第396話 一方的な信頼
Sクラスが実地訓練をしている最中、マギア王国王都ヴィンテルの中心に高くそびえ立つ白銀の城にある一際豪華な一室――国王アウグスト・ギア・フレーリンの執務室にある一人の男が訪れてた。
ボサボサな茶色い髪に右の眼窩にモノクル嵌め込んだ姿が特徴的な青年――ラーシュ・オルソンである。
マギア王国の内務大臣を務めるラーシュの細腕には大量の紙と羊皮紙が抱えられており、すぐにでも落としそうにふらつきながらも、ラーシュは抱えていた報告書の束をアウグストの許可なく、執務机の上に音を立てて置いた。
「ふぅ……。危ない危ない。危うく落としてしまいそうになりましたよ。陛下、例の件の報告書になります。是非、お目通しを」
砕けた言葉遣いと丁寧な言葉遣いを織り混ぜたラーシュの言葉をアウグストは咎めることなく、机の上に散乱した大量の報告書に目を向け、嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「……これほどの量の報告書に目を通せと? もう少し減らすことはできなかったのか?」
「無理を仰らないで下さい。一枚一枚自分が目を通し、無駄な報告書を削ぎ落としたのです。これでも陛下のご負担を少しでも減らそうと努力したのですから」
「その結果がこれだけの量の報告書というわけか。全く……骨が折れる」
極めて重要な報告書だとアウグストは理解していたが、量が量ともなれば、自然と溜め息も漏れてしまう。
ラバール王国からの来訪者の件然り、『義賊』の件然り、問題は報告書の量に比例するほど山積み。
前者に関しては未だ特に目立った報告は受けていないが、後者に関してはアウグストの頭痛の種となっていた。
「陛下はマギア王国の王なのですから、仕方がありません。民のため、そして貴族のため、骨を折っていただかなければ」
「……わかっている。だが目を通す前に、まずは其方の口から報告を訊かせてくれ」
「承知致しました。まずはラバール王国から来た者たちに関してですが、今現在も主立った動きは特にございません。強いて報告すべきことがあるとするならば、アリシア王女殿下を含めた留学生全員がSクラスに上がってきたことくらいでしょうか。おそらく今頃は王都近郊にあるダンジョンで実地訓練を行っている最中かと」
「ほう……。留学生はアリシア王女を含め四人だったはずだが、四人が四人とも早々にSクラスへ上がっていたとはな。よもや学院の質が落ちているのではなかろうな」
「そのような事実は確認されておりません。アリシア王女殿下を含め、皆が皆、優秀だっただけでしょう」
「魔法途上国から来た留学生が早々にSクラス入りを果たすとは、あまり面白い話ではないが……その件についてはまぁ良い。それよりも今懸念しなければならないのは『義賊』の再活動に関してだろう」
「陛下の仰る通りかと。『義賊』の動きはまだ本格化しておりませんが、警戒するに越したことはありません。もしこれ以上被害が出続けるようであれば、貴族たちの陛下への不満が噴出する恐れが」
ここ暫く動きを見せていなかった『義賊』の活動再開。
毎度の如く狙われるのは自国の貴族――それも有力な上級貴族ばかりともなれば、アウグストの元にも苦情の声は上がってくる。
このまま放置すれば、王の威信に関わることは間違いない。
未だに『義賊』の尻尾は掴めていないが、国王であるアウグストは相応の対応を迫られていたのだ。
眉間に刻まれた深い皺を押さえ、アウグストは神妙な面持ちで決断を下す。
「……兵を動かす。それしかあるまい」
『義賊』の動きが活発だった頃にアウグスト自ら考案し、ボツとした案を実行に移すことをアウグストは決めた。
その内容とは、主要な街道や都市へ兵を配置し、巡回させることで『義賊』からの被害を抑えるといったものだ。
しかし、この案は欠陥だらけであった。
神出鬼没の『義賊』を捕らえるには確実性が欠けており、費用対効果が極めて低い。そして何より、東西に広大な国土を持つマギア王国全土をカバーするには多くの兵を動かさなければならず、中央――王都ヴィンテルの守りが手薄になってしまうという致命的な欠陥があったのだ。
本来であれば、たかが一つの盗賊団如きに国が大手を振って対応にあたることはあり得ない。あっても精々警戒を促す程度だろう。
しかし、被害状況と有力貴族たちからの不満を考えると、四の五の言っていられる状況ではなくなってしまっていた。
最低でも『『義賊』への対応を怠ってはいない』という体裁だけでも保つ必要が出てきてしまった。
故にアウグストは、一度は取り下げた案を実行に移す決断を下したのである。
以前、この案はラーシュにも訊かせていたこともあり、ラーシュはすんなりとアウグストの言葉の意味を理解した。
「はっきりと申し上げますと、悪手――そう言わざるを得ません。マギアの冬が厳しいことは陛下も存じ上げているはず。主要な街道には雪一つ積もらないよう整備されているとはいえ、兵を動かすには時期が悪すぎます。食料は高騰しており、防寒対策も必須。兵を移動させるだけでも莫大な費用が掛かってしまうでしょう」
大国の王を相手に怯むことなく、バッサリと苦言を呈するラーシュ。
二人の関係が良好でなければ、罪をも問われかねない発言にアウグストは力なく笑みを浮かべ、鷹揚に頷いた。
「ああ……、重々承知している。だが、そうせざるを得ぬ。……違うか?」
どこか達観したかのような力ない問い掛けに、ラーシュは俯きながら賛同の意を示す。
「……仰る通りかと。代替案も出さず、無闇矢鱈に陛下の案を否定した愚かな自分をお許し下さい」
「構わん。其方が抱いた懸念は理解できるからな。それよりも、兵の配置等は任せたぞ。もし他の大臣から反論が出てきたならば私の名を出すことも許す。其方の裁量で話を詰めていけ」
全幅の信頼がそこにはあった。
ラーシュならば、的確に仕事をこなしてくれるだろうとアウグストは信じて疑わない。
「かしこまりました。自分にお任せ下さい」
深く頭を下げたラーシュは姿勢を正し、アウグストにその頼りない細身の小さな背中を見送られ、執務室のドアノブに手を掛ける。
――背を向けたラーシュは嗤っていた。
しかしこの時、ラーシュが歪んだ笑みを浮かべていることをアウグストには知る術はなかった――。
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