第34話 言葉のない食堂での会話
残った七十人ほどの子供たちは、施設のカリキュラムに放り込まれた。
体力と、知識。
体つくりと、勉学。
子供というのは成長を前提とする。施設側もその配慮はあるのか、男女ともに、筋力そのものに関しては配慮がなされた。しかし、躰のしなやかさ、体幹、そういった基礎のものは徹底される。
知識は一年間でおおよそ高等学校卒業レベル――いや、それは常識と呼ぶべきか。同時に各専門分野の基礎、戦闘知識、電子戦知識などなど。
勉学は、知識を蓄えるための基本である、自己学習の効率化。状況に応じた思考加速、認識誤差の把握など、思考を主軸としたもの。
そして何より、体つくりが、多くの脱落者を産んだ。
施設では、たとえば子供兵器の育成などにおけるような、薬物の使用は一切なかった。そもそも〝商品〟を作るわけではないので、薬物でブーストまでして使い切りの子供を育てたところで、意味がない。
ないが。
結果的に壊れてしまうなら、それも仕方ないという、過酷さはある。
体つくりは、人体改造に限りなく近い。
睡眠抑制、食事抑制、鼓動抑制――これは抑制に限らないが、つまるところ、慣れと制御、どちらも必要な行為を、覚えさせられる。
睡眠時間の短縮化。
短い睡眠で最大効率を求め、長い睡眠と同じ効果を得る。
食事量を控えめにしても、エネルギーを最大値で取り込む。
呼吸の感覚を長くして、肺活量を鍛え心音制御。
そこに戦闘訓練が入るのだから、過酷なんて言葉だけでは語れないだろう。
一年。
49番が生き残っているのは、訓練それ自体に過酷さを感じなかったからだ。
彼はそもそも、足りないものばかりだった。
己の中には
この一年で、その空白を埋める作業をしていた。知識や経験だけではなく、それ以外の技術も、埋めるためのピースだ。
真っ白の画用紙に色をつけるのは、それなりに楽しい。
その日、自主学習の時間で区切りがついた彼は、同室の相手に一声かけてから、食堂へ向かった。
宿舎はプレハブ建てになっているので、廊下を歩いても似たような光景が続く。そこから渡り廊下の先にある食堂に入れば、静かだった。
ちらほらと数人いるが、いつだって食堂は静かだ。それには理由もあるのだが――。
「よう、
珈琲をサーバーから落として、カップを片手に席を探せば、声をかけられた。静かな食堂であればこそ、声がよく通る。
「
「座れよ」
にやにやと笑いながらの声に、少しだけ考える時間を置いてから、苦笑しつつ対面へ。
「そうだな。――ところで」
腰を下ろして、投げられた煙草の箱から一本を引き抜く。毒物の耐性を得る過程で覚えたものだ。
「随分と少ないな。この時間はこんなか?」
「お前そういうとこ抜けてんなあ。残ってるのはもう十人そこそこだぞ」
「へえ」
どうりで最近は静かなはずだ。
「他人の動向を探る趣味はまだなくてな」
「お前は気にしなさすぎだろ」
「探る相手を間違えないだけマシだ」
「そりゃな。一時、教官殺しがはやっただろ。あれでだいぶ減った」
「ああ」
このままじゃどうせ死ぬ。だったら道連れを一人でもと、教官を相手に恨みをぶつける時期があったのだ。あちらも対策はしていたが、数人は屍体になった。
ちなみに。
曰く。
「飼い犬に手を噛まれる程度ではすみませんから」
まったく、よくわかってるじゃないか。
「そっち今、何してんだ?」
「電子戦メインで進めてるな」
「同じかよ。どこまでだ」
「まあ、深層まで」
「こっちは中層との境目くらいだな」
ちなみに、これは施設内部のセキュリティの話だ。
彼らも馬鹿ではない。厳しい訓練の中にも〝理不尽〟が混ざっていることに気付いているし、そういうものを回避するための手札を集めている。
ただし、彼らもまだ子供だ。
それは弱味を握って首を縦に振らせるようなものではなく、施設の制圧や対象の排除など、乱暴なものばかり。
それもそうだ、まだ一年なのだから。
「で、休憩かお前」
「まあな。同室の81番がまた邪魔になりそうだったから逃げてきた」
「ああ、お前んとこまだ同室がいるんだな」
「あの破壊魔、やたら物を壊しやがる。人間を壊さないだけまだマシだが」
「話し相手には困らないだろ?」
「どうだかな。お前と話していた方が気楽だ」
「言うねえ。――ま、そもそも81番は違うだろ」
「そのへんの齟齬がな」
彼の同室は魔法師だ。その片鱗は見えている。
「そういやお前、右腕を吹っ飛ばしたとか言ってたな?」
「ああ」
珈琲を持つ右腕を軽く上げて、そのまま一口。煙草は灰皿に押し付けて消す。
「空白容量が埋まってきたから、肉体の欠損がどこまで影響するのか確かめたいのもあってな」
「へえ? 代償そのものに対する対価か」
盲目のピアニストの話は有名だろう。
それを、盲目であればこそほかの感覚が秀でた、と捉えることを、代償における対価と呼ぶ。つまり、視覚を失う代償に、何かしらを得たということだ。
それを彼は、意図的に行ったのである。
失えば、ほかのものが得られる、と。
「ここの義体はかなり精巧だ。医者の腕も良い」
「神経系は繋がってんのか」
「問題なく。強度自体もそれほど生身と変わらないな。違和もない。最初の頃は筋力の問題で雑味が出たけどな」
「自分の腕じゃないって感覚は?」
「ある。躰はともかく、認識の
「どれほど精巧で自分の延長だとしても、あるいは慣れてもそいつの〝定義〟は変わらず、義体のままか」
これは魔術の話だ。普段の活動において、それを異物だと意識することは、ほぼない。
「
「――こんなモノまで作るのか?」
「俺も詳しくは聞いてねえが、最高峰に近い部類ならやるだろ。繋がりがあるとすりゃ、……蜘蛛か、医師か」
「外部情報まで手が回ってはいないな。今後の課題にはしてるが」
「システムの構築案は?」
「まだ」
「集積と選択の二種だろ」
「どこまで集めるかの境界は?」
「あーそっちで止まるか。俺はもう、どこまでも集める前提で、どう情報を選別してやるかの考察に入ってた」
「どこまでも集めるなら、ほかの連中に任せればいい。俺としては、おおよそ一つのサーバで
「そのくらいでバランスが良い?」
「おそらく」
「ふうん、手始めに俺もそのくらいで考察してみるか。……しかし」
二本目の煙草には少年も手をつけず、空になったカップを指で軽く弾いて遊びながら、周囲から人が消えたことを認識する。
それもそうだ。
関わりたくはないだろう。
「思いのほか、こういう話し合いってのは悪くないな。どうよ」
「参考にはなるな」
暇潰し程度にはと付け加えれば、少年も笑う。
お互いにこの会話は布石であって、目的は先にあることを自覚しながらも、その割には楽しめていると、そんな認識があるのだ。
「一つ思いついたことがある」
「なんだ」
「電子戦に関して、共通認識を作らないか?」
「へえ……」
「ありゃ戦闘と同じでやたら手数が多い。分類付けは必須だ――が、番号だと判断が遅れる」
「まあな」
攻撃系統を1番から、防御を1000番から。
最初のうちはそうやって番号をつけていけば混乱もしないが、しかし、攻撃系をプログラムしている最中に、防御系を思いついて創り上げ、また攻撃系に戻ったとして、何番に何があるのか、すぐ判断できない。
単純に。
1241番と、412番では目が泳ぐ。
「……どうしようか」
「考えてないのか」
「ねえよ。今思いついたんだから」
「そもそも種類が多いからな」
「そうなんだよ。状況に応じていくらでも変わる」
「大まかな分類は?」
「攻撃系、防御系、セキュリティなんかの構築系」
「料理はどうだ」
「へえ?」
「日本食、洋食、それ以外」
「たとえば湯豆腐」
「攻撃系だな。類似するものに
「なるほど、そりゃいいな。防御系は洋食、構築系はイタリアンやら中華――」
「それ以外の分類は、飲み物にしておけばいい」
「オーケイ、とりあえず物は試しだ、そんな感じでやってみよう。お互いの湯豆腐で、オムライスが破れるか――ってな具合になりゃいい」
「内容は違っても、認識は同じだ。話し合いもそれなりにできる」
「じゃ、その時までにくたばらないよう、せいぜいがんばってみますかね」
「言ってろ」
そして、少年は先に席を立って食堂を去った。
自分しかいない食堂で、彼は冷めた珈琲を飲み干して、一息。
さて。
どこまで楽しめるだろうか。
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