第97話 魔境の賢者
「リンク・シフト」
紫音の口から発せられたその言葉を皮切りに紫音とフィリアとの間に繋がれたリンクが途絶え、今度はディアナとの間に魔法陣と一筋の光が伸び、両者がリンクする。
それと同時に紫音の容姿が再び変化していく。
竜を模した体から赤い鱗が消え、次に鋭い爪、牙、背中に生えた羽すら消え去っていく。
しかし、それだけでは終わらなかった。
竜の要素が無くなった後、また体に先ほどとは違った変化が現れ、今度は服装も変化していく。
紫がかった黒髪にディアナと同じ横に長く尖った耳。
黒衣の魔導士のローブに身を包み、手にはマナの結晶体がいくつも埋め込まれた荘厳なる魔導杖、右眼にモノクロの眼鏡を装備している。
「武装――『魔境の賢者』」
その姿はまるで魔導士の様相を呈していた。
(また姿が変わった……いいや、それだけではないようだな)
紫音の変化した姿を一目見た瞬間、グリゼルはただ容姿が変化したわけではないと見切っていた。
「いいだろう。なにが変わったのか、この目で確かめてやろう」
息巻いたグリゼルは、再び樹根を操作すると、これまでとは違う戦法を取る。
樹根の一本一本を次々と螺旋状に織り交ぜていく。
やがてその樹根は、通常の何倍もある極太の樹根に変化し、先端が槍のように鋭くなっている。
そして、その槍のように変化した樹根を四本も形成する。
「っ! 来るぞ、フィリア! この姿のときの戦法は理解しているな?」
「ええ、分かっているわよ」
「それならいい。あれは俺が片付けるから後は打ち合わせ通りに頼むぞ」
すると紫音は、あの樹根らに挑むようにフィリアの前に出る。
「
鋭利な樹根がグリゼルの手によって放たれ、その樹根たちは槍のように一直線に向かってくる。
「……っ!」
紫音は強化された樹根に怯むことなく杖を掲げ、魔法名を口にする。
「『ガスト・エッジ』」
詠唱後、紫音の周囲にいくつもの魔法陣が出現し、そこから突風とともに無数の風の刃が放たれる。
スパッ。
風の刃は、あの分厚い樹根をものともせず切り刻んでいく。
なんの抵抗もなく、樹根を切り裂くその刃は勢いを止めず、グリゼルにも襲い掛かる。
「ガッ!? グウウゥッ!」
ドラゴンの固い鱗にもダメージが通るほどの鋭い攻撃が幾度なく続く。
やがて、風の刃も樹根も消え去り、辺りに静けさが広がる。
「な、なんだ……今のは……」
グリゼルは先ほど紫音が放った魔法に戸惑いを隠せずにいた。
「俺の技を打ち破っただけでなく……まさか俺の身体に傷を付けるとは……あの人間、肉弾戦が得意なのではなかったのか?」
今の攻撃にグリゼルは少々、驚きの表情を浮かべていたが、次の瞬間、なにが面白いのか笑い声を漏らし始めていた。
「ハハハハハッ! いいぞ! こんな相手は始めてだ。俺の身体にこれほどの傷を付けるなどあいつしかいないと思っていたが、久しぶりに本気を出せそうだ……」
久方振りに強者と見込める相手に出会えたことに感激しているのか、グリゼルは喜びを表すように咆哮を上げた。
「なんだあいつ? なにをあんなに興奮してんだ?」
「紫音みたいな強い相手に巡り合えたからじゃない。たぶん今まで弱い相手とばかり戦っていたせいで強者に飢えていたんでしょう」
フィリアの言葉に紫音は呆れるようにため息を吐いた。
(でもよかった……。この姿なら操作された樹々に対しても十分対処できているようだ。念のため重ね掛けして魔法を放ったが、まさか樹を通り越してあのグリゼルって奴にも攻撃が当たるなんてな)
紫音は先ほどの攻撃でグリゼルに対抗できる確かな感触を噛み締めていた。
この『魔境の賢者』という形態になると、魔力容量が通常の何倍にも跳ね上がり、魔法の威力も同様に上昇する。
さらにこの姿でいるときは、ディアナが扱える魔法を紫音も使用可能となるため前のときよりも戦略の幅が広がる。
言わば、魔法戦闘に特化した形態といえる。
「余裕があればあいつの希望をかなえてあげられるんだけど今回はそうもいかないからな……フィリア、あいつの相手頼むぞ」
「バカ正直に挑むことなんてないわよ。ここは私に任せなさい」
「『フルブースト・アームズ』――3重詠唱!」
フィリアに前線を託した紫音は、重ね掛けした強化魔法をフィリアに掛ける。
筋力強化に特化した魔法を纏ったフィリアは、グリゼルに負けじと咆哮を上げながら急降下する。
「あん? 嬢ちゃんには用はないんだ。あの人間を出しな」
紫音を指名するグリゼルにフィリアは少々、頭に来ていた。
「紫音紫音うるさいわね! 私のこと……なめんじゃないわよ!」
フィリアのことを軽視しているグリゼルに我慢ならない気持ちが頂点に達し、フィリアは真っ向からグリゼルに襲う。
グリゼルに挑むべくフィリアは降下中、前方に炎を吐き、向かい風の影響でフィリアの身体が炎に包まれる。
しかしフィリアは、炎に包まれた状態のままどんどんと速度を上昇させ、炎の勢いを増していく。
「どうしても向かってくるならまずはお前から片付けてやろう」
グリゼルは避ける素振りを見せず、樹根を前に張り巡らせて防御を取るような構えを見せる。
「『炎竜・
ドオオオオオンッ。
炎を纏ったフィリアの突進は、大樹の防壁をいとも簡単に打ち破り、グリゼルと衝突する。
「くっ! ウオオオオオオオオ!」
フィリアの攻撃に一時は耐える様子を見せるが、力負けしてそのままフィリアの攻撃を受けながら地面へと落下していく。
「ガハッ!」
凄まじい音と土煙を起こしながらグリゼルは地面へと衝突する。
衝撃をもろに受けるが、グリゼルはひるむことなく、フィリアに食って掛かる。
「く、くそ!」
しかし、フィリアは攻撃の手を緩めることなく、向かってくるグリゼルの手を逆に抑え込める。
「また力比べか? そろそろ身の程を知るべきじゃ――なっ!?」
つい先ほども似たような状況に遭遇していたためグリゼル自身、今回も優勢かと思いきやフィリアは、グリゼルに力負けすることなく、逆に競り勝とうとしていた。
「これで……どう? あんまり紫音ばかり気にかけていると足元をすくわれてしまうわよ」
「そうか。……気にしていたんなら失言だったな。それにしてもまさかあの人間の魔法をかけられたぐらいで俺が力負けするとはな……」
「そう言っている割には……ずいぶんと余裕そうね」
「……それじゃあそろそろ本気で行こうじゃないか」
ふっと笑みを浮かべたグリゼルは両腕に力を入れる。
すると、先ほどまで優位に立っていたフィリアが徐々に押されている。
「あんた、やっぱりなめていたんじゃないのよ。こんな力隠していたなんて……」
「そうしないとすぐに終わるだろ」
勝てない。
凄みのあるグリゼルの一言にフィリアは圧倒され、勝利する未来が見えなくなってしまっていた。
このままフィリアが何度も挑んだとしても絶対に勝てない。
そのようなイメージがフィリアの頭の中を埋め尽くしていた。
「……マズいな」
遠くから二人の様子を静観していた紫音の額から一滴の冷や汗が流れる。
「フィリアは俺と契約しているおかげで能力が底上げされてパワーアップしているうえ、魔法で強化もされているのにあいつ……どんな馬鹿力だ。……やっぱり生半可な魔法では通用しないのか」
紫音は心底、グリゼルの力に背筋が凍る思いをした。
しかし、そんな風に思われているとは知らないグリゼルは、戦況を把握してここは攻める時だと判断する。
そのためにもグリゼルは、フィリアに視線を向けながら次の行動に出る。
「まずは……お前から退場してもらおうか」
グリゼルは樹根を操り、フィリアの四肢や身体に絡み付けさせ、拘束する。
身動き取れない状況に陥ってしまったが、フィリアには打開策があった。
(……大丈夫。竜化を解けばこんなものすぐに抜け出せるわ)
脱出するため竜化を解こうとする素振りを見せると、
「待ちな、嬢ちゃん。竜化を解いた瞬間、拘束していた樹木たちが一斉に嬢ちゃんを襲うことになるぜ。人間の姿でこれに耐えられるかな?」
脅迫のような言葉を口にしてフィリアの行動を制限する。
実際、グリゼルの言葉でフィリアも動けずにいる。グリゼルの言う通り人間の姿のときに攻撃を受けてしまえば耐えられるかどうか分からないため下手に動くことができない。
(まずい……こ、このままだとみすみす紫音のところに行かせてしまう。……でも、どうしたら……)
八方塞がりな状況の中、思考を張り巡らせるが打開策と呼べる案を思いつけずにいた。
そんなとき、
(フィリア、そのままそいつの手を離すなよ)
突如、フィリアの脳内に紫音からの念話が送られる。
(紫音、話すなって言われても力負けしている状況でそんなの……それにいったいどうするつもりなの?)
(数秒稼ぐだけでいい。後は俺がなんとかする)
少しの間、思案したフィリアは紫音の言葉を信じることに決め、まだグリゼルの手を離さないでいた両手に全神経を集約させる。
「この期に及んでまだ諦めないか。いったいどんな策があるのか知らないが俺には――っ!? な、なんだ!」
話の途中、上空から凄まじい魔力反応を感じ取り、空を見上げる。
するとそこには、
「あ、あれは……」
いくつもの巨大な魔法陣が空を埋め尽くし、雷雲が立ち込める空模様が広がっていた。
バチッ、バチッ。
巨大な魔法陣からは、何度も小さな放電を起こし、空から威嚇する。
「なにをする気だ……あの人間は? 嬢ちゃんがいる以上、攻撃をしているとは思えないが」
しかし、放電を見るたびにそのような考えが偽りのような気がしていた。
「オイッ! まさかテメエ、嬢ちゃんごと魔法をぶっ放す気じゃねえだろうな!」
グリゼルが声を上げるものの上空にいる紫音の耳に届くはずもなく、答えが返ってくるわけがない。
その代わりにフィリアが代わってグリゼルに返答する。
「その通りよ」
「っ!?」
「私を道連れにして倒せるなら私としては本望だわ。喜んで魔法の餌食になってあげるわ」
すべてを諦めたようなその目が真実を物語っていた。
その場からの脱出を試みるが、フィリアにガッチリと両手を掴まれているうえ、根付いた樹々がフィリアを拘束しているためそう簡単に動かすこともできない。
ここにきて樹々が裏目に出てしまった。
(今から拘束を解けば……いや、その間に魔法を撃たれてしまえば……ならばいっそのこと防御に徹するか? ……ダ、ダメだ。防御したとしても簡単に打ち破られてしまう)
直撃を避けるため策を弄するが、どれも裏目に出てしまう未来が目に見えてしまうため追い詰めたつもりが逆に追い詰められていた。
そして、
「終わりだ……『
いくつもの魔法陣から雷撃がほとばしり、それが一ヶ所に集約していく。
そして限界に達し、雷光が溢れ出た瞬間、天地を引き裂く雷が落ちた。
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