第364話 別れと出会い

 白銀の城にある広い庭園では、帰国の準備を終えた六百を超える軍勢を率いるエドガー国王と、合格という吉報を持ち帰った俺たち『紅』とアリシアが向かい合う形で別れの挨拶を交わしていた。


「無事に合格したことを嬉しく思う。よくやった」


「ありがとうございます、お父様」


 普通であれば喜び合う場面であるにもかかわらず、二人の表情はどこか固い。両者共に何か思うところがあるといった雰囲気を醸し出していた。


「アリシア、お前はこれからの約三ヶ月間、勉学に励むなり、この国を楽しむなり、好きにしてくれて構わない。ただし、余計なことには首を突っ込むな。それだけは約束してくれ」


 そう言うなり、エドガー国王は手の中に隠し持っていた物をアリシアへと手渡した。


「……これは?」


「見ての通り、鍵だ。学院の近くにあったそれなりに広い屋敷を借りておいた。一応、家財道具は一式揃えてあるはずだが、何か足りない物があればその都度買い足してくれ。これからはそこで生活するように。屋敷の詳細な位置はロザリーから――」


 大切な娘であるアリシアを想ってか、それからエドガー国王の話は五分以上に渡って続いた。


 話を要約すると、マギア王国に残すことになった者たちは全員、その屋敷で生活ようにとのことだ。当然その者たちの中には俺たち『紅』も含まれる。

 アリシアの専属騎士であるセレストさんを筆頭に騎士が五人、ロザリーさんを含む、アリシアの身の回りの世話をする使用人が十人、俺たち『紅』と水竜王ウォーター・ロードの一人娘であるプリュイ、そして最後にアリシア。合計二十人がその屋敷で生活することになるそうだ。


 固い表情はそのままに、エドガー国王の視線が俺たち『紅』の三人に移る。


「――アリシアのことを頼む」


 その眼差しは真剣そのもの。いつものどこかおちゃらけた雰囲気を纏うエドガー国王の姿はどこにもない。


「うむ、任せるがいい」


 そう真っ先に言葉を返したのはフラムだった。

 自信に満ちたフラムを見て安堵したのか、ようやくそこでエドガー国王の表情は僅かながらに和らぐ。


「ああ、任せた」


 分厚い雲に覆われた冬空の下、エドガー国王率いる軍勢はマギア王国王都ヴィンテルを後にしたのであった。


――――――――――――


「陛下、つい先ほどラバール国王陛下が出立されましたが、お見送りをぜずともよろしかったのでしょうか?」


 白銀の城――玉座の間にて、金のチェーンを垂らしたモノクルを右の眼窩にはめ込んだ、痩せ形で茶色の髪をしたボサボサ頭の二十代半ばと思われる外見をした青年が、アウグスト・ギア・フレーリン国王に心配そうに――ではなく、飄々とした声音でそう尋ねる。


 青年の名はラーシュ・オルソン。

 今から約十年前、ヴォルヴァ魔法学院を史上最年少かつ首席で卒業した天才魔法師である。元はマギア王国の東部にあるオルソン侯爵領にいた孤児であったが、子宝に恵まれなかったオルソン侯爵家当主にその才を買われ、養子入りした過去を持つ。

 そして現在ラーシュは、オルソン侯爵家当主だけではなくアウグスト国王のお眼鏡にも適い、内務大臣の地位に就いていた。


「構わん。向こうとてそのようなことを望みはしていないだろうしな。それよりもアリシア王女のためにラバール国王が残した者たちの調査は進んでいるのか? 諜報員が紛れ込んでいるやもしれん」


 視線を合わせることもなく、ぶっきらぼうにアウグスト国王は質問に応じたが、ラーシュはどこ吹く風とばかりに気にすることなく、そのまま話を続ける。


「今現在、特段怪しい動きは見つかっておりません。ですが、気に留めておくべき存在が――」


 ラーシュの言葉を途中で遮り、アウグスト国王はつまらなそうに鼻を鳴らす。


「フンッ……言わずともわかっている。アリシア王女と共に留学することとなった例の留学生のことであろう? ラバール王国最高峰の魔法師とは話に訊いていたが、三者共に実技試験で満点を取ろうとは驚きだ。其方と同じように『天才』という奴だろうな」


 アウグスト国王から『天才』と言われ、ラーシュは照れ隠しをするようにボサボサ頭を掻きながら、苦い笑みを浮かべる。


「あははは……。自分は天才なんかじゃありませんよ。偶然、人より少しだけ魔法の才能があっただけに過ぎません」


 ラーシュは砕けた口調になっていたが、そのことについてアウグスト国王が咎めることはない。これがいつも通りのやり取りだったからだ。


「人はそれを『天才』と言うのだがな。まぁいい、引き続き調査を続行せよ。それと、あの忌々しい『義賊』の調査も怠るでないぞ」


「承知致しました。過労死しない程度に頑張らせていただきます。では、自分は仕事に戻りますので、これにて失礼を」


 モノクルから垂れ下がる金のチェーンを指先で弄りながら、ラーシュは挨拶もそこそこに玉座の間を後にした。




 玉座の間を去った後、ラーシュは白銀の城に設けられた自身の執務室に向かう道すがら、偶然廊下で出会したカタリーナ第一王女に柔らかな笑みを浮かべながら挨拶の言葉を述べた。


「お久し振りでございます、カタリーナ様」


 ラーシュの言葉通り、二人がこうして顔を合わせるのは実に約一ヶ月ぶりであった。

 カタリーナは白銀の城に居を構え、ラーシュは白銀の城を仕事場としているが、城内は広く、なおかつカタリーナの私室がある区画とラーシュの執務室がある区画が離れていることもあり、何かしらの行事や余程の偶然でもない限り、二人がこのように顔を合わせる機会は無かったのだ。


「……どうも」


 足を止め、素っ気も愛想もない冷淡な言葉だけをカタリーナは返した。

 互いの視線が交差することはない。

 カタリーナが一方的に視線を逸らしていたからである。


「相変わらず自分はカタリーナ様に嫌われているようですねぇ……」


 冗談めかすように両肩を吊り上げ、わざとらしく途方に暮れた表情を見せるが、ラーシュの言動がカタリーナに響くことはない。


「……」


 返ってきたのは沈黙のみ。

 返事の言葉どころか、視線すらもカタリーナからは返ってくることはない。


 カタリーナから漏れ出ている不機嫌なオーラを察し、ラーシュはその場で軽く頭を下げる。


「これ以上嫌われたくありませんので、今日はこの辺りで失礼させていただきます。それでは」


 踵を鳴らし、ラーシュはカタリーナの横を通り過ぎていく。

 そしてラーシュの姿が廊下の角に消えた瞬間、カタリーナは大きく息を吐いた。


「ふぅ……」


 どっと疲れがカタリーナに押し寄せる。

 偶然とはいえ、嫌いな相手と対面しまった己の不幸を嘆きたくなるほど、カタリーナの精神はこの数十秒足らずの間に疲弊していた。


 端から見てもわかるように、カタリーナはラーシュを嫌っていた。

 嫌悪感を越えて憎悪に近い感情を抱きそうになるほどに、だ。

 ラーシュの外見どうこうの話ではない。人柄、態度、仕草、そしてその存在自体。全てに於いてカタリーナはラーシュを嫌っているのだ。

 何故そこまでラーシュを嫌っているのかは彼女自身もわかっていない。ただ、一目その姿を見た瞬間から生理的に受け付けることができないと思ったことだけはしっかりと覚えていた。

 故に、カタリーナは初めて会った日以来、ラーシュを避け続けている。

 偶然すら起こらないように、顔を合わせる必要がある時は必要最低限に、と徹底的に避けてきたのである。

 にもかかわらず、今日この時、偶然ラーシュと廊下ですれ違ってしまったのは気の緩みからきた不幸としか言いようがない。


「ホント、嫌な……日だ……ッ……ね……」


 カタリーナの途切れ途切れに掠れた独り言は、誰もいない広い廊下の片隅に雪のように溶けて消えていった。

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