第128話 再び結ばれる契約
――ドラゴンの鱗。
その名の通り、ドラゴンから取れる鱗のことである。
ドラゴンというのは、一定の期間に鱗が剥がれ、新たな鱗が生え変わる。それは竜人族とて例外ではない。
紫音がグスタフたちの前に出したのは、フィリアから剥がれ落ちた鱗。しかし、この鱗はただの鱗ではない。
高い硬度を誇るうえに、加工しやすく、大戦時にはドラゴンの鱗を素材とした武器や防具が数多く出回っていた。
性能としてもとても優秀で、例えばドラゴンの鱗を使用した剣であれば、巨大な岩を一振りで切り裂くほどの切れ味を持ち、盾であれば強力な防御力で仲間を守ることができた。
しかし終戦後には、純粋なドラゴンは絶滅し、竜人族は国に閉じこもり鎖国状態になってしまったため今となってはドラゴンの鱗は貴重な素材になっている。
お目にかかれるならそれはもはや奇跡に近いともいえる。
それほどの代物がグスタフたちの前に現れたのだった。
「こ、これを……いったいどこで……?」
「エーデルバルム王は先ほど見ましたよね? 我々がドラゴンに乗って現れたところを」
「ま、まさか……お前の国にはいるのか……ドラゴンが?」
「ええ、そうです。……そして今回は、鱗一枚と引き換えにそちらの亜人奴隷をすべて買い取らせていただきたいのですが……よろしいですか?」
紫音の提案にグスタフは生唾をごくりと飲み込む。
(ほ、欲しい……が、これで奴隷どもと交換しても手に入るのは一枚だけか……。相場など知らんだろうし、相手はなにも知らなそうなガキだ。少し吹っ掛けてやるか)
欲深いグスタフは、その提案には満足いかず、あろうことか私欲のために紫音を騙す算段を企てていた。
「そうですな……。買い取る奴隷というのはまだ手付かずの奴隷のことですかな?」
「いいえ。この国にいるすべての奴隷と交換です。……ですが、エルフは別ですね。そちらはソルドレッド王との契約によってそちらが負担する手筈なので……」
「す、すべて……ですと!? そうなると、一枚だけでは足りないかと……」
(くそ……私の所有物に手を出すつもりか……この若造は……)
「まあ、すべてと言っても国民が所有している分で構いません。冒険者が所有している分は無視しますが、それでもこれ一枚で足りるかと思いますが……」
「アマハさんは分かっていませんね。確かにドラゴンの鱗は貴重な代物ですが、たった一枚ですべての奴隷を買い取ることなど――」
「できない」とグスタフが言おうとしたとき、紫音が割って入ってきた。
「まさか……『できない』などと言うつもりではないですよね?」
「――っ!?」
「……416人。この城には多く見積もっても100人といったところですかね?」
「……はい?」
「この国については以前から調べていたんですよ。……こちらのコネも使って奴隷の数は事前に調べておきました。城にいる亜人奴隷はともかくそれ以外は合っていると思いますよ」
「な、なにを言って……」
「ああ、それと……この国で売り出されている奴隷の相場とこのドラゴンの鱗の相場もすでに把握しています。……これがどういう意味を指すかお分かりですよね?」
その言葉にグスタフは恐怖を覚えた。
奴隷の数を言い当てられたわけではなく、こちらの考えを見透かしているような言動に恐怖していた。
(こ、こいつ……まさか読んでいたのか……)
そうでなければ、こちらが言う前にわざわざ忠告してくるはずがない。
グスタフの額から冷や汗が流れ出る。
「いかがでしょうか? この機会を逃すと、もう二度と手に入りませんよ?」
「……よ、よかろう。それで手を打とうではないか」
エーデルバルムに幻のドラゴンの鱗が手に入ると決まり、周囲にいた宰相や大臣が感嘆の声を上げていた。
「期日はいまから一週間後。受け取り場所はそうですね……エルヴバルムに通じる森の入り口でどうでしょうか? ソルドレッド王、よろしいでしょうか?」
「ああ、その場所だったら問題ない」
「エーデルバルム王もそれでよろしいでしょうか?」
「いいだろう。……それで一つ相談なのだが、ドラゴンの鱗をもっと売る気はないか?」
(……予想通りの反応だな)
それは紫音が想定していた流れだった。
ドラゴンの鱗を差し出せば、エーデルバルムは必ずそう出るとあらかじめ予想していた。
紫音は落ち着いた様子で質問に答える。
「申し訳ありませんが今のところ今回限りでしか取引するつもりはありません。なにぶん貴重なものゆえ多く出回ってしまえば世界のパワーバランスが崩壊する恐れがあるので……」
「どうしてもムリなのか!」
「今のエーデルバルムではこれ以上取引するつもりはありません。ですが、エルヴバルムが提示した条件を呑み、信用を築いていくのであれば考えてもいいでしょう」
「……ど、どういう意味だ?」
「我が国は多種多様な亜人が住む国ですから、その亜人を虐げている今のエーデルバルムとは本来であれば取引などしたくはありません。ただ、エルヴバルムとの関係を修復したならば話は別です。今後、エルヴバルムだけでなく、亜人に対する扱いがよくなれば視野に入れてもいいでしょう」
「……っ!?」
長い目で見れば、エーデルバルムにとって多くの利益が見込める。しかしそれには、エルヴバルムが出してきた条件を呑まなくてはならない。
一度、甘い汁を味わったグスタフには、国民からの信用と奴隷事業を失うのはかなり痛い。
葛藤の中、決められずにいると、紫音は続けてグスタフに言った。
「おそらく多大な利益を生み出した奴隷事業を失くしてしまうのはエーデルバルム王にとっては痛手ですが、それも今だけです。ドラゴンの鱗があれば、奴隷事業を上回るほどの利益が出るはずですよ。まさか、このチャンスを不意にするおつもりですか?」
「……ぐっ!」
追い打ちをかけるように紫音から言われた言葉にグスタフは頭を抱えながら悩んだ。額に汗を流しながら苦悩し、周囲の人間が「王よ、決断を」などと急かす中、グスタフはようやく決意した。
グスタフは、ソルドレッド王のほうに体を向け、苦渋の表情を浮かべながら言った。
「ソ、ソルドレッド王よ……。そちらが出した条件をすべて呑もう。不可侵条約を再度結び、奴隷事業を廃止する。殺害の罪も認め……捕らえたエルフはどれだけかかるか分からぬが必ずやすべてエルヴバルムに返還することを約束しよう」
望んでいた答えを聞くことができ、ソルドレッドは一度紫音のほうを見ながら喜びの顔を紫音に見せた。
「そ、それでは……この契約書にサインを」
言いながらソルドレッドは、用意した二枚の契約書をグスタフに差し出した。
契約書には「たとえ、国王が代替わりしても未来永劫、契約書に記された内容を遵守しなければならない」と付け足されている。
この一文があれば、もう二度と今回のようなことは起こらないだろう。
そして、グスタフが契約書にサインをして、両国は契約書により再び不可侵条約が結ばれた。
二枚の契約書の内、一枚はソルドレッドが所有し、もう一枚はグスタフの手に渡った。
契約書を手にしたソルドレッドは、席を立ち、グスタフに向けて言った。
「それでは、我々は失礼させてもらう。……だが、その前に城にいるエルフはすぐに渡してもらおう。それ以外はアマハ殿と同じく、一週間後に引き取りに行く。問題ないだろうな、グスタフ王よ」
「――っ!? ハ、ハイ……少しばかりお時間をいただければ可能です……」
ソルドレッドの威圧にすっかり気圧されたグスタフは震えた声を上げていた。
「私たちは同胞を救出してから戻る。アマハ殿たちは先に戻ってくれ」
「分かりました。グリゼルにはそう言っておきますので、帰りはグリゼルに乗って帰ってきてください」
「……いろいろと助かった。あらためて感謝する」
感謝の言葉を述べながらソルドレッドだけでなく、メルティナの家族が同じように頭を下げていた。
「それでは先に戻りますね」
「また後で……」
そうして城を出た後、竜化したフィリアの背に乗りながら紫音とフィリアは、エルヴバルムへと向かっていた。
紫音は、仮面を外し、ほっと一安心するようにため息をついていた。
「ハア……疲れた……。なにはともあれ、これでかなりの亜人を手に入れることができたな」
「なにが疲れたよ……。どうせ、予定通りだったんでしょう。エルヴバルムとの交渉のために私の鱗が必要とか言っていたけどまさかあんなところで使うなんて……あやうく驚くところだったわよ」
「友好の証に使うってのは本当だぞ。……ただその前に向こうから条件を出してきたから出す予定がなくなっただけだ」
「まあ、そういうことにしておきましょう。……そういえば、人間なんかに鱗を渡してもよかったの? パワーバランスがどうとか言っていたけど……」
「それについては問題ないよ。……だって、売るのは今回だけだからね」
予想だにない一言にフィリアは思わず目を見開いた。
「えっ!? で、でも……さっきは信用を得られれば考えるとか言っていなかった?」
「売るとは一言も言っていないだろう。ただ視野に入れて考えるだけで確約なんてしていないだろう」
「いまはそれでもいいかもしれないけど……何年か経ってからネチネチと言われるかもしれないわよ?」
「それぐらいの時間があれば、アルカディアももっと大きな国に発展しているはずだ。……その間に他の国と同盟を結んで、ドラゴンの鱗を商品として売り出す。そうすれば問題ないだろう」
「それなら人間どもが増長する心配はなさそうね……」
「そういうこと。さっさと戻ろうぜ」
「ああ、そうだ! 一つ紫音に言いたいことがあったんだわ!」
なにか大事なことでも思い出したフィリアは、紫音に向かって声を上げて言う。
「よくも、変な仮面を付けてくれたわね! ずっと恥ずかしい思いをしていたのよ! それについての謝罪を求めるわ!」
「……ハア?」
あまりにもくだらない話に紫音は気の抜けた返事をしてしまった。
「知るか、そんなの! あれはドワーフたちに作ってもらった一点ものだぞ。しかも認識阻害の魔法を付与させた魔道具でもあるんだぞ! 俺たちは人間の国で顔を知られているんだから我慢しろ!」
「それだけじゃないわ! 交渉の際に私に一言も喋らせないなんてどういうつもりかしら! 私はね、アルカディアの女王なのよ!」
「お前に高度な駆け引きなんかできるはずないだろう。そればかりか、口論になって会談の場をぶち壊すかもしれないし、そんな奴に喋らせてたまるか!」
数々の暴言を吐かれ、ついにフィリアの堪忍袋の緒が切れた。
「ああそう……。そういうこと言うのね。……どうやら紫音は、私のありがたみをよく分かっていないようね。私がいなきゃ、ニーズヘッグの奴にやられていたくせに」
わざわざ言わなくていいことを言われてしまい、紫音はカチンと頭に来てしまった。
「へえ……そういうこと言うんだ。だったらこっちにも考えがあるからな。……もう二度と代わりにお前の仕事をやってやんないからな」
「ハアッ! それはいま、関係ないでしょう!」
「お前こそ、俺のありがたみが分かっていないだろう!」
その後二人は、空を上で子どものような言い合いを繰り返していた。
なんとも不毛なケンカをしながら二人は、エルヴバルムを目指して帰路についたのであった
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