第317話 退路の確保

 イグニス、『比翼連理』の双子の姉弟、ボーゼ・レーガー枢機卿の四人は、フルフトバーカイト教会の建物内に入り、『紅』の三人を援護すべく大聖堂へとその足を向けていた。

 教会内には教会で働く信者や、ノイトラール法国の運営に携わる者たちこそ数多くいたものの、警備は手薄。少ない警備員も枢機卿という立場にあるレーガーが一睨みするだけで、止めようとしてくる者はいなかった。


「後はこの先にある回廊を真っ直ぐ進めば大聖堂だ」


 フェルゼンとの一戦で怪我を負ってしまったエルミールの歩調に合わせ、速度を抑えた足取りでレーガーが目的地が近いことを告げる。


「……大丈夫? 辛くない? エルミール姉様」


 足を進めながら、不安と心配の色が濃い声音でエドワールがエルミールに声を掛けた。

 レーガーが低位の治癒魔法で応急手当を施したとはいえ、エルミールの体調は万全とは程遠い。現にエルミールは、比較的ゆっくりとした足取りであるにもかかわらず、付いていくのに精一杯といった重い足運びであった。その額には薄らと汗の雫が浮かび上がっている。


「え、えぇ、心配はいらないわ。それよりここは敵地よ。私に気を使ってばかりいないで気を引き締めなさい、エドワール」


「……うん、わかったよ。エルミール姉様」


 敬愛する姉の言葉だったからこそ大人しく頷いたが、エドワールの内心は不安で埋め尽くされていた。


 エドワールは今日という日を迎えるまでは、Sランク冒険者パーティーである自分たちの実力を疑ったことはなかった。

 どんな魔物だろうが、どんな人間が相手だろうが負けはしない。例え『紅』の三人が相手だろうとも苦戦こそ免れないとは思いつつも自分たち姉弟が力を合わせれば勝てる。そう信じ、自己暗示をかけ続けていた。

 しかし、そんなエドワールの自信はフェルゼンという化け物を目の当たりにしたことで粉微塵に打ち砕かれてしまっていた。


 手も足も出せない。

 勝てる可能性が全く見出だせない。


 そんな想いを抱いたのはSランク冒険者になってから初めてだった。

 自分たち『比翼連理』こそが最強であると信じてやまなかったエドワールにとっては、敬愛する姉を歯牙にもかけなかったフェルゼンという化け物の存在は、エドワールに恐怖や不安という感情を抱かせるには十分な存在であった。

 だが、化け物の存在がフェルゼンだけであったなら、エドワールはここまで不安に心が支配されることはなかっただろう。

 何事にも例外はあるのだ。その例外が偶然目の前に現れたフェルゼンだっただけだと、もしかしたら割り切れていたかもしれない。


 ――颯爽と現れ、フェルゼンを打ち破って見せたイグニスが登場するまでは。


 化け物を超える化け物。

 誰も敵うはずがないと思っていた化け物が、新たに現れたイグニスという化け物に敗れ去った光景をその目で見てしまったことで、エドワールの自信は完全にへし折れてしまったのだ。

 唯一の救いは、化け物を超える化け物が味方をしてくれているということくらいだった。


「大丈夫よ、エドワール」


 エドワールが不安に押し潰され、弱気になっていることに姉であるエルミールは気付いていた。

 響かないかもしれないと思いつつも声を掛けたのは、少しでも不安を払拭できるようにと考えたからに過ぎない。


「……うん」


 一拍遅れた言葉を返し、四人は大聖堂の中へと踏み込んだ。




「一体何がどうなればこんな有り様になるのかしら……?」


 四人が大聖堂の中へ入り、開口一番エルミールが呆然と呟いた。

 死屍累々と表現したら流石に大袈裟過ぎるが、大聖堂内にはエルミールが呆れるほどの光景が広がっていたのだ。

 三十人を超える武装した兵士たちがそこら中に転がっており、祭壇だと思われる物が何故か大聖堂の中央付近でひっくり返っている。

 一見、大規模な殺し合いが大聖堂で繰り広げられたのかとエルミールは思ったが、倒れた兵士たちと荒れた大聖堂を冷静に観察してみると、そうではないことに気付く。


「血臭もしないし、倒れてる兵士たちも生きてるみたいね」


 その言葉を合図に、安全確保のため最後尾で身を潜めていたレーガーが顔を出す。


「倒れているのはライマン枢機卿の手の者だけではないな。どうやらコースケ殿たちは犠牲者を出さずに大聖堂を制圧してくれたようだ。……ありがたい」


 事後処理のことを考えると、紅介たちがノイトラール法国の正規兵を殺さずに生かしておいてくれたことは大きい。

 ライマンの手の者であれば殺されようともいくらでも言い繕うことは出来るが、無関係の正規兵ともなるとレーガーが紅介たちを庇いきれるかどうか怪しくなるところであった。

 懸念事項が一つ消えたことにレーガーは心の中で安堵の息を吐く。


「皆様、まずは倒れている者たちの処遇を決めるべきではありませんか?」


 イグニスは悠長に大聖堂と兵士たちを観察している三人に、遠回しに注意換気を行う。


「そうね。いつ起きてくるかわからないし、一ヶ所に集めて拘束しておきましょう。レーガー枢機卿もそれでいいでしょうか?」


「異論はないが、拘束するための道具はどうするんだ?」


「私のアイテムボックスにいくつか長縄が入っていますので、それを使いましょう。監視は必要になりますが、その場しのぎにはなると思いますわ」


「流石はSランク冒険者、用意周到だな。では、兵士たちの武装を回収した後、長縄を使って拘束していこう」




 三十人を超える兵士たちを一ヶ所に集め、武装を解除しながら拘束していくのはなかなか骨が折れる作業だったが、四人は黙々と身体を動かし、十分ほどで全兵士の拘束を終えた。

 ちなみに怪我を負っているエルミールと非力なレーガーは殆ど戦力にならなかったこともあり、半数以上はイグニスが片付けていた。


 槍、剣、ダガー、弓などの様々な武器が大聖堂の片隅で山積みにされ、五人一組で拘束された意識のない兵士たちが大聖堂の出入り口付近に集められた。


「この場はこれで良しとして、これからどうするべきかしら?」


 エルミールはレーガーやエドワールではなくイグニスに意見を求めた。レーガーは戦い――戦場というものを理解しきれておらず、エドワールは姉である自分に判断を委ねてしまうきらいがあるため、消去法でイグニスを頼った形だ。


「この場に残り、拘束した者たちを監視するべきでしょう。いくら拘束したとはいえ、所詮はただの縄でございます。武器を使う必要もなく簡単に抜け出せてしまいますので監視は必要かと」


 そう口にしたものの、イグニスの本心は別にあった。

 イグニスとしてはすぐにでも紅介たちのもとへ向かい、援護に回りたいところであったが、そうなると『比翼連理』とレーガーの護衛という本来の任務を果たすことが叶わなくなる。だからと言って『比翼連理』を連れて行くことは足手まといにしかならないことに加え、この場を無人のまま放置することにもなるため、それもできない。

 そんな板挟みの中、イグニスが出した結論は本来の任務に徹することであった。

 その結論に至った理由は単純明快。

 『紅』の三人と『比翼連理』にレーガーを加えた三人のどちらが脆弱か、それが判断材料となった。


 イグニスはフラムを盲信している。

 その強さもさることながら、気質、王としての器、精神、どれをとっても尊敬に値する王であるとイグニスは信じてやまない。

 故にイグニスは、助けに行きたいという感情を抜きにして、最強の竜王たるフラムに己の微力な援護など不要だと結論に至った。

 今は与えられた役割を果たすことが何よりも忠義を尽くすことだと自分に言い聞かせ、抱いていた感情を押し殺す。


「それもそうね。コースケたちの退路を確保する必要もあるし……って、そういえば地下空間に続く入り口がここにあるってコースケは言っていたけれど、それはどこにあるのかしら?」


 今さらながらに思い出し、エルミールは大聖堂の出入口付近から周囲を見渡すが、それらしき入り口は見当たず、つい首を傾げる。


「それでしたら大聖堂の最奥にございました。土系統魔法を用いて簡単に気付かれぬよう巧妙に塞いでありましたので、コースケ様かディア様が蓋をしたのでしょう。……おや? どうやらちょうどお客様がいらっしゃったようですね。塞がれた入り口を叩く音が聞こえてきます」


 ドンドンッ、ドンドンッ、と固い物を叩くような鈍い音が微かに聞こえてくる。

 その音は竜族ならではの卓越した聴覚を持っていなくても拾えるほどの音だった。


「必死に叩いてる様子からして、コースケたちではなさそうね」


 『紅』の三人ではないと素早く察したエルミールは、アイテムボックスから金属球をいくつか取り出し、敵の襲撃に備える。エドワールもエルミールの隣に並ぶ形で迎え撃つ体制を整えた。

 緊迫した空気が漂おうとする中、イグニスは二人に待ったを掛ける。


「お待ち下さい。相手は塞がれた入り口を開けるだけのことに四苦八苦する程度の実力者しかいないようです。ここは全て私めにお任せ下さい」


 下手に『比翼連理』に動かれて怪我をされては迷惑だと考え、イグニスは面倒事を全て引き受ける決断を下す。

 そしてイグニスは音が鳴り続けている大聖堂の最奥に移動し、巧妙に隠されていた地下空間へと続く入り口を右足で強く踏み抜いた。


「――!? あ、開きましたぞ! ……えっ?」


 踏み抜いた床下には、数十人もの人間が呆けた顔をしてイグニスを見上げる姿がそこにあった。


「残念ながら、貴方方に逃げ場はございません。大人しく捕まって下さい」


 ニヤリと笑みを見せたイグニスに、地下空間に繋がる通路に閉じ込められていた研究者たちは恐怖のあまり大混乱に陥っていった。


 それから数分後。

 イグニス一人の手によって研究者たちは隠し通路内で抵抗をする暇も与えられず、あっさりと捕らえられた。


 だがここでイグニスは大きな誤算が生じていることに気付く。

 研究者たちを片付けていた数分の間に、レーガーとエドワールの姿が忽然と大聖堂から消えていたのだ。

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