第166話 偵察

 ロザリーとの交渉の結果、ディオンの身柄と引き換えに王都の現状についての詳細な情報を得たイグニスは自室で紅介に向けた手紙をしたためていた。


(……ふむ。とりあえずはこんなところでしょうか)


 ペンを置き、二つ折りにした手紙を封筒に入れて封蝋を施す。

 その後、紅介の部屋に入ったイグニスはクローゼットを開き、紅介の疑似アイテムボックスに繋がっているゲートに手紙を優しく放り込んだ。

 そしてイグニスは部屋に備え付けられている時計に目を向け、時間を確認した。


(後三十分ですか。交渉が上手く進めば、コースケ様方のお手を煩わせることはなくなるでしょうが、まず不可能でしょうね)


 イグニスは時計から窓の外に視線を移し、ぼんやりと朝日を眺めながら、王都の行く末を頭で描くのであった。



―――――――――――


 イグニスが紅介に手紙をしたためていた頃、王都の北の戦場では、ジェレミー・マルク公爵が率いる軍団とパスカル・バランド辺境伯が率いる軍団が協力し、約五百体にも及ぶ強力な魔物を全て駆逐し終えたところであった。


 ジェレミーが率いた兵数は約五千。そこにパスカルの兵とその他の貴族が率いた兵を加えると、その総数は一万を優に超える。

 これ程までの数を揃えるのには、王国の目を欺き、兵站や兵士の装備を調えたりとそれなりの苦労があったが、ここまでは大方順調に事が進んでいると多くの反王派貴族は考えていた。

 けれども、そんな中でジェレミーだけは順調とは程遠い状況に陥っていると認識していた。


 そう認識するに至った理由は二つ。

 一つは、南方から侵攻してくるはずの反王派貴族の到着が遅れていることにある。

 ジェレミーの計画では、朝日が昇ると共に王都を完全に包囲するというものであった。南方の反王派貴族とも事前に何度も連絡を取り合っていたこともあり、日時を間違えているとは考え難く、何かしらのトラブルが起きていると考えた方が妥当だと言える。

 現在は王都の包囲を完成させるため、ジェレミーとパスカルが率いた兵の一部を南にあて、包囲の体裁だけは保っていた。しかし、その分だけ包囲は薄くなっており、王都への圧力と迫力は幾分か低下してしまっていることは否めない。


 二つ目の理由――それは近衛騎士団の隊長でありながら、今回の計画の肝であるジスラン・バルテルからの連絡が未だに届いていない点にあった。

 ジェレミーがジスランに命令した内容は王城の占拠とアリシアの確保の二つ。そして、そのどちらかが成功した時点で、ジスランからは狼煙でこちらに連絡が行われる手筈となっていた。

 無論、作戦が成功する確率を上げるためにジスランへの援助は行っていた。

 王都中の兵の目をこちらに引き付けることで、ジスランが動きやすい状況を生み出し、この日のためにジスランを近衛騎士団隊長という立場に押し上げたのだ。

 裏切りが露見し、その報告がエドガー国王かその側近に行われない限り、いくら怪しまれていようが、ジスランの立場であれば王城に入ることはそう難しいものではない。

 そして上手く事が進んでいれば、今頃は作戦が成功したという連絡が狼煙で行われていてもおかしくはない時間が経過していたが、未だに狼煙が確認されたという報告がジェレミーのもとには届いていなかった。


 これらのことから、ジェレミーは嫌な胸騒ぎを感じていたのだ。


(最早、ジスランに下した命令は失敗したと考え、次の作戦に移行すべきだろうな……これ以上時間を無駄にすることは好ましくはない)


 ジェレミーたち反王派貴族が時間を無駄にすることが出来ないのには理由がある。至極単純な理由だ。それは兵糧に大きな問題を抱えているからに他ならない。

 ジェレミーを除く反王派貴族は基本的に王都から離れた地に領土を持っており、ここまでの道中で大量の兵糧を消費していた。しかも、隠密に行軍をしなければならなかったため、道中にある王派や中立貴族の領地で食料を買い占めるわけにもいかず、兵糧の補給が出来ていないのだ。


 ジェレミーに寄せられた報告によれば、兵糧の問題から試算されたタイムリミットは残り二日。

 二日以内に王都を陥落させなければ、王都どころか、王国から脱出しなければならない。しかも、王派貴族の領土で略奪紛いの事をしながら、だ。

 しかし、ジェレミーや他の反王派貴族にとっては、兵糧の問題など大した問題ではないと考えている。何故なら、ここで王都を陥落させられなければ、自分達に未来がないと理解していたためだ。

 負ければその先に待っているのは粛清か他国へ逃亡し、一平民としての未来だけ。是が非でも負けるわけにはいかない戦いなのだ。

 けれども、貴族ではない兵士たちはそうは考えていない。あくまでも、領主様の命令で軍に参加しているだけなのだ。

 そのため、兵糧が尽きてしまえば、兵の士気は目に見えるように低下し、王都を陥落させるなど到底不可能となってしまう。

 だからこそ、ジェレミー自身が兵糧についてどう考えていようが、二日というタイムリミットは厳守しなければならなかった。


 そしてジェレミーは隣に控えていた側近に命令を下した。


「計画をもう一段階進める故、我が軍に前進するよう伝えよ。その他の貴族軍は待機だ」


「かしこまりました、閣下。ですが、本当によろしいのでしょうか?」


「問題はない。失敗をしようが、こちらに被害は出ないのだ。やるだけの価値はあるだろう」


「かしこまりました」




 数分後、ジェレミーの命令通りに、マルク公爵家の軍が前進した。

 前進したのは王都の外壁の上にいる王国騎士団からの攻撃が届かない位置までである。

 そして、マルク公爵家の軍はある行動に出ていた。それは、ラバール王国の国旗を掲げながらの進軍である。

 マルク公爵家の軍が王都に近づくと共に、外壁の上にいる王国騎士団の多くが弓を構え、その姿を確認したジェレミーは横に並んでいた側近に視線だけで命令を下す。

 側近は緊張した面持ちでジェレミーに頷き、行動を開始した。

 馬に乗っていた側近は一人で王都に近寄っていく。

 そして一定の距離を進んだところで、王国騎士団の一人から警告が告げられた。


「それ以上前に進むのであれば、反逆の意思ありと判断を下し、攻撃を開始する! 止まられよ!」


 低く威圧的な声音を持って警告を告げた王国騎士に対し、ジェレミーの側近は大人しく警告に従い、その場で停止。そして、ラバール王国の国旗を掲げながら返答する。


「我らは王都に危機が迫っていることを察知し、援軍に駆けつけた次第であり、決して反逆の意思などはありませぬ! 我が軍は魔物との戦いで多くの者が疲弊したため、王都にて休息を取らせていただきたく存じます!」


 ラバール王国の国旗を掲げたのは、ラバール王国に忠誠を誓っているという意思を示すためだ。勿論、そんな忠誠心などはマルク公爵軍にありはしない。そして、王国騎士団もそんなことに騙されるはずもなかった。


「――戯言を! 我らが魔物と戦っていたにもかかわらず、一切助けようともしなかったではないか! 今すぐ全軍を引き上げ、王都から立ち去るがよい!」


「ですが――」


「くどい! 反逆罪に問われたいか!」


 王国騎士の一喝で、ジェレミーの側近はマルク公爵家の軍団の中へと戻り、ジェレミーに質問を行う。


「案の定と言いますか、王都には入れてもらえそうにありませんでした。閣下、今の私の行動に何か意味があったのでしょうか?」


 ジェレミーは視線を王都の外壁の上に固定したまま、側近の質問に答えた。


「王都に入ることが出来たのなら御の字といった単純な駆け引きだ。気にするでない。それより、後退の指示を出せ。先程までいた場所へ後退だ」


「……かしこまりました」


 腑に落ちないといった表情を僅かに見せた側近は、ジェレミーの命令を全軍に伝達するために、その場を後にした。

 その間、ジェレミーは外壁の上に視線を固定したままの状態で思案する。


(見た限りでは、冒険者の姿はない。どうやら冒険者は内乱に巻き込まれることを避けてくれたようだ。これは上々な状況だと言えよう。それに、王国騎士団の数もかなり少ないように見える。これならば、一日もかからずに王都は落とせるだろう)


 ジェレミーの目的は王都へ入れてもらうような浅はかなものではなかった。真の目的は王都の戦力を知るための偵察である。

 ジェレミーが最も危惧していたのは、冒険者が王都の防衛戦に加わることだった。しかし、外壁の上に冒険者の姿は確認できず、さらには想定以上に王国騎士の数が少ないという状況に、思わず表情が崩れそうになってしまう。


 これなら勝てる――そう確信したジェレミーに、とある凶報が数十分後に舞い込んでくることなど、この時は思いもしなかった。

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