第15話 ネズミ/Un ratto

 翌朝、俺は少し遅めに起きた。


 残してあった湧き水で顔を洗い、歯を磨く。


 今にして思えば、昨日、ウサギの魔物を見ておいて良かった。

 姿が分からない何かがいるというより、こういうものがいるとハッキリ認識したほうが安心出来るからだ。


 そのお陰か、昨日は肩の力が抜け、500メートル以上先には魔物が数匹いるとのことだったが、あまり緊張しないで眠れた。

 

 周囲はヒカリが警戒してくれている。

 こちらに近づけばすぐに教えてくれる。

 

 ヒカリのことを信用出来ると思えていることも安心要素の一つだ。


 魔物、恐るるに足らず・・・・

 こちらを見て逃げ出すようなウサギの魔物だ。

 今度は見つけたら倒してやるから覚悟しろ。

 

 なにせ、こちらには一目見たら魔物も逃げ出すという伝説の武器、「プラプラの槍」があるのだから。

「わははははははっ」

 歯を磨き終わった俺は、ご機嫌で槍を持って、ぐるぐると振り回す。


 先っちょの包丁がモップから外れて飛んでいったところで、ヒカリが話しかけてきた。

『朝から何をやっているのですか? ご機嫌なのは結構ですが、槍は後でちゃんと修理してくださいね』


「すみません・・・・」


 気持ちが楽になっただの、安心しただの、思ってはみても結局のところは、極限状態に変わりないんだよな。

 

 冷静になると、やはり現実が見えてしまう。

 なんとか安心して暮らせるちゃんとした家が欲しい。

 というか、そもそもこの世界に人はいるのだろうか?

 街とかはあるんだろうか?

 

「次の目標は家・・・街かな。いや人か。それによく考えたらお金とかもないな・・・」

 落ち着いたら、ヒカリと相談してみるか。

     

     ♣


 その後、ヒカリをソーラーパネルにつないで充電をすることにした。

 朝ご飯にパスタを作り、食べた後にモップの槍を再度作り直す。

 今度は包丁がずれないように丁寧に固定した。

 

 その後、日課となりつつある水汲みに出かける。

 ヒカリも充電をお休みして付き合ってもらう。


 湧き水は相変わらず切り株からあふれ出しており、上部が既に無いにもかかわらず、今も水を地中から吸い続けていた。


「生命力、スゲーな」


 そういえば洞窟に持ち帰ったツヤツヤの木の上の部分はどうなってるかな。

 後で戻ったら確認してみるか。


 そんなことを考えながら、ペットボトルに湧き水を汲んでいく。

 作業も順調に終わり、洞窟へ戻る。

 ヒカリを再度ソーラーパネルにつないで、充電の続きをする。


 ツヤツヤの木のことが気になったので洞窟の奥を探してみることにした。

 我ながら、結構どうでもよかったのだろう。

 木は洞窟の奥に投げ捨ててあった。

 

 木を拾って見てみると、まだ活き活きとしているのが分かった。

 花瓶があれば・・・と思ったが、何もなかったので、昨日使わずに残っていた鍋の中の湧き水をコップに移し、花瓶に見立ててツヤツヤの木を入れた。

 

 決して投げ捨てたまま忘れていたお詫びの気持ちではない。

 35歳独身男のさりげない優しさなのだ。


 しかし、この世界の植物は不思議だ。

 もっといろいろと学ばなくてはいけない。


 まぁ、実際に学ぶのはヒカリの方に任せようと思うのだが。

 そんなことを考えていると、急にヒカリが話しかけてた。

『よろしいでしょうか?』


「なに?」


『魔物です。距離は約200メートルです』


「大きさは?」


『前回のウサギと大差ありません。むしろ少し小さいくらいです。ですが何か感じが違います』


「感じ?? でもウサギより小さいなら大丈夫でしょ。よし、偵察に行くぞ」

 そう言って、直したモップの槍と包丁を手に、力強い足取りで魔物の元へと向かう。


 そう、俺は臆病者だが、弱いものにはもめっぽう強いのだ。

 

 人間、案外、開き直ると強い。

 そして、怖いのは相手ではなく、正体が分からないという状況になのだ。


 鼻歌交じりで魔物の元へと向かう。

 背中には、もちろんヒカリ入りのリュック。

 

 小さい魔物は弱いと思っているため、おそらく油断をしていたのであろう。

 ヒカリからは、さきほどから何度も『油断をするな』と言われている。


 5分ほどで魔物の元へ到着する。

 距離にして100メートル。


 モップの槍を握りしめて、少しずつ近づく。

 

 近づいていくと、木の陰に何かがいるのが見えた。

 

 モルモット? ウサギじゃないみたいだ。

 更に近づき、様子を伺う。

 

 ネズミ?

 体長20センチほどのネズミっぽい顔の奴がいた。

 全体のフォルムはネズミというより、カピバラかな。


 少し近づく。


『やはり前回のウサギとは、魔素の種類が違うような感じがします。念のため気をつけてください』


 ヒカリが小声で伝えてくる。


――あっ!? 目が合った?

 そんな感じがした。


 お互い動きが止まる。

 心臓がバクバクと音を立てて、息苦しくなっていく。

 そのまま動くべきなのかどうか躊躇していると、ネズミの目が赤く光ったように見えた。


気づいたときには、ネズミは、ものすごい勢いでこちらに突進してきた。

 

 余裕だったはず。

 油断があった?


『油断するな』と何度も言われていたはずなのに。

 全てがスローモーションで動いていく感覚にとらわれる。


 槍を持つ手に自然に力が入る。

 プラプラしていた槍の先端を今一度確かめる。


――よし、大丈夫だ

 だが、もう遅かった。


 目の前には、大きな口を開けて俺の左腕に噛みつく寸前のネズミがいた。


「うぎゃゃゃぁぁぁああぁぁぁぁぁ」

 左腕から血しぶきが舞う。


――これはヤバイ


 油断したのか?

 驕りがあったのか?。

 

 左腕を噛みちぎろうとするネズミ。

 とっさの判断で、左腕を前に突き出して更に嚙ませた。


 動物に噛まれたときは引くよりも押せ。

 そんな記憶が頭にあった。

 こうすることで牙が食い込んだりするのを防ぐらしい。


 もう躊躇はなかった。

「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ」


 腕一本を捨てる覚悟で、噛まれた左腕ごとネズミを地面に押しつける。

 上から体重をかけて、左腕をさらに喉の奥へと押し込む。


 ネズミは息が出来ないらしく、少し苦しそうにしている。

 そのまま動きを固定した状態で、腰のベルトに引っかけてあった包丁取り出す。


「死ねぇぇ、こらあぁぁぁ」

 大声を上げながら、ネズミに向けて無我夢中で何度も包丁を突き刺していく。

 自分の血と、ネズミの赤黒い血で、全身が染まっていく。

 

 そして、何度刺したかも分からなくなった頃、ネズミが息絶えた。


 ネズミの身体が赤黒い胞子となって蒸発していく。

 全て消えた後には、5ミリほどの小さな魔石が残されていた。

 右手で魔石を拾い上げる。


 よく見ると、刺しながら手が滑ったのだろう。

 右手も包丁の傷で血だらけだった。


 しばらく放心状態のまま、動けずにいたが、突然、左腕に激しい痛みが走る。

 

 よく見なくても重傷だ。

 傷は深くえぐれて骨が見えて、血がボタボタと流れ続けている。

 

 ネズミの歯が刺さった状態でさらに押し込んだのだ。

 肉がえぐれるのも無理はない。

 痛みもどんどん大きくなってきている。

 

 普通に日本にいたら気絶していたかも知れない。

 でも、この世界の状況がそれを許さない。

 痛みに耐えるしかない。

 気絶すれば、次はない。

 生きるためにも痛みに耐え、とにかく早く止血だけでもしなければならない。


――気を強く持ち続けないと・・・意識を失ってはダメだ

 俺はそう何度も頭の中で繰り返した。


 血だらけの包丁は、その場に置き、魔石をリュックに入れ、モップの槍を杖代わりに洞窟へ戻った。


 洞窟に戻るまで・・・・数分、なぜかヒカリは、一言も喋らなかった。

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