第5話 竜との戦闘

 普通なら紫音とドラゴンとの力の差は歴然。だが、どういうわけか紫音にはこのドラゴンに対抗できる力がある。

 前の世界ではまったく感じられなかった能力。ならば、この世界で目覚めた能力と言っても過言ではないだろう。この能力が紫音に宿ったわけはまだわからないが、なにか意味があるのではないかと紫音は考え始めた。


 これまでただの無力な子供としか自分を見ることができなかった紫音にとって恐怖というよりも一種の幸福に満ちていた。

 この能力をもっと使いたい、今度は自分のためにも。そんな考えで紫音の頭は埋まっていた。


 そう考えるのも無理はない。これまでの紫音は、貧乏な家庭だったため仕方なくバイトをし、お金を稼ぐ毎日を送っていた。まだ子どもだった彼にとってはあれもしたい、これもしたいという欲求があったのに、そんな些細ささいなことすら彼の家庭環境は許さなかった。


 だからこそ、この能力は紫音に今まで隠し続けてきた欲望を目覚めさせるきっかけとなっていた。今の彼の頭にはすでに死にたいなどという自殺願望はすっかり薄れてしまっている。


 そのような心境でいた紫音は、今まで本気で戦ったことはないが、ここはやるしかないと腹をくくる。

 まずは、未だに両足をバタバタと振り下ろしているその足の片方を両手で掴み、動きを止める。


「なっ!」


 ドラゴンが驚くのもつかの間、すかさず背負い投げの要領で地面へと叩きつける。瞬間、地震でも起きたかのように大地が揺れ、それに驚いた鳥たちが一斉に飛び上がった。

 そしてドラゴンはというと、犬の服従のポーズを取るかのように仰向けに倒れている。


(力関係は完全に俺の方が勝っているな)


 自分の手を見つめながら紫音は、着々とこの能力について分析を始めていた。

 これまでの戦闘を思い出すと、攻撃と防御に関しては圧倒的ドラゴンの上に立っていることが分かる。だが、これだけではこの能力の全貌はまだ不透明だ。もっとこのドラゴンで試さなくては。


 ドラゴンとの戦闘という常人なら逃げ出す場面で紫音は恐ろしいことに能力の解明のためという名目でドラゴンを実験体にしようとしている。


 引き続き思考を巡らせていると、ようやくドラゴンは起き上がる。

 体を上下に動かし、鼻息を荒くさせている。疲れを見せているようだが、その眼はまだ冷静さを失っておらず、依然として紫音に対して戦闘の意思を示している。


 しばらく、相手の出方を伺っていると、ドラゴンは先ほどと同じように右手を空へと伸ばす。


(さっきと同じ攻撃をするつもりか?)


 また性懲りもなく、また振り下ろすつもりか。相手の次の攻撃を予測した紫音はいまが試すチャンスだと考え、これまでとは違う行動を取る。


「よしっ!」


 すかさず気合を入れ、その場から全速力で走った。

 これまでの流れからして今の紫音は攻撃、防御ともに驚異的に向上しているはず。それならば単純に考えて足の速さも上がっているはず。そう考えた紫音は、今自分が走れる最高速度で走ってみる。

 もし、この考察が外れていたとしても次の攻撃を防御することに切り替えればいいこと。


 さっきと同じ攻撃なら紫音にダメージを与えることができないのはとっくに証明済み。だから問題ない……。


「くらえっ! 人間ッ!!!」


「はっ!? ウソだろ!?」


 はずだったが、紫音の予想は外れてしまった。

 伸ばしたその手をただ振り下ろすだけかと見えたが、攻撃の仕方を変え、鋭利な爪を紫音に向けながら空を切り裂くように振り下ろす。


 予想外の出来事に少し驚いた紫音だったが、今は躱すことに専念する。

 紫音の試みが正しければ、この攻撃を躱すことなど造作でもないこと。


「く、くそっ! 失敗したっ!?」


 紫音の描いたシナリオはあっさりと崩壊した。

 走っても走ってもドラゴンとの距離が遠くなるどころか逆にどんどんと縮んでいく。このまま走ってもあの爪の餌食になるだけだ。

 まだこの能力のことについてまだ分かっていない現状では極力相手の攻撃を喰らいたくない。


 それが、今まで受けたことのない攻撃なら尚更だ。もしかしたら、爪で引き裂くような斬撃みたいな攻撃に対してはあのバカげた防御力は通用しないということもあり得る。


 そんな結末が頭をよぎったのでイチかバチかかわす意味を込めて攻撃が当たる瞬間、横に勢いよく転がり込んだ。


「ちっ! かすったか」


 運良く直撃を避けることのできたドラゴンの爪はそのまま空気を切り裂き、地面を抉った。


「あ、危なかった……服に掠っただけか。……しかし、予想が外れたな……もしかしたら……と思ったが、足はいつもと変わらない速さ。一部の身体能力が向上していると考えるべきか……そもそもこの能力はどの程度万能なんだ? 今回は直接的な被害がなかったから検証は出来なかったが、もし当たっていたら先ほどの攻撃のように無効化できたのか……」


「おい! なにをブツブツと言っているんだ。私を前にして余裕を見せるとはやっぱり気に入らない人ね……」


 考えにふけっている紫音に対して舐められていると解釈したドラゴンは悔しそうに歯ぎしりをし始めた。


(なぜこの私がこのような下等な人間に苦戦を強いられなければならないのだ……。いや、もうよい。次で終わりにしてやろう)


 この戦いに終止符を打つためドラゴンは次の攻撃で紫音との決着を付けようとしていた。

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