第50話 冒険者は森の守護者と敵対する
冒険者リリィは魔境の森の中を走っていた。
走る速さを休めることなく、ただひたすら走っていた。片足を前へと交互に出しながら一歩一歩地を蹴っていた。
リリィは転移魔法によって別の場所に移された後、まず近くに他の仲間の存在を確認した。そしていないことが分かった途端、一直線に森の中を駆けまわっていた。
それもそのはず、リリィには攻撃手段などなかったからだ。元々彼女が持っている素質としては回復や防御魔法といった味方を支援する魔法に長けていたためそれだけを集中して伸ばしてきた。
パーティ内でも彼女が攻撃手段を持っていなくても他の三人にカバーしてもらっていたため彼女自身、覚える必要性がなかった。
しかし今回ばかりは自分の怠慢を呪ってしまうほどだった。現状のように孤立してしまう場面など今までの冒険の中でなかったので今のリリィにはただ森の外へと逃げるしかなかった。
(このまま真っ直ぐ走ればいつか抜け出せるはず。それまでにみんなと合流できればもっといいんだけど……)
そんな淡い期待を胸中で抱きながら脇目も振らず走っていた。
どれくらいの時間走っていたのだろうか。十分、三十分……いや、もしかしたら一時間以上経ってはいるのではないか。
リリィは足が痛くなるのも我慢して走っているが、未だに出口は見えなかった。
やがて走り疲れたリリィは、立ち止まり、その場で息を荒げながら立ち尽くしていた。
「はあ……はあ……もう……限界。どこまで走っても景色は変わらないし、一体どこまで続いているのよこの森は……」
終わりの見えない状況を嘆いて魔境の森に対して文句を吐き捨てる。携帯していた体力回復用のポーションを飲み、ひとしきり体を休めたのち、今度はとぼとぼと歩き始めていた。
「……《グラビドン》」
それは再び足を動かしてからすぐのことだった。どこからか女性の声を聞こえた。
一体どこからか、気になったリリィが辺りを見渡そうとした次の瞬間、
「がはっ!?」
まるでとてつもなく重い何かがリリィに押しかかったような衝撃に襲われ、気づけば地面に横たわっていた。
リリィを中心に地面には小さなクレーターのような窪みができており、今も重い衝撃がリリィの背中に押し寄せている。
「こ、これ……は……?」
あまりにも突然のことで混乱を見せていたが、リリィにはこの重くのしかかる衝撃に心当たりがあった。
(もしかしてこれって重力魔法!?)
それは、これまで実際に見たことはなかったが知識としては頭の中に残っていた魔法だった。
重力魔法は、地上の重力に対して魔法を用いることで自由に重力を変化させる魔法である。この魔法は制御が難しい上に飛行魔法以上に多くの魔力を消費してしまうため扱える魔法使いはほとんどいない。
同じ魔法使いのリディアも重力魔法の習得に挑戦してみたことがあった。しかし、1回発動させるだけでも半分の魔力を持っていかれ、さらに魔法も失敗してしまったという。
そんな魔法を一体どんな人が行使しているのか、疑問に思いつつもまずはこの状況をどうにかする方が先決であると思い、リリィは行動に移す。
「ア……《アンチ・マジック》!」
すると、あれほどまで重くのしかかっていた衝撃がウソのように消え失せた。
リリィは重力魔法を打ち消したのを確認すると、すぐさま立ち上がり、周囲を警戒する。重力魔法を発動させたのが先ほど聞こえた女性の声の主だということは容易に予想できる。声からしてリリィから聞こえるところからしてそう遠くにはいないはず。
そう推測したリリィが探知魔法を詠唱しようとすると、前方にある木々が揺れる。反射的にその木に視線を移す。
「……ほう、今のは魔法を無力化にする魔法じゃな。久しぶりに見たのぉ、そんな魔法を使うやつは……」
そこには、年寄り臭い喋り方で魔女のような恰好をした女性――森妖精のディアナが木の上に立っていた。
「だ、誰ですか……あなたは?」
「しかし、あの魔法は無力化にする魔法の術式を完全に理解していないと打ち消すことは不可能なはずなのじゃがな。それを可能にするということはこの者はそれだけ魔法に精通しているということなのか……?」
リリィの問いかけにも耳を貸すことなく、先ほどの出来事についてぶつぶつと独り言を言うように分析していた。
「あ、あの……」
まるで話を聞いていないディアナに痺れを切らしたリリィは再び呼びかける。すると、今度は気付いたようでリリィを観察するようにまじまじと見ながら言った。
「すまなかったの。珍しいものを見たもんで意識が別の方へ行っておったわ。それでなにか言ったか?」
「あ、あなたは一体何者なんですか? いきなり攻撃を仕掛けて……」
「そうじゃったの。儂はこの森を管理しておる森妖精族のディアナというものじゃ」
「も、森妖精!?」
女性の正体を聞いてリリィは驚きを隠せずにいた。森の繁栄や降りかかる災害から守護する役割を担っている森妖精族は普段、人目に触れることがないため実際に見たものはいないとされていた。
そんな幻の存在に出会えたことにリリィはこんな状況だが感激していた。
「森妖精族のあなたがなぜこんなことを? 私たちはなにもしていませんよ」
森妖精族なら交渉の余地はあると踏んだリリィは、森に対して傷付けるような行為を行っていないと主張してみたが、ディアナはそんなリリィを見ながら小さくため息をつく。
「お前たちは儂の警告を無視した。侵入者は排除するというのが儂らの総意でな……個人的な恨みはないが消えてもらう」
「け、警告って……まさか!?」
ディアナの口から発せられた『警告』という言葉、それに加えて彼女の声からリリィはあることを思い出した。
「この森に入ったときに聞こえた声ってもしかしてあなただったのですか?」
「そうじゃよ。あの警告の後、引き返すのであれば殺さずに済んだのじゃが、実に残念じゃよ」
憐れむような目でリリィを見ながら複数の魔力弾を自分の周りに展開したディアナはそのまま予告することもなくリリィに向けて撃ち放つ。
「……えっ!? ……う、うそ!? シ、《シールド》ッ!」
突然の攻撃に困惑するもなんとかシールドを張り、防御する。複数の魔力弾が衝突する度、小さな爆発音を発していたが、リリィが張ったシールドには傷一つ付いていなかった。
「少々本気で打ち込んだはずなのじゃが、無傷とはな……。初級魔法でその防御力とは感心するのぉ」
リリィの生まれ持っての素質に感嘆しているが、リリィ自身はそれどころではなかった。ディアナが放った魔力弾はリリィからしてみれば中級魔法ほどの威力を誇るものであった。それを防ぐために結果として多くの魔力を消費した。
この状況にリリィは焦りを見せ始める。ディアナから敵としてみなされてしまい、すでに戦いも始まってしまった。
防御や回復といった攻撃力が皆無な魔法しか扱えないリリィにとってはまず勝てる見込みがない。
そう考えたリリィはどうにか隙を見て逃げ出す算段を立てていた。
「ちょっと! さきにはじめないでよね!」
上空から幼い少女のような声が聞こえる。
次々となんだと胸中で文句を垂れ流しながらリリィが空を見上げると、バサッと大きな翼を広げている少女が飛んでいた。
「なっ!? ……あ、あれは……」
やがてその少女は、上空を飛び回りながらディアナの隣に降り立つ。
「ピューイが儂の言うことも聞かずに1人で勝手に行かなければこのようなことにはならなかったぞ」
「えー。でもあっちに侵入者がいるとおもったんだけどな」
ピューイと呼ばれた少女は翼を左方向へ突き立てながら主張していた。
そんな会話をしている中、リリィはその少女の異形の姿に呆然としていた。
姿は12、13歳ぐらいの女の子なのだが、両腕がなく、代わりに翼が生えていた。両足には鳥のような鋭い鉤爪も生えている。
空色のショートの髪。幼さが残るも活発そうな顔立ちに猫のように大きな瞳。
少女の風貌からある種族が頭の引き出しの中から出てきた。
「……ハーピー族」
リリィは、その種族の名前は小さく呟いた。
半人半鳥の亜人種で頭と胴体は人間と同じだが、腕は二の腕あたりから翼になっており、両脚の太ももあたりから鳥の脚となっている亜人種の1つである。
一般的に性格は獰猛で肉食の種族でもあるため日常的に狩りを行う。その際には、空を飛びながらその鋭い鉤爪で魔物や肉食動物を仕留める。
リリィは、ハーピー族のピューイの登場にさらに危機を感じていた。ディアナだけでも逃げ切る可能性が低いというのに人数がさらに増えてしまってはもはや絶望的である。
「ねえねえ、あいつが侵入者なんでしょう? だったらわたしにやらせてよ」
「別によいぞ。紫音からお前さんをテストするように言われておるからの。儂はここから見ておるからピューイだけでやるがよい」
「ホント! やったあ!」
その場で飛び跳ねながら子どものように喜んでいた。
このピューイ、実はつい最近、アルカディアに迷い込んでしまい紫音たちに保護された。彼女の話を聞くと、どうやら群れからはぐれてしまい仲間と合流できなくなってしまったらしい。
ハーピー族は基本的に一定の場所にとどまることはなく、しばらくすると群れごと別の場所に住処を移す習性がある。
そのため次の住処がどこか知らないピューイに仲間の元へと戻る術はなかった。不憫に思った紫音がアルカディアへと迎え入れたのだった。
しかし、まだ彼女の実力を知らない紫音はピューイの能力テストも含めて今回の侵入者撃退のメンバーに入れることにした。
「よーし、やるぞぉ!」
ピューイは早く仲間の一員として認めてもらいたいためか、翼をバサッバサッとはばたかせながら張り切っていた。
「ニンゲンッ! すぐに終わらせてやるからかくごしろよ!」
獲物を狙うかのように眼光でリリィを睨み付けながら声を荒げる。
リリィは、その目だけで体が縮み上がるような感覚に襲われた。
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