さときたら──宗陽は苦笑する。


 海を渡る間に、ほとんどの蚕は死んでしまったが、奇跡的に数個の蚕種が生き残った。青涯は、そうした密輸入を何度も繰り返し、ある程度の蚕を確保すると、日本国内の蚕と交配──品種改良を始めた。


 納得のいく糸を作れる蚕が生まれるまで、十年ほどかかった。その間に青涯は、農業改革を進めて百姓たちの生活を安定させ、養蚕の技術を伝授して回った。


 それまで日本で養蚕が、なかなか広まらなかったのは、技術面の影響も大きい。蚕が糸を作る時期と、農繁期が重なっていたため、充分に世話をすることができなかったのだ。


 それを解決するため、青涯は蚕を育てる小屋を、炭を燃やして暖める方法を考案した。


 適度な温度と湿度で管理された蚕は、食欲が旺盛となり、通常よりも早く成長する。その分、糸を採れる時期が早まるというわけだ。


 農業と両立ができるようになった養蚕業は、安宅荘から周辺へと広まり、今や熊野は、生糸の一大生産地へと変貌した──


「わたくしが青涯殿と出会ったのは、もう二十年ほども前でしてな。当時、店を継いだばかりだったわたくしの下に、青涯殿は生糸を持ってこられた」


 宗陽は、当時を思い出すように、遠い目をした。


「国内の生糸など、質が悪くて使えぬ──そう言って、門残払いしようとしました。しかし、青涯殿が持ち込まれた生糸の輝きは、唐渡の品に勝るとも劣らない。まるで、乙女の柔肌のごとき生糸に、わたくしは一瞬にして魅せられました」


 以来、紅屋では安宅荘で産する生糸を、独占的に買い付けている。その品質は、熊野産の生糸の中でも群を抜いており、もはや明の生糸すら凌駕していると、宗陽は言った。


「驚くことに、安宅で採れた生糸は、明へ持って行っても高値で売れまする。その評判に目を付けて、近頃は偽物まで出回る始末でして」

「なにっ、それは真か!?」


 由々しき事態だと、光定は身を乗り出した。


 偽物が出回る恐怖は、初にもわかる。現代で、外国製のコピー商品が、ダンピング価格で売られるのと同じだ。


 本物を作っているメーカーは、偽物が売れた分だけ損失を被るし、品質の悪い偽物を使った消費者からは、本物を作るメーカーに苦情が入る。そうやって信用を失えば、メーカーの存続すら危うくなることだってありうるのだ。


「対策は、どうなってるんですか?」


 眉間に皺を刻む初に、宗陽は「これは、ここだけの話にしていただきたいのですが」と声をひそめた。


「先日、公方くぼう様の御側近方に伝手を得ましてな。なんとか、御公儀ごこうぎの免許をいただけないものかと、交渉しているところでして」


 公方、と言われて一瞬わからなかったが、室町幕府の将軍のことだ。


 歴史の教科書でしか知らないような人物と伝手があると聞いて、初の胸は高鳴った。歴史には、それほど詳しくない初も、そういう大物にはやはりロマンを感じる。


 しかし、わくわくする初とは対照的に、光定は口元を歪めた。


「……頼りになるのか、それは? 先日まで、近江に落ち延びられていたようなお方だぞ」

「その点は、心配いりませぬ。今代の公方様は、なかなかの人物と評判でして。少々強引なところはございますが公事沙汰くじざた所務沙汰しょむざた(ともに訴訟の意)の処理にも精力的だとか。ただ、公方様の周辺が少々」

右京大夫はるもと殿か……」


 光定と宗陽は、揃って渋面を作った。


(たしか、幕府の管領かんれい? だった人だっけ……)


 初は、青涯や周囲の人間たちから聞きかじった話を、思い返した。


 管領、というのは幕府において、将軍に次ぐ最高の役職だ。将軍を補佐して幕政を統括し、重要な儀式に参列して行事を執り行ったりする。


 もともと管領職は、斯波しば氏、畠山はたけやま氏、細川ほそかわ氏の三家が持ち回りで務める役職だった。しかし、斯波氏は当主の早世が続いことで没落。畠山氏は家督争いを発端として、幕府内での地位を低下させた。結果、管領職は細川氏が独占することとなる。


 やがて畿内での影響力を増していった細川氏は、政元まさもとの代になると、当時の将軍を追放。新たな将軍を擁立するなど、非常に大きな権力を持っていた時期もある。しかし、政元が暗殺されると、細川氏もまた家督を巡って内紛を始めた。

 いわゆる応仁の乱以降、足利将軍家は二つに分裂した状態が続いている。内紛を起こした細川氏は、それぞれに将軍の正当な後継者を掲げたため、争いは数十年に渡って行われた。


 この争いに決着をつけたのが、細川右京大夫晴元ほそかわうきょうだゆうはるもとである。


 敵を攻め滅ぼし、政敵を排除した晴元によって、幕府は一つにまとまるかに見えた。しかし、長年の争いによって、細川氏は重臣層の多くを喪失。政権運営能力を失った細川氏に代わり、晴元の家臣であった三好長慶みよしながよしが台頭する。


 幾度かの争いを経て、晴元は将軍と共に、近江の朽木谷くつきだにへ逃亡。将軍と三好氏が和睦して以降も、晴元は抵抗活動を続けている──


(──なんというか、しっちゃかめっちゃかだな、この時代)


 複雑な歴史の流れに、初は胸中でぼやいた。


 一応、細かい話も青涯から聞いてはいるのだが、まったく覚えていない。お互いに裏切ったり、裏切られたり、あっちに付いたり、こっちに付いたりと、勢力関係が非常にややこしくて、そもそも覚えられる気がしなかった。


「公方様は、三好家と右京大夫はるもと殿の和睦を模索しておられるそうです。伝え聞いた話では、右京大夫殿も長年の戦に疲れ果て、もはや抵抗の意思はないということなのですが……」

「胡散臭いのう」


 都者みやこものは信用ならん、と光定はにべもなかった。


 宗陽も万が一の場合を考え、朝廷にも御用ごようをいただけないか働きかけてみると言った。


「なかなか、思うようにはいかぬものですなぁ。畿内も、やっと落ち着いてきたと思ったのですが」

「わしらも同じよ。尾州(畠山高政)様は昨年、河内を失い、衰亡ぶりは目に余る。領地を追われた重臣どもが、早くも尾州様をせっついておるそうじゃ」

「では、また三好家と戦に?」

「早晩、そうなるやもしれんなぁ。まったく、困ったことよ」


 揃って肩を落とした二人は、どちらからともなく首を振った。


「いかんいかん。ため息ばかり吐いていては、貧乏神が寄ってきてしまう。もっと明るい話をいたしましょう」

「そうじゃそうじゃ! こういうときは、商いに限る。宗陽殿、こちらの品はどうかな。安宅荘で作られた、焼き物じゃ」

「ほう、それはぜひとも拝見したいですな!」


 それまでの陰鬱な雰囲気を振り払うように、光定たちは商売の話に花を咲かせた。


 安宅荘の産物は皆、飛ぶように売れる。今回、初たちが持ってきた船三隻分の交易品のうち、一隻分はすべて、紅屋が引き取ることに決まった。

 残る一隻は紀州屋へ。もう一隻は、堺の様々な商家へと卸される。


 商談がまとまりかけたところで、宗陽は「ところで」と、どこか申し訳なさそうに切り出した。


「今回のお代についてなのですが、少々待っていただいてもよろしいでしょうか?」

「紅屋には、世話になっておるでな。多少は構わぬが……」


 怪訝そうな顔をする光定に、宗陽は恐縮しながら、


「実は、銭が不足しておりまして」

「なに? 何か、商いで失敗でも」

「いえ、そういうことではございません。足りないのは、民部大輔みつさだ様にお支払いする銭でして」


 初は、光定と顔を見合わせた。どうにも話が要領を得ない。


 宗陽も、今の話し方では不信感を持たれると思ったか、詳しい事情を語ってくれた。

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