第362話 委任

 ヴォルヴァ魔法学院の合格発表を翌日に控えた日の夜、白銀の城に設けられた来賓用の貴賓室にはエドガー国王、近衛騎士団団長ダニエル・オードラン、国王直属秘密部隊『王の三腕サード・アームズ』隊長ロザリーの三人が集まっていた。


 室内には重苦しい空気が漂っている。

 眉間に皺を寄せながら椅子に座るエドガー国王が重い口を開くまでの間、ダニエルとロザリーの二人は直立不動の状態で言葉を待つ。

 そしてエドガー国王の第一声は大きなため息から始まった。


「はぁ……。エステルに伝えた約束の期日は昨日まで。一縷の望みをかけて今日まで待ってみたが、結局エステルからの接触はなかったか……」


 晩餐会でフラムを囮に使ってまで、エステル王妃と内密に接触を図ろうと手紙を渡したが、結果は空振り。エステル王妃は今日に至るまで何一つとしてアクションを取ろうとはしてこなかったのであった。


 救援の手紙を寄越して来たにもかかわらず、何も連絡を寄越さないエステル王妃の行動は不可解極まりない。エドガー国王が困惑するのも無理からぬ話であった。


「何でもいい。何か有益な情報はないか?」


 その問い掛けに対し、最初に口を開いたのはダニエルだった。


「申し訳ございません。部下に王都内で情報を集めさせましたが、芳しい成果は……。噂にあった『義賊』に関しましても、我らがマギア王国に到着した日以降、全く動きを見せていないようで、その姿はおろか足取りも掴めておりません」


 エドガー国王が率いてきた多くの騎士たちはマギア王国の要請により、その動きを大きく制限されていた。常時マギア王国の人間の監視下に置かれ、王都ヴィンテルを出ることは勿論のこと、自由に王都内を出歩くことすらままならなかったのである。


 ダニエルの報告が終わり、ロザリーが口を開く。


「有益とまでは申せませんが、いくつか情報がございます」


 ロザリーからの報告は毎夜のように受けていたこともあり、エドガー国王はロザリーが得たという情報は今日得たばかりのものだろうと察し、過度な期待はせずに耳を傾ける。


「ああ、些細な情報でも構わない」


「私が持つを使い、エステル王妃殿下の私室に侵入し、様子を窺って参りました」


 ロザリーの事後報告とも言える報告を耳にし、エドガー国王の眉がピクリと動く。


(……あのスキルを使ったのか。危険な綱渡りだっただろうが、四の五の言っていられる状況ではないと判断したか)


 ロザリーが持つスキル――それは伝説級レジェンドスキル『影無き者ジェーン・ドウ』。

 その能力は、透明化、気配消失、認識阻害、隠蔽。

 諜報や暗殺に向いたスキルをロザリーは有していたのである。彼女が国王直属秘密部隊『王の三腕』の隊長を務めているのも、この能力を買われてのことだった。


 これほどまでに強力なスキルを持つロザリーが今日この日まで行動を起こさなかったのは、『魔法研究国家』という異名を持つマギア王国の未知なる技術力を警戒していたからだ。

 いくら『影無き者』が伝説級スキルとはいえ、厳重な警備体制が敷かれている城内でのスキルの使用はリスクが高く、慎重にならざるを得なかったのである。

 しかし、エドガー国王一行がマギア王国に滞在を許された期間は残り一日。正確に言うならば、半日あるかどうか。

 リスクを冒してまでも、アクションを起こすべきだとロザリーは考えたのだった。


「それでエステルの様子は?」


 話を進めるべく、エドガー国王はロザリーに問い掛ける。


「監視下に置かれているご様子もなく、自室にて寛いでおられました」


「……それは本当か?」


 エドガー国王のこの言葉は、ロザリーを疑っての言葉ではない。

 エステル王妃の動きに対して、信じられない、あるいは信じたくない、という思いから出た言葉であった。


「はい。人の出入りこそ多少ありましたが、それだけです。見張りらしき存在も確認できませんでした。ここからはあくまでも私の推測になりますが、未知の魔道具によって監視されている可能性も極めて低いかと。エステル王妃殿下のご様子からして、そのような素振りが全く見られませんでしたので」


 何者かに見張られているとわかっている者であれば、多少なりとも緊張や視線を気にする素振りを見せるだろう。だが、ロザリーが隠れ見た限りでは、エステル王妃からはそれらを感じさせる素振りが一切見受けられなかったのである。

 故にロザリーは、エステル王妃は監視下に置かれていないのではないか、という結論に至っていた。


 そして、ロザリーの話を訊いたエドガー国王も同様の結論に至る。


「……何かがおかしい。やはり、何かしらの異常事態がこの国で起きていると考えた方が自然かもしれないな。それに、今思い返してみると、久方ぶりに顔を合わせたあの日からエステルの言動には多少の違和感があった。エステルと面識があるダニエルなら、この違和感をわかってくれるか?」


 十数年に渡り、エドガー国王に仕えてきていたダニエルは、嫁ぐ以前のエステル王妃の人柄を知っていたが故に、違和感の正体に気付いていた。


「陛下に対する言葉遣い……でしょうか?」


「その通りだ。自分で言うのも何だが、エステルは俺に似て――いや、逆か。エステルの影響を受け、俺の言葉遣いは王家に連なる者としては粗雑なものだ。だが、あの日のエステルの言葉遣いは違った。丁寧だが、他人行儀なものだった。無論、人の目があったと言うエステルの言い分は理解できる。しかし、だ。それにしたって不自然過ぎる。全くの別人にすら感じたほどだ」


 マギア王国最大の港町ヴァッテンに到着したあの日に抱いた僅かな違和感がここにきて、エドガー国王の中で急速に膨れ上がっていく。

 だが、違和感の正体に気付いたところで、打つ手は何もない。

 問い質そうにも、逢うことすら叶わない状況。エステル王妃の元へ強硬突入しようものなら、外交問題にも発展しかねない。ともなれば、残りの半日足らずでエドガー国王にできることはほとんど残されていないと言えるだろう。


「……チッ。残念だが、時間切れのようだな。もはや俺にできることはゼロに等しい。ここから先は……ロザリー、お前に任せる。俺の代理として、『王の三腕』への命令権は勿論のこと、アリシアの護衛として残す騎士への命令権もお前に委任する。己の手足のように好きに使ってくれて構わない」


「拝命致しました。必ずやこの国を取り巻く謎を解明し、ご報告致します」


 一時的なものとはいえ、マギア王国に残る者たちへの命令権を委任されたロザリーは緊張を見せることなく無表情のまま、両手を前に揃え、恭しく頭を下げた。


「ああ、頼んだぞ。だが、決して無理はするな。こちらの人員は極めて限られている。アリシアの命を最優先とし、もしアリシアに火の粉が降り掛かるようなことがあれば、即時アリシアを連れて待避するんだ。いいな?」


 エドガー国王の中での優先順位は当然のことながら、アリシアが一番最初に来る。エステル王妃を心配する気持ちは断じて嘘ではないが、アリシアの命を天秤にかけるほどのものではなかったからだ。

 にもかかわらず、大切な娘であるアリシアをこのままマギア王国に留めていくことに決めたのは、紅介たち『紅』の存在と、フラムと交わした『アリシアを護る』という約束が大きな要因となっていたからに他ならない。

 もし『紅』がアリシアの護衛としてついてくれていなかったら、当初の予定にあったアリシアの留学を即刻白紙とし、マギア王国を去ることにしていただろう。


 それほどまでにエドガー国王はマギア王国からキナ臭さを感じ取っていた。


「承知致しました。この命に代えましても、アリシア王女殿下をお守り致します」




 この日、ロザリーはエドガー国王から直々に、指揮権及び命令権を与えられたのであった。

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