第308話 駆け引き

 フラムとシャドウ・スライムの戦いをただじっと見守るだけの時間は突如として終わりを迎える。

 害意を持ったマルセルの瞳に射ぬかれたことによって。


 マルセルが俺とディアに視線を向けてきた以上、フラムの戦いに意識を割いている余裕はない。今の俺がフラムにできることは無事と勝利を祈ることだけだ。

 勿論フラムなら時間は掛かるかもしれないが、無事に勝利を収めてくれるに違いないと半ば確信している。

 戦いぶりからして、まだフラムには幾分か余裕があることからも、シャドウ・スライムとの決着は時間の問題だろう。

 数分後なのか、はたまた数十分掛かるのかまではわからないが、ほぼ間違いなく時間が経てば経つほど、戦況は俺たちに優位に傾く。

 フラムがシャドウ・スライムを倒し、再び三対一の状況に持ち込むことさえできれば、いくら未知のスキルを所持しているマルセルとて、俺たちに勝利することは困難を極めることになるだろう。さらに地上で『比翼連理』のフォローに回っているイグニスが俺たちと合流を果たせば、より優位な状況が築ける。


 時間は俺たちの味方をしている。

 そしてマルセルもそのことに気付いているはずだ。

 だからこそマルセルはフラムとシャドウ・スライムの戦いが終結するその前に、俺とディアを片付ける腹積もりなのだろう。


「ディア」


「うん、わかってる」


 俺の短い呼び掛けにディアは即座に反応する。

 戦いの火蓋が切られる寸前であることをしっかりとディアは理解していたようだ。


 張り詰めた空気が流れていく。

 極限まで高まった集中力が周囲の音を遮断する。

 もう俺の耳には、今尚激しく戦うフラムたちの戦闘音は入ってこない。

 聞こえてくるのは自分の息遣いと速まっている心臓の鼓動だけ。


 そして何の合図もなく――戦いは始まる。


 俺の眼はマルセルの一挙一動を見逃すことはなかった。

 聖職者然とした白い祭服で巌のような屈強な身体を覆い隠していたが、祭服の裾に僅かな皺ができたことで初動をとらえることに成功する。

 距離を一気に詰めてきたマルセルに対し、俺はディアを背に隠す形で前に立ち、紅蓮で迎え撃つ。


 マルセルの拳と紅蓮がぶつかり合う。

 素手と切れ味鋭い刀だ。勝負は見えている。

 そう思ったのも束の間、マルセルの拳によって紅蓮が甲高い金属音を響かせ、大きく弾かれた。


「――っ」


 鳩尾を穿たんとばかりに鋭い拳が放たれる。

 俺は大きく体勢を崩されながらも、身を捩ることで何とかそれを回避。そしてマルセルの肩口目掛け、素早く紅蓮を上段から振り下ろす。


「ふんッ!」


 気合いの籠った掛け声と共に放たれた裏拳で紅蓮はピタリと止められる。

 俺は止められた紅蓮を即座に胴体を狙って横凪ぎに振り払い、マルセルを後退させた。


「……」


「……」


 間合いが離れたことで両者ともに視線だけで牽制し合う。

 当然ながら、これしきのやり取りで息が上がるほど互いに柔ではない。今はただ、互いに仕掛けるタイミングを見計らっているだけ。少しでも隙を見せれば、すぐさま戦闘が再開されるに違いない。


 睨み合う中、俺は今の一連のやり取りで感じたこと、理解したことを頭の中で巡らせていた。


 まず一戦交えて感じたことは、マルセルの魔法系統スキルを除いた純粋な戦闘能力は俺と同等か少し下だろうということだ。

 剣技と拳技で違いこそあれど、最初の一撃で俺の体勢を大きく崩し、致命傷に繋がりかねない隙を与えてしまったにもかかわらずその好機を活かせなかった点からも、敏捷面では俺の方が上だと言えるだろう。

 感覚的に言うと、このまま紅蓮と拳だけで戦闘を続けてくれれば勝てる。少なくとも負けはしない。そんな感触をこの一戦で俺は得ていた。


 しかし、不安が全くないと言えば嘘になる。

 俺は紅蓮で放った一撃一撃に、それぞれ伝説級レジェンドスキル『致命の一撃クリティカル・ブロー』を使用していた。

 このスキルの能力は『物理攻撃時の防御・耐性の完全無視』。

 故に、本来なら紅蓮を拳で止めることなど不可能。

 だがマルセルの拳は『致命の一撃』の効果を打ち消すだけに留まらず、切れ味鋭い紅蓮を己が拳だけで容易に防いで見せた。それも、薄皮一枚斬られずに、だ。


 正直なところ、その防御力には驚きを禁じ得ない。

 当然、必ず何かしらの仕掛けがあるはずだ。

 伝説級スキルを完封するなど、そう容易くできることではない。

 できるとするなら、それは伝説級スキルよりも上のスキル――神話級ミソロジースキルしかないだろう。

 未だにその神話級スキルがどのような能力を持っているのかは定かではないが、ある程度はこの地下空間に来てからの経験で推測できる。


 剥がれ落ちたディアの『形態偽装』の仮面。

 探知系統スキルの誤表示。

 魔法系統スキルの阻害。

 敵勢力の魔法系統スキルの行使。


 これらから推測するに、マルセルのスキルの能力は『指定対象の空間または他者に作用するスキルの妨害』といったところだろうか。

 剥がれ落ちた『形態偽装』の仮面に関しても、仮面がディアと言う他者にスキルを作用させているからと捉えれば説明がつく。

 地下空間で襲い掛かってきた五人組の襲撃者やシャドウ・スライムが魔法系統スキルを使用できたのも、マルセルがそれらを指定しなかったからと考えれば多少の違和感すらあれど、あながち俺の推測も間違っていないと思えてくる。


 俺の推測が正しく、マルセルが持つ神話級スキルの能力で『致命の一撃』の能力を妨害、もしくは打ち消したと考えると、マルセルが先の一連の戦いで見せた動きにも納得がいく。

 マルセルが紅蓮を防いだのは裏拳を含め、全て拳によるものだった。『拳聖セイント・フィスト』を持つマルセルならば、『致命の一撃』が付与されていない紅蓮の一撃を拳で受け止めたとしたも然程不思議ではない。


 拳技系統スキルを持つ冒険者は皆、己の拳一つで魔物を倒す。例えそれがどれほど硬い鱗や甲羅を持つ魔物であってもだ。

 上位の拳技系統スキルを持つ者の拳は岩をも容易に砕く。すなわちその拳は岩よりも硬いということに他ならない。

 ならば伝説級スキルである『拳聖』を持つマルセルの拳が、紅蓮の斬撃を受け止められるほどの硬度を持っていたと考えるのが自然だろう。


 実際、俺ががむしゃらに胴体を狙って放った横凪ぎの一撃をマルセルは回避した。もしマルセルの防御力が全身に及ぶものであったなら回避する必要はないはずだ。

 つまり回避をしたと言うことは、マルセルの異常に高い防御力は拳に限定されるという証明に他ならない。


 作戦方針は決まった。

 狙うはマルセルの拳が届かない箇所。


 俺は睨み合いをやめ、マルセルとの距離を詰めた。

 拳の間合いには入らない。リーチを活かし、一方的な攻勢に出る。

 紅蓮を下段に構え、マルセルの下半身を狙って一閃。

 威力よりも速度を重視した斬撃に対し、マルセルは防戦一方。後退を余儀なくされる。


 狙い通りの展開になり、俺はさらに攻勢を強めていく。手数を増やし、右左に規則性のない斬撃を次々と絶え間無く放つ。

 後退するマルセルと、それを追う俺といった構図が数十秒続き、ついに俺の斬撃がマルセルの右足を掠める。


「――ちっ」


 マルセルが舌を弾く。

 だが舌打ちをしたいのは俺も同じだった。

 掠めはした。けれども祭服を切り裂いたに過ぎなかったからだ。


 後一歩が届かない。

 踏み込めない。


 不用意にもう一歩踏み込んでしまえば、マルセルの間合いに入ってしまう。

 だからといってこのまま延々と攻勢に出続けるのも厳しい。体力面ではなく、集中力の問題だ。

 僅かでも集中力の乱れを見せてしまえば、マルセルは攻撃に打って出てくるだろう。乱打戦に持ち込むのも悪くはないが、できることなら今の優位を活かしつつ、最低でも時間を稼ぎたいところだ。


 紅蓮を振りながらそんなことを考えていた時だった。

 マルセルの足運びに乱れが生じたのを俺の目が捉える。

 左足の太腿を狙った一撃への対応をマルセルは誤り、右足を引いてしまっていた。


 千載一遇の好機。

 俺は全力かつ全速で紅蓮を振るう。

 その刹那の中、ふと俺はきな臭さを感じ取っていた。

 果たしてそんな馬鹿げたミスをマルセルがするのか、と。


「――掛かったな」

 

 嘲笑の色が入り交じった言葉がマルセルの口から呟かれる。

 俺は駆け引きでマルセルに負けたのだと瞬時に悟る。足運びの乱れは俺の隙を誘い出す甘い罠だったのだ、と。

 だが一度振った刀は止まらない。

 マルセルの太腿に紅蓮の刃が吸い込まれていく。

 コマ送りのように時がゆっくりと進んで見える。

 そして十センチ、九センチとその距離を縮め、後五センチで紅蓮の刃が太腿に届くというタイミングで、それは現れた。

 マルセルが持つ伝説級スキル『地神魔法アース・フェイブル』で生み出されたのであろう鈍色に輝く極小の金属片がマルセルの太腿と紅蓮の間に立ち塞がったのだ。

 それと同時にマルセルは囮にした左足に体重を乗せ、俺の顔面を目掛けて右拳を繰り出した。


 回避は間に合わない。

 しかし俺は数瞬後に襲い掛かって来るであろう衝撃に備えながらも、紅蓮を振るう力を緩めることはなかった。

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