第134話 異常事態

「はぁ……はぁ……チクショウ……逃げられちまった」


 吸血ヴァンパイア・王女プリンセスの追走に失敗し、俺たちの下に戻ってきたブレイズが息も絶え絶えに愚痴を零す。

 ブレイズは村と森の境界線まで追走を行ったが、暗い森の中へ入るリスクを考えた末に戻ってきたとのことだった。


「……ごめん。俺が仕留めることが出来ていれば……」


 逃がしてしまった原因の全ては俺の不手際によるもの。

 紅蓮を帯刀せずに家を出てしまった自分の愚かさを悔いるばかりだ。

 知らず知らずの内に心のどこかで気を抜いてしまっていたのかもしれない。

 そもそも、あんな時間に女性が一人で外にいること自体に疑問を持つべきであった。あまつさえ、この村では失踪事件が多発していると知っていたのに、だ。

 これを怠慢と言わずに何を怠慢だと言うのだろうか。


「いや、コースケのせいじゃねぇよ。今回はSランク冒険者である『新緑の蕾』の失態だ。あくまでも『紅』は俺たちの補助をすることが仕事のはずだしな。つーか、ララとレベッカは何してんだ……ったく」


 ブレイズの優しい慰めの言葉を真に受けては自分を駄目にしてしまう。

 冒険者ランクこそ『新緑の蕾』の三人の方が上なのは確かな事実。けれども、戦いにおいては俺の方が間違いなく強いのだ。

 ノブレス・オブリージュ――身分の高い者はそれに応じて責任と義務を持たなくてはならない――とは少し違うが、冒険者においても実力がある者はそれに応じて責任と義務を持つべきだと俺は考えている。

 だからといって自分より弱い者全てに責任を持てとは流石に考えてはいないが、今回の件については完全に俺の責任であることは間違いない。


 内心はどうあれ、ここはブレイズにお礼を言うべきだと判断した俺は無理矢理表情を取り繕い、お礼を告げる。


「ありがとう」


 たった五文字の言葉を紡いだだけで俺の精神は削られていく。

 感謝の言葉自体には嘘偽りはない。だが、それよりも慰められたことでさらに罪悪感が強まってしまっただけだ。


「気にすんな。それよりディアちゃんとフラムちゃんに聞きたいんだけどよ、ララとレベッカは何してんだ?」


「寝てる」


「爆睡ってやつだ」


 あっけらかんとした表情で二人の現状を報告するディアとフラム。

 それに対してブレイズは深刻な表情――ではなく、呆れた表情しながら深い深い溜め息を吐く。それも両手で頭を抱えながらだ。


「おいおい……マジかよ……。同じ部屋で寝ていたディアちゃんとフラムちゃんは起きたってのによ……」


「わたしとフラムは一つのベッドで一緒に寝ていたから」


 どうやら寝室にあった三つのベッドはララとレベッカが一つずつ使用し、ディアとフラムは一つのベッドを分けあって寝ていたらしい。

 女性陣の中でディアが一番小柄なので、妥当といえば妥当な割り振りだろう。


「にしても、普通は気付くだろ? あんなおぞましい叫び声を聞けばよ。まぁ、とりあえず借りた家に戻るか。眠気も覚めちまったし、少し早いが飯でも食って英気を養っておこうぜ」


「賛成だ。肉を食べるぞ、肉を」




 和やかな雰囲気になったところで、俺たちは借りた家へと戻ることになった。

 俺は努めて平静さを装いながら、家に戻る道中は最後尾を歩き、一人決心する。


 必ず吸血王女を討伐する――と。



―――――――――――――


 紅介が吸血王女と戦った日の前日。

 ラバール王国王都プロスペリテから馬車で一日程の距離にある北の森で異常事態が発見された。


 第一発見者はラバール王国の騎士団員。

 この日の昼下がり、ラバール王国の一部騎士団員たちは月に一度行われる戦闘演習のため、北の森に赴いていた。

 演習内容は魔物の討伐。

 王都近郊に出現する魔物の駆除と戦闘訓練が行える、まさに一石二鳥の演習である。


 二十人の騎士団員を率いるのは王国騎士団の小隊長を任されているコームなる人物。

 年齢は三十歳。正義感が強く、王国を守るためであれば身の賭して戦うような男で、小隊に属する部下たちからの信頼も厚い人格者だ。


「よし! 馬車を止めよ! 今回はこの辺りで戦闘演習を行うものとする! 皆、支度を始めてくれ!」


「「ハッ!!」」


 街道のすぐ脇に馬車を停車させ、各々が演習の準備を始める。

 しかし準備とは言っても、大した準備などはなく、忘れ物はないかなどの最終確認に過ぎない。

 演習の期間は二日間しかないため、荷物の量が少ないこともあって準備は僅か数分で完了し、コーム小隊長の前に団員は整列した。


「毎度毎度、聞き飽きた台詞だとは思うが、気を引き締めて演習に努めてくれ。そして決して無理はしないように。――以上だ」


「「ハッ!!」」


 団員たちの返事は真剣そのもの。

 ただし、その内心は全員が全員、浮かれ上がっていた。


 その理由は二つ。

 一つはこの戦闘演習は団員たちの息抜きの側面が強い点にある。

 魔物を倒し、実践経験を積むことが本来の目的ではあるのだが、実際はそれだけではない。

 食用の魔物は討伐次第、夕食として振る舞われるのだ。

 狩れば狩るほど肉が食えるともなれば、騎士たちのモチベーションは際限なく上がっていく。その上、翌日の演習に差し障りがない程度のアルコールまで許されていることもあり、演習への意欲が一層膨れ上がるのも無理はない。


 そしてもう一つの理由。

 それは魔物を討伐した際に手に入る素材や魔石を売ることで得られる金を演習に参加している騎士全員に分配されることにある。

 もちろん王国を守る盾であり、剣でもある彼らはそれなりの給与を受け取ってはいるのだが、金が貰えて嬉しくない者などいるはずもなく、演習へのモチベーションを上げる一因となっているのだった。




 演習が始まり、コーム小隊長を先頭に隊列を組ながら森の中を進んでいく騎士団一行。

 そんな一行が最初に出くわした魔物はボアファングと呼ばれる魔物であった。

 猪に良く似た魔物で、その気性は荒く、鋭い牙を持っているのだが、騎士団にとっては大した相手ではない。

 ボアファングが出来る攻撃といえば、突進と鋭い牙での突き上げくらいのもの。

 戦闘演習では毎度お馴染みの魔物でもある。

 何より、ボアファングの肉は丁寧に下ごしらえさえすれば、かなり美味い部類の魔物とあって、自然と騎士たちの気勢は増していく。


「怪我をしたくなければ、ボアファング一体でも気を抜くな! 必ず二人一組で行動するんだ! 手の空いている者は周辺の警戒を怠るなよ!」


「「ハッ!!」」


 五組十人の騎士がボアファングと対峙し、残りは周辺の警戒にあたる。

 ボアファング一体に十人という人数は明らかに過剰な戦力ではあるが、連携面の確認には適しているため、過剰に戦力が送られていた。


 五組十人の騎士がボアファングを囲い、各々武器を構える。

 そしてボアファングの後方に位置取った一組の騎士たちがじわりじわりと距離を詰め、剣を振りかざそうとしたその時だった。


「ピィィィィィー!」


 突如として、警戒班からの警笛が森の中に響き渡ってきたのだ。

 警笛が使用されたということは、つまり異常事態の発生を意味する。

 ボアファングを取り囲んでいた騎士たちが警笛に意識を取られていた隙にボアファングは逃走してしまうが、それどころではない。

 いち早く警笛に反応したのは小隊長であるコーム。


「各員、警戒を厳とせよ!」


 コーム小隊長の指示により、騎士たちの警戒レベルが数段回引き上げられると共に、警戒にあたっていた騎士たちが続々と集結してくる。


「何があった?」


 冷静な声音で警戒にあたっていた騎士に警笛を吹いた理由を聞いていく。


「いえ、私たちが鳴らしたものではありません。警笛がなったため、訓練通りに小隊長の下へ戻った次第であります」


「では、まだ戻ってきていない者からの警笛か……。皆! 詳細が判明するまでは警戒を――」


 コーム小隊長が全てを言い切る前に、息を切らしながら駆けつけた騎士によって言葉が遮られる。


「きゅ……急報! 大量の魔物が北から南下してきております!」


 大量の魔物という言葉に騎士たちは気をさらに引き締め、コーム小隊長の命令を待つ。


「大量の魔物だと……? 本当か? 数はどれ程だ?」


 王都から然程離れていないこの森で、魔物が大量に現れたという報告をコーム小隊長は今まで耳にしたことがなかった。

 ましてや、現在騎士団がいる場所は街道に近い森の中。

 誤報か、大袈裟に報告しているのではないかと疑ってしまうのも無理はない話。


「数は……数えきれない程であります」


 具体的な数字すら提示することが出来ない程の魔物。

 そんなわけがあるか、とコーム小隊長が口にしようとしたところで、ある事に気付く。いや、気付かされてしまう。


 報告をした騎士から聞こえてくるガタガタとした鎧の音を。


 その騎士は震えていたのだ。

 見たこともない程の数の魔物に遭遇してしまった恐怖によって。


「各員、馬車まで戻るのだ! 即時撤収せよ!」


「「ハッ!!」」


 コーム小隊長を殿に、駆け足で街道沿いに停めてある馬車まで戻る。

 そして殿を務めていたコーム小隊長はふと後方を振り返り、あるものを見てしまう。


 ――跳梁跋扈する大量の魔物の姿を。



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