第292話 地の者

 横から突如として聞こえてきた声に興味を持ち、男はエドワールへ伸ばしていた手を引っ込め、声の持ち主に顔を向ける。

 そこには、うっすらと赤みを帯びた黒い髪を持った男――イグニスが姿勢良く立っていた。


「……フハッ、ハハハハハッ!!」


 男は思わず笑みを溢していた。

 歓喜で身体を震わせていた。


 強者と拳を交えることが男の唯一無二の趣味であり、男に極上の快楽をもたらせてくれるものであった。故に男は、常日頃から強者との戦いを待ち望んでいた。

 そこで現れたのが、圧倒的な強者の臭いを漂わせる執事服を身に纏った男。

 男の瞳には、既にイグニス以外の何者も映らなくなっていた。


「おいおいおいおい! 何だよっ、いるじゃねぇか! 強そうな奴がよ! ……ああ、最高だ。最高に楽しめそうだぜ。それに……」


 男の不気味な笑みがさらに深まる。


「さてはお前――俺様とだな?」


 語尾に疑問符をつけたようなイントネーションだったが、男は確信を持っていた。

 男が持つ、人より遥かに優れた嗅覚が告げていたのだ。――竜族である、と。


 男の問いに、イグニスの心が揺さぶられることはなかった。

 動揺は微塵もない。しかし、嫌悪感で整った顔立ちが僅かに歪んだ。


「心外ですね。土臭い貴方と一緒くたにされるのは」


「土臭い、だと? お前……殺されてぇみたいだな」


 男の表情が一変する。

 笑みは一瞬で消え失せ、瞳の奥には怒りの炎が燃え滾っていた。


 憤った原因はイグニスの発言にある。

 土臭いという言葉は、土を司る竜族である『地竜』を侮辱する言葉として、竜族の間で常識として知れ渡っている禁止用語だったのだ。地竜ではなく、土竜モグラであると馬鹿にする意味もその言葉には含まれている。


「事実を口にしたまでですが? 土臭く、芋臭く、そして地味。それが貴方方の特徴ではありませんか」


「……調子こいてんじゃねぇぞ、クソが。俺様とお前は同族だ。だがな、同格だと思ってんだったらそれは勘違いってもんだ。どこの馬の骨だかわからねぇが、俺様に歯向かおうだなんて千年早ぇってことをわからしてやるよ」


 男から強烈な殺気が放たれる。

 常人であれば泡をふいて卒倒してしまうだろう殺気を、イグニスは真正面から悠々と受け止めた。


「わからせる? 貴方が私めを? それは土台無理な話というものです。既に私めの中で貴方の格付けは済んでおります。足元にも及ばぬ若輩者だと、ね」


「――死ね」


 これ以上の会話は不快なだけと判断した男は、イグニスの身体を八つ裂きにせんとばかりに、過剰とも言えるほどの土の針をお見舞いする。

 回避する時間は与えない。


 本来であれば、強者との戦いを楽しむために不意を討つような真似はしなかっただろう。だが今回だけは別。楽しむことよりも不快感が上回った。

 今すぐにでも口煩い男を消したいとの欲求が、男を突き動かしたのである。


 土の針が次々とイグニスの身体を貫いていく。

 後数秒もしないうちにイグニスの身体は原形すらも留めることが出来なくなる――はずだった。


「貴方は一体何をしているのでしょう? 私めはそこにはいませんよ」


 無精髭を生やした男は唖然とする。

 針で貫き殺したはずの男が、無傷のままの姿で男に話し掛けてきたのだから。


「……あ? 何をしやがった、てめぇ」


「した、ではなく、していたと言った方が正確ですが……まぁいいでしょう。それにしても貴方には少々ガッカリさせられました。よもやこの程度の奇術すら見抜くことが出来ないとは。これでは地の者たちの行く末が心配になってきますね」


 顎に手をあて、さも心の底から心配しているかのように考え込む仕草を見せるイグニスが無傷のままだった理由には、勿論仕掛けがあった。

 その仕掛けとは、英雄級ヒーロースキル『陽炎』にある。

 このスキルの能力は、幻影の創造・位置情報の偽装・本体の不可視化。

 イグニスはこの『陽炎』を、エドワールの助けに入る前から使用していたのである。

 そして『陽炎』は、今この時も発動している最中であったが、男はそれに気づけていない。


「余計なお世話――だッ!」


 一度で駄目ならもう一度とばかりに、再び土の針がイグニスを襲う。

 だが何度幻影を攻撃しようが、幻影は幻影でしかない。

 幻影が貫かれ、消える。そして新たな幻影が男の前に姿を現す。

 これを幾度も繰り返し、男はようやく手を休めた。


「チッ……幻影っつうことか。今更気が付くなんて頭に血が上りすぎてたみてぇだな。本体は……」


 男は目を閉じ、全神経を嗅覚に集中させる。


「――そこか」


 極太の一本の針が、誰もいない空白地に生み出される。


「ようやく気付いていただけましたか」


 声と共に、針の先に陽炎の如き揺らめきが起こる。

 そして揺らめきが徐々に人の姿の形を成していき、イグニスの本体が姿を現した。


「随分とコケにしてくれたなぁ? お前が言う奇術とやらのタネは割れた。そんで、お前はここからどうするつもりだ? 真正面から俺様と殺り合うか?」


「そうですね。隠れんぼも飽きてきましたし、そろそろ貴方に格の違いを教えて差し上げましょうか。ですがその前に……」


 イグニスは怪我で動けなくなっていたエルミールのもとへ針の先から跳び向かい、お姫様抱っこの形で優しく抱き上げた。


「命に別状はないようですね。意識ははっきりとございますか?」


「大……丈夫よ……」


 懸命に強がって見せるエルミールだったが、その声は怪我による痛みで途切れ途切れになっていた。

 しかしそれでもエルミールは事態の把握に取り掛かるため、ぎこちなく口を動かす。


「それ、より……貴方は……一体……」


「ある方の命により、貴女方の護衛を任せていただいた者、とでも言っておきましょうか」


「……護衛、ね」


 ぼやかされた言葉ではあったが、『ある方』の心当たりはあの三人組の誰かしかいないと心の中で納得したエルミールは、大体の事情を察したこともあり、そこで口を閉ざした。


 イグニスは痛みを与えないよう優しくゆっくりとした足取りで、エルミールをレーガーとエドワールがいる正門付近に運んだ。

 その間、無精髭を生やした男が手を出してくることはなかった。それは慈悲からでも、優しさからでもない。イグニスとの格付けを行おうとするその前に不意を討ってしまえば、それは負けに等しい行為であると考えたからに他ならない。


「エルミール姉様ッ!」


「エルミールッ!」


 エドワールとレーガーが駆け寄り、大怪我を負って力が抜けた状態のエルミールを二人で受け取った。


「皆様はここから避難を……いえ、やはりこの場所に留まっていて下さい」


 下手に目の届かない場所に行かれるより、この場に留まっていてくれた方が都合が良いと考え直しての発言だったが、当の二人には届いていなかった。

 エドワールとレーガーはエルミールを地面に寝かせ、レーガーが持つ治癒魔法でエルミールの治療に取り掛かっていたからだ。


(説得する手間が省けたと喜ぶべきでしょうかね。さて、それでは同族に私自らの手で教育を施して差し上げましょうか)


 イグニスは三人から目を離し、同族の男に向き直る。


「お待たせ致しました。どうぞどこからでも来てくださって結構ですよ」


「その余裕な態度をいつまで保っていられるのか見物だぜ。だが、殺り合う前に一つ聞かせろ」


「答えられる質問であれば」


「お前の名前を聞かせろ」


 拍子抜けした質問ではあったが、イグニスにその質問に答えるつもりは毛頭なかった。

 ここは敵地なのだ。下手に名前が知られるような間抜けな真似などイグニスがしようはずがない。


「……名前ですか。名を聞くのであれば、自分から名乗るのが礼儀というものですよ」


「……チッ、いちいち癪に障りやがる。フェルゼン、俺様の名はフェルゼンだ」

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