第775話 神知

 恐慌状態に陥ったのか、息を荒げ、目を真っ赤に染めて地を這うように動いたクレールはレイジに救いを求め、縋り付く。


「はぁっ……はぁっ……お兄ちゃん! お兄ちゃん! はぁっ……」


 一秒と時が経つに連れて、より恐怖が増しているのか瞳孔を激しく揺らす。それでも恐怖に染まった瞳はディアを掴んで離さない。


「お、おい!? 落ち着けって! どうしちまったんだ!?」


 レイジが懸命にクレールを宥めようとするが、様子は変わらない。ガクガクと全身を震わせ、レイジの腕をぎゅっと強く掴み続けていた。


 何が彼女をそこまで恐怖させているのか。

 今わかることは一つだけだ。クレールはディアを恐れている。それだけは間違いない。


 しかし、疑問が残る。

 レイジから聞いた話ではクレールは戦闘や運動に対して苦手意識を持っている。

 とはいえ、今回のケースでは自らディアに手合わせを願い出たはずだ。ディアに派手にやられたからといって、ここまで取り乱すとは考え難い。

 加えて、クレールはトラウマになるほどの大怪我を負ったわけでもないのだ。ディアの性格を鑑みると、手合わせ中に最大限の配慮と手加減をしていたに違いない。


 だというのに、クレールはディアを恐れている。それも尋常ではないくらいに。


「大丈夫だ、大丈夫だからな?」


 レイジがケアを行っている間に、クレールがここまで取り乱しているヒントがないか模索する。

 確かクレールはこのようなことを言っていたはずだ。

 ――『何者なのか』、『知識も経験も何もかも得られなかった』と。


 その言葉をヒントに考えると、おそらくクレールは看破系統スキルに似た、何らかの特別なスキル有し、それをディアに使用した可能性が高いと見るべきだろう。

 ただし、俺が持つ『始神の眼ザ・ファースト』とは近いようで大きく異なる能力であることは間違いない。


 俺がそう考えた理由は単純だ。『始神の眼』だけに限らず、看破系統スキルが対象に通じなかった場合、得られるものは『無』だけ。言い換えるのならば何も得られないだけなのだ。

 相手が自分を上回る情報隠蔽能力を有しているという驚きこそあるものの、それに対して恐怖を覚えることはまずない。あっても精々、相手が自分と同等かそれ以上のスキルを有しているという事実に驚き、警戒するくらいだろう。


 だからこそ、今のクレールの反応は異常という他にない。

 やはり、不可解なのは先の言葉だろう。


 俺はクレールを対象に『始神の眼』を使用する。

 クレールが有するどのスキルが彼女に影響を与えたのか。それを知るための手掛かりとして『始神の眼』を使用しないという選択肢はない。


 が、案の定と言うべきか、俺の視界にクレールの情報が表示されることはなかった。


「……ダメか」


 舌打ちを堪える代わりに愚痴を零す。


 薄々わかっていた。

 これまでフラムやイグニス、プリュイなど、何人もの竜族と出逢い、時には剣を交えたこともあるが故に、こうなるであろうことには薄々察しが付いていたが、炎竜族の国に来て俺は半ば確信していたことがある。


 それが竜族固有の問題なのか、はたまた何か別の問題なのかはわからない。

 ただ一つ言えることは、竜族に対して俺が持つ看破系統スキルが通じないということだ。

 『心眼』から『神眼リヴィール・アイ』へ、そして最上級に位置する神話級ミソロジースキルである『始神の眼』に至ってもなお、竜族に対してスキルを使用しても何も映らないということは、つまりそういうことなのだろう。

 無論、相手が隠蔽能力を自ら解いたりした場合はその限りではないのだろうが、基本的に竜族には看破系統スキルが通じないという認識で間違いなさそうだ。


 直接聞き出そうにも、今の状態のクレールからは何も聞き出せそうにない。かといって懸命にクレールを宥め続けるレイジにも聞き出せる雰囲気ではない。


 今は見送るしかない――そう思っていたのも束の間、クレールを心配そうに見つめていたディアが突如として眉を顰め、ポツリと言葉を零した。


「……伝説級レジェンドスキル『経験回顧エクスペリエンス』。対象の過去を遡ることで知識と経験を得る……。だからわたしのことを……」


「ディアは?」


 ディアの眼は特殊だ。

 魔力を可視化するその力もそうだが、マギア王国で新たに神器を回収したことで看破系統スキルに近しい力を手に入れていた。

 以前、ディアから聞いた話では『神眼』を超えた眼を――つまり『始神の眼』と同等の能力を手に入れたとのことだったが、どうやら違ったようだ。

 おそらくディアの力はスキルとは異なる理にあるが故に、竜族が持つ隠蔽能力を突破できたのだろう。


 ディアが耳打ちをし、俺の推測を補完する。


「……偶然なのか、それともクレールの状態が不安定だったからなのかわからないけど、はっきりと視えた。たぶんクレールは『経験回顧』を使って、わたしの過去を遡って知識と経験を得ようとしたんだと思う。けど――失敗した。見えるはずのものが何も見えなかった。だから彼女は……」


 途端、ディアの表情が陰る。

 儚く、それでいて悲しげに、今も怯え続けるクレールをぼんやりと見つめた。


「それはディアが……」


 ――かつて、神だったから。

 人とも竜族とも異なる次元の違う存在だったが故に、クレールの『経験回顧』はディアの過去を遡ることができなかったのだろう。


 ディアの過去を全て知るということは即ち、この世界の全てを知ることに等しい。

 それはどのようなスキルであっても、決して届いてはならない禁忌。それは人でも竜族でも同じだ。

 だからこそ、クレールの力――『経験回顧』はその能力を発揮することなく、不発に終わってしまったのかもしれない。


 クレールは見てはならぬ深淵を覗き込もうとしたが、失敗した。

 ディアの神威がそうさせたのか、あるいは世界が拒絶したのか――。


「わたしは皆とは違うから……」


 無理な笑みを顔に貼り付けるディア。

 その俺に向けた微笑は、見ているだけで酷く俺の心を締め付け、乱したのだった。




 時間の経過と共にレイジの言葉が届いたのか、クレールは完全に元通りとはいかなかったものの、冷静さを取り戻していた。


「……ごめんなさい、ディア様。どうしてあんなに取り乱してしまったのか、今でも全然わからなくって……」


「ううん、大丈夫だよ。たぶん少し疲れていたんじゃないかな?」


 恐怖に染まっていた瞳も今では僅かに不安の色が残るだけで、乱れていた呼吸も整い、今ではディアと対話ができるまでクレールは調子を戻していた。

 ディアもディアで、悲しげな表情を綺麗さっぱり消している。無理をして本心を隠しているだけの可能性が高いが、クレールとの関係修復を優先してのことだろう。


「すんません、コースケ様。手合わせをしてもらう予定だったんですけど、状況が状況なんで後日にまたお願いしやす」


 申し訳なさそうに、それでいてどこか悔しそうな表情をしながらレイジが俺に向けて頭を下げる。

 レイジが言うように状況が状況だ。ディアとクレールの件もそうだが、訓練場もまだ片づいていないともなれば、日を改めるしかない。


「ああ、もちろん。気軽に声を掛けてほしい」


「うっす!」


 社交辞令のつもりで言ったが、果たして伝わっているだろうか……うん、無理そうだ。妹を心配する兄の顔はもうどこにもなく、白い歯を見せてきたあたり望みは薄い。


 とにもかくにも、今回の一件はひとまず落ち着いた。

 だが、安心するにはまだ早過ぎる。

 早急にフラムに今回の話を伝えておいた方が良さそうだ。


 戦闘以上の疲労を感じた俺は全身に倦怠感を纏わせ、ディアたちと一緒に訓練場を後にしたのであった。

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