第10話 猫と少女と小学生

 俺の名前は笹原隆太。中学三年。来年の春には卒業式を迎える。


 だけど、学校ってのは本当に面倒ごとが多いんだ。まだ11月だってのに、卒業試験やら卒業イベントの準備やらが、もう始まってる。


 俺が好きなのは学校給食。嫌いなのは、学校活動。


 最近になって給食調理室がなくなった。それの代わりに配られる弁当がまた冷たいし、正直まずい。人手不足? 経費削減? そんなの知ったこっちゃない。これじゃあ、ますます学校に行く楽しみがなくなる。


 こんな暖かなインディアンサマーの日は、教室に閉じこもっているより、川辺で寝転んでいるほうがよっぽどいい。


 流れる川の水面が、陽の光を浴びてきらきらと輝いている。風がそっと頬をなでる。どこからか漂ってくる萩の花の甘い香り。


「おーい、隆太ぁ、学校行かないのか?」


 お、村田の声がした。


 行かねぇよ。俺は手をひらひら振って追い払う。


 秋の気配がする。萩の花が終われば、木々が赤や黄色に色づき始める。そうやって、季節は巡っていく。


 それにしても、萩の花の香りって、桜餅に似てないか。淡い甘さが鼻をくすぐると、なんだか眠気が襲ってくる。最近、やたらと眠いんだ。


 そろそろ、戻らなきゃならない頃なのかもしれないなぁ。


 その時、ふいに白い猫が現れた。しなやかな足取りで近づいて、俺の足元にすり寄ってきた。


「なんだよ、一緒に来たいのか?でも、お前は連れていけないぞ」


 猫はにゃんと拗ねたように鳴くと、次の瞬間、ふわりと光をまとって姿を変えた。

 現れたのは、白いワンピースを着た少女だった。


 長い黒髪が風に揺れ、澄んだ瞳でこちらを見つめる。そっと俺の肩にもたれかかりながら、彼女は静かに囁く。


りゅう様がおらんせんと、みんなが寂しくなってしまいます」

「って言っても、まだ、しばらくは、ここにはいるんだけどな」


 その時だった。


「あーっ、ぼく、見たぞ! その女の子、さっきの猫、だろ!」


 甲高い声が響いた。振り向くと、小学生の男の子が目を丸くしてこちらを指さしていた。驚いた少女は、一瞬で白い猫の姿に戻る。ふわりとした毛並みが風に揺れた。 


 この小学生の顔には見覚えがある。川辺をよく通る奴で、前にも蝉の話をしたことがある。俺は軽く肩をすくめて、わざとらしい声で言ってやった。


「女の子なんてどこにもいないぞ」

「……あ、そーいうこと。そうやって誤魔化すんだ」


 小学生は疑い深そうに目を細めた。生意気なやつだ。こういう子ども相手に気を遣うのは、正直、面倒くさい。


「……ああ、女の子だったよ。それがどうした?」

「すげえ! お兄ちゃん、魔法使いだろ!」

「はぁ? お前、何言ってんだ?」


 小学生は無邪気に笑いながら、白い猫をじっと見つめる。


「猫、可愛いよなぁ」

「だったら飼ってやれよ」

「えっ? いや……お前、うち来る?」


 小学生の声はどこか弾んでいる。だが、次の瞬間、腕時計に目をやると、はっとした顔をした。


「やば! 遅刻だ!」


 慌てて立ち上がりながら、俺に向かって指を突きつける。


「おい、魔法使い! その猫、俺が家に連れて帰るから、ちゃんとそこに置いといて! 誰かに連れてかれないように、しっかり見張ってろよ!」


「俺も学校なんだけど」

「お前、いつもサボってんじゃん。知ってるぞ! だからちゃんと見てろよ!」


 そう言い捨て、小学生は勢いよく駆け出していった。背中のランドセルが小さく揺れている。


 子どもは嫌いというより、苦手だ。


 俺は足元の白い猫に目を向ける。猫はこちらに金色の瞳を向けた。


「お前、あいつの家で飼ってもらえよ」


 すると、猫は安心したように目を細め、にゃんと一声、可愛く鳴いた。



「ねえ、ねぇっ、美夏ちゃん、あれ、笹原じゃない?」

「あっ、本当だ。あいつ、またサボってる」


 川辺の草が、風が吹くたびにさわさわと音を立てていた。


 けれどもその時、私は見たのだ。


 えっ、誰?


 川のほとり、笹原の隣に白いワンピースの少女が座っている。淡い陽射しを受け、その姿はどこか幻想的だった。彼女は静かに笹原の肩に寄りかかり、長い時を共にしているかのような親密さを漂わせている。


 私は驚き、思わず目を瞬かせた。


「ゆ、ゆうちゃん、あれ、誰っ、笹原の隣にいる女の子、誰っ!」

「えっ、誰もいないよ。美夏ちゃん、夢でも見たんじゃないの?」


 もう一度、目を凝らした。しかし、そこには少女の姿はもうなかった。


 胸がざわめく。だが、笹原に声をかけようと身を乗り出すと、


「あれっ、笹原もいなくなっちゃった……」


 川の流れはいつものように穏やかだった。

 風がそっと頬をなで、川辺の木々を揺らしていった。


 クスクス……


 耳をくすぐるような笑い声。

 そして、さっきまでそこにいたはずの人影は、まるで幻のように、川辺からいなくなってしまっていた。


「行こう、美夏ちゃん、遅刻するよ」

「うん……でも、おかしいなぁ」


 そんな少女の学生鞄の持ち手に付けられた修学旅行のお土産のキーホルダー。そのまとい馬簾ばれんが、風に揺れて、小さくカラカラと音を立てていた。




【時の守り人】  第10話 猫と少女と小学生

 

          ~ 完 ~ 



   ― 最終話に続く ―

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