第163話 深海の歌姫
リーシアがアルカディアの一員となって早くも一ヶ月の時が過ぎようとしていた。
当初は、人魚族というこれまでアルカディアにはいなかった種族のため、リーシアが他の者たちと馴染むことができるのか、疑念を覚えていた。
しかし、リーシアの明るい性格や持ち前の愛嬌、そして
結果的に、紫音の心配事は取り越し苦労に終わった。
リーシアの件も片付き、落ち着きを取り戻した今日この頃、紫音はフィリアを連れていつものように街の巡回に足を運んでいた。
「この地区も異常なしだな。工程表を見る限り、予定通り開発は進んでいるようだな」
手元にある資料に目を通しながら紫音は、アルカディアのさらなる発展に頬を緩ませていた。
「まったく、こんなのわざわざ現地に行かなくても、報告書にまとめてくれればそれですむのに……」
半ば強引に紫音に連れ出されたせいか、隣にいるフィリアはなにやらぶつくさと文句を垂れ流していた。
「確かに俺との契約のおかげで報告書を改竄される恐れがないから、後から報告書を見ればそれで済む話だけど、こうして実際に自分の目で確かめたほうが断然いいだろう?」
「だったら紫音だけで確かめに行けばいいでしょう。わざわざ一緒に行かなくてもいいじゃない」
「いつも屋敷でダラダラしているくせになに言ってんだよ。少しは国民たちの前に出て王様らしい振る舞いでもしたらどうだ?」
「ふん、余計なお世話よ」
頬を膨らませ、不満を募らせているフィリアを尻目に、紫音は構わず巡回を進める。
「ここはもういいとして……次はディアナのところにでも行ってみるかな? ポーション製造の進み具合も確かめたいところだし……」
「……紫音忘れたの? 今日は新しい魔道具の開発に専念したいとかで研究所には来なくていいって昨日ディアナから言われたじゃない」
「あっ、そういえばそうだったな……」
「まったくよ、もう。それにしても……ディアナも偉くなったものね。最近じゃあ何人もの助手を従えて研究に勤しんでいるようじゃない」
「いいことじゃないか。それもこれも、エルヴバルムが人を寄こしてくれたおかげだろ」
先日の会議にて、正式にポーション製造の人員をエルヴバルムから出向してもらうことが決まった。
元々、エルヴバルムの中にはディアナの才を間近で見て、ぜひ弟子として教えを乞いたいというものが何人かいたらしく、募集定員が埋まるまで、そう時間はかからなかった。
今では、ディアナの弟子になるために何人ものエルフアルカディアに移住し、彼女のもとでポーションの製造はもちろんのこと、研究や開発に努めていた。
ディアナも助手が増えたことにより、研究の幅が広がったとのことで声を上げて喜んでいたという。
「さて、ディアナのところはいいとして次はどこを回ろうかな?」
「ねえ、それよりもどこかで食べていかない? 私、お腹空いたわ」
「……そうだな。もう昼時だし、中心街に行って食べにでも行くか」
フィリアの提案に賛同した紫音は、その足で街の中心部へと向かった。
それから十分ほど歩き続け、街の中心部に到着した紫音とフィリア。
昼時のせいか、屋台や飲食店が立ち並ぶ区域には、人で溢れ返っていた。
「やっぱりこの時間帯になると混むな」
「どこも昼休みに入るからしかたないでしょう。……それで、どこにする? 個人的には肉系を希望するわ」
などと個人的な希望を踏まえながら紫音に尋ねてきた。
「それならちょっと行きたいところがあるんだが、そこでもいいか?」
「へえ、紫音のお勧めの店かしら?」
「お勧めっていうより、後で寄ろうと思っていた店だな」
「……へえ」
「そろそろ、あいつの様子も見に行かないと拗ねるからな。……あと、そこの店は肉料理も出しているからそんな心配そうな顔をするな」
「えっ? 顔に出てた?」
「ああ、思いっきりな……」
「いまのは忘れなさい!」
恥ずかしそうに言うフィリアを連れて、紫音は目当ての店へと向かった。
「……ねえ、ここって」
紫音が勧めた店の前に辿り着いたフィリアは、その店を見て驚きを隠せずにいた。
「少し前まで閑古鳥が鳴いていた店よね……。なんでこんなに人が入っているの?」
その店は、エルヴバルムに住むエルフ族が開いた飲食店だった。
エルフの郷土料理を売りとしており、エルヴバルムにもこれと同じ店が開いているためアルカディアにあるこの店は実質2号店のような立ち位置となっている。
しかし、ここら辺は多くの飲食店が並ぶ激戦区であるほか、エルフの料理という他の人からしてみれば馴染みのない料理でもあるため、あまり繁盛していなかった。
それだというのに、この盛況ぶり。
あまりの状況の変化にフィリアは、目を丸くさせていた。
唖然としているフィリアに対して特になにも言わず、紫音は店の中へと入っていく。
店内は吹き抜けとなっており、ここから二階のテーブル席が見える。店内の一画には、飲食店にはあまり関係なさそうなステージが目立つように置かれている。
店員の案内のもと、隅のテーブル席に座り、紫音は渡されたメニュー表を広げていた。
紫音がメニュー表に目を通してる中、なにやらフィリアは店内をきょろきょろと見渡している。
「本当に繁盛しているわね。この前のがウソみたいだわ」
「ここの料理はうまいんだが、この辺一帯が飲食店のせいか、新規獲得が元から難しいんだよ。……でも、きっかけさえあればこの通りってわけだ」
「そういえば、紫音……。さっきここに用があるみたいなこと言ってたわね。それとなにか関係あるわけ?」
「まあな……。だいたいフィリアの予想通りだよ」
「いったいここに……」
紫音にその理由を問いただそうとしたところ、ちょうど店員が注文を取りに来る。
「ご注文お決まりでしょか?」
若いエルフ族の女性に聞かれ、紫音はメニュー表を広げながら注文する。
「この、森のキノコのパスタを一つお願いします。フィリアはなににする?」
「え? そ、それじゃあ……ワイルドボアのステーキで」
「はい、かしこまりました。少々お待ちください」
厨房へオーダーしに行く店員を見送り、フィリアは再度紫音に先ほど言いかけたことを言う。
「紫音、そろそろ教えなさいよ。いったいこの店になにがあったのよ?」
「そう慌てるなよ。……そろそろ時間だな」
「時間って――っ!? え、なに?」
すると、突然店内の照明が薄暗くなり、代わりに店内の奥に設置されていたステージに照明用の魔石の光が灯される。
「リーシア・オン・ステージッ!」
「えっ? あ、あれって……」
ステージに現れたのは、可愛らしい衣装を身に纏ったリーシアだった。
フリルをあしらったデザインに、手にはマイクが握られている。
「みーんな、こんにちは! さっきまでお仕事をしていたみなさんはお疲れ様さまでーすっ!」
「オォーーッ!」
「リーシアちゃん、今日もかわいいよ!」
お客様に向けてリーシアが言葉を投げかけると、客席のほうから男衆の野太い声援が響き渡る。
「なに……これ?」
場の異常なまでの盛り上げを前にして、付いていけなくなったフィリアは唖然とその光景を眺めていた。
「なにって、リーシアのステージだろ? 前にこういうことやりたいってリーシアのほうから要望があっただろう?」
「それは覚えているけど、この状況はなによ。まさかここにいる人たちって全員……」
「全員までは行かないだろうが、ほとんどはリーシアのファンだろうな」
フィリアの言葉に付け足すように紫音は言った。
そもそも、なぜリーシアがこのようなことをしているのかというと、きちんとした理由がある。
それはリーシアがアルカディアに住むこととなって数日経ったころ、どこかの内気なエルフの少女を思い出すように突然のことだった。
紫音の前に現れたリーシアが開口一番に「私に歌をうたわせてください」という言葉が発端だった。
詳しく話を聞くと、他の人たちは働いているのに自分だけ無駄に日々を過ごすのに我慢できなくなったという。
働いたことはないが、自分の得意な歌でならみんなの役に立つだけでなく、元気を与えられるとのことで、こうして歌手としてみんなの前に立つようになった。
「歌手としていろんなところに顔を出しているとは聞いていたけど、ここまで人気が出るとはね……」
「客寄せにもなるから、この店みたいに売り上げが落ちている店に出れば、あっという間に繁盛するんだよ」
「それで、ここも繁盛しているってわけね」
この店が繁盛した理由を知り、フィリアが納得したところで、リーシアのほうへ改めて体を戻す。
「午後からのお仕事もがんばれるように、このお店のおいしい料理をいっぱい食べて力をつけましょうね?」
「ハーイ!」
「いいお返事だよ。それじゃあまずはこの曲から、人魚聖歌・第7章『ハーモニクス・シンフォニア』!」
リーシアは、拳大の魔石を一つ取り出し、魔力を込める。
すると、魔石から音楽が流れ始め、それに合わせるようにリーシアも息を吸い上げ、歌い始めた。
「……初めて聞いたけど、なかなかいい歌ね」
「リーシアの奴、物心ついたころから歌の練習に励んでいたみたいだぜ。故郷では国民の前に出て歌を披露するくらいの歌唱力があるって自慢していたほどだからな」
事実、リーシアの歌声はなんとも心に響くような声だった。
透き通った声質に洗練された歌声。
歌を唄っているときのリーシアの顔は、いつもの顔とは違い、真剣そのものだった。
その姿に紫音も感心するように声を上げていた。
「……へえ、これは」
リーシアの歌声に乗せて、光り輝く音符がリーシアの周囲に飛び交う。
音符は光を纏ったまま店の天井にまで上がっていき、そこから小さな音符が降り出す。
その音符に触れると、体が音符と同じ光を纏い、その場にいた客全員に行き渡る。
「オオ、スゲエ! なんだか力がみなぎってきた!」
「オレもだぜ! これなら午後の仕事も頑張れるぞ!」
リーシアの歌を聞いていた客たちは、口々にそのようなことを口にしながら喜んでいる。
「改めてみると、すごいものだな……聖楽魔法っていうのは……」
聖楽魔法というのは、人魚族のみにしか使うことができないという固有魔法のこと。歌を媒介として発動する魔法であり、その歌を聞いたものに様々な力を与えることができる。
今回の場合は、体力回復に加えて筋力の強化をもたらしている。
ちなみにリーシアから聞いた話によると、そもそも人魚族には性別によって使える固有魔法がそれぞれ異なるという。
男性の場合は、攻撃系の魔法に特化しているが、それ以外の魔法を使うことができない。反対に女性の場合は、聖楽魔法のような支援系の魔法、回復や防御など攻撃系の魔法以外に特化している。
そして、女性も男性が使う攻撃系の魔法を一切使うことができない。
そのため、戦闘となった場合、男性ばかりが前線に出て女性は後方で支援する編成が基本形となっている。
「この強化って、たぶん紫音と同じくらい効果があるわね」
「やっぱりフィリアもそう思うか? 他のみんなに聞いても同じことを言うんだよ。おかげで作業効率も捗って、本当にリーシアさまさまだな」
リーシアが来てくれて本当によかったと改めて実感していた紫音は、リーシアの歌を聞きながら店員が持ってきた料理に舌鼓を打つ。
それから、料理を食べ終わった後もリーシアの歌に耳を傾け、気づけば昼休みが終わろうとしていた。
その間、リーシアは休憩を入れずに数曲の歌を唄い続けていた。
最後の歌も唄い終えると、客席を
「みなさん、ご清聴ありがとうございました! 次のステージは夕方ごろになります。午後からのお仕事もがんばってくださいね!」
「ハー―イッ!」
「仕事終わりにもまた来るよ」
「リーシアちゃん、今日もありがとうね!」
リーシアのファン含め、他の客たちも元気のいい返事を返しながら仕事をしに店を出ていった。
「アンタって、あんなにファンがたくさんいる女の子から求婚を申し込まれているのよね。それをファンが知ったらどうなるのやら……」
客がいなくなり、淋しくなった店内の中でフィリアはとんでもないことを言い出してきた。
「リーシアには口止めさせて、ファンの連中にそのことを隠しているんだから絶対に言うなよな! バレたときが一番怖いんだから……」
さすがの紫音も、ここまでリーシアが人気になるとは思っていなかったため、少し後悔もしていた。
最悪の展開を思い浮かべるだけでいつも頭が痛くなり、紫音はテーブル席の上に突っ伏しながら大きなため息をついた。
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