第10話 大晦日に帰る予定だったけど

 〇ひがし 朝子あさこ


 大晦日に帰る予定だったけど、結局30日に帰るはずだった両親はドイツに滞在したままで。

 お兄ちゃんも…渡米していなかった。

 そのおかげで…って言っては悪いけど。

 あたしは、大晦日も映と過ごせた。



 年明けに、両親に連絡が取れて…映と暮らす事を話すと、軽く嫌がられた。

 …当然と言えば、当然なのかな…


 特に母さんは、二階堂の者は二階堂の者と。みたいな気持ちがあるんだと思う。

 だから…お兄ちゃんの婚約にも、あまりいい顔はしなかった。

 実際…お兄ちゃんの結婚の話も…進んでないし…



 映のご両親には挨拶に行って。

 何度か、家にも招待してもらった。

 さすがに…最初は顔の傷が気になったけど…

 ご両親も、傷の事はあたし次第と言ってくださった。


 うちの両親とは…どうも、海くんとの婚約破棄が響いてるのか。

 少し溝が出来た気がする。



 ともあれ。

 強行突破的な感じで。

 あたしと映は一緒に暮らす事になった。


 今はまだしばらく、あたしの部屋でいいかって事になって。

 映も最小限の荷物だけを持って来た。

 だけど…ベースの練習したくなった時に、わざわざスタジオに行かれると寂しいし…

 やっぱり、もう少し広い所を探そうって言ってみようかな…と思っている。



 初めてのバレンタインと、初めてのホワイトデーも一緒に過ごして。

 春には、なぜか友情が芽生えたらしいハリーも誘って…三人でお花見に行った。

 五月の映の誕生日には、温泉旅行をした。

 すごく…充実していた。


 あずきでの仕事も順調で。

 夜は映とお揃いのパジャマで眠る。

 毎日が、夢見てた以上の幸せだった。



 婚約破棄した八月から、あと二ヶ月で一年。

 これまでに、DEEBEEは五ヶ月連続新曲リリースをして、全部ミリオンセラーになった。


 そんな六月のある日。

 あたしは…


 少し気になる女の子に出会った。



 * * *


「うわ…」


 あたしは、そのお店の前で小さく声を上げた。


 なんて言うか…

 すごく、雰囲気のある服やバッグ、小物がショーウインドウ…と呼ぶには小さいけど…とにかく、そのショーウインドウに…好みの物が並んでて。


 あのエプロン…欲しい…

 あの枕カバーもいい…

 あっ、あのスカートも…


 だけど、どれも一点ものらしくて…ちょっといいお値段。


 ああ…ヤバい。

 今まで物欲なんてなかったけど…

 このお店…ダメだ…すごく、くすぐられる。


 お店の名前は『chocon』…チョコン…?

 ちょこんと建ってるから?

 ふふっ。可愛い。



「…朝子ちゃん?」


 後ろから声を掛けられて振り向くと…

 えーと…

 この美形は…


「…ガッくん。」


 確か、最後に会ったのは…三年前の温泉?

 紅美くみちゃんの、弟…二階堂にかいどう がくくん。



「よく分かったね…後姿で。」


 あたしがそう言うと。


「いや、ガラスに映ってたし。」


 ガッくんは、そう言って笑った。


「あ…あはは…すごく好きな感じの物が多くて…」


「マジで?」


「うん。でもお値段が良くて、ちょっと中に入れずにいる所。」


「あー、一点物だからなー…ま、入ってよ。」


「…え?」


「うちの店だから。」


「…えっ。」


 そう言ってガッくんは、お店のドアを開けた。


 え?

 うちの店…?


 ガッくん、頭がいいって有名だし…

 てっきり大学に進んで何か研究でもしてるのかと…


「あ、おかえり。ガッく…あ、お客様?」


 中には、ミシンを動かしてる女の子が…


「ガラスにへばり付いて見てた。」


「いらっしゃいませ。」


「あ…こんにちは。」


 二人の左手の薬指には…指輪が。


「…ガッくん、結婚したの?」


「うん。式はまだだけど、籍は入れた。」


 あたしとガッくんの会話を聞いて、女の子が『知り合い?』って聞いてる。


「二階堂の人なんだ。」


 …間違いではないんだけど、ちょっと胸が痛んだ。

 あたし…もう二階堂を出てるしな…



「初めまして。千世子ちよこです。」


 ガッくんの奥さんにペコリとお辞儀されて。


「あっ、朝子です…初めまして…」


 つい、あたしも下の名前だけで挨拶してしまった。



「そう言えば、今日は?何でここに?」


「あ…仕事の帰りに、ちょっと回り道してみたら…素敵な物が並んでて…」


 あたしの言葉に、ガッくんの奥さんが笑顔になった。


「ありがとうございます。」


「いえ…本当に、素敵な物ばかり…」


 店内を見渡して、ますます溜息。


 ああ…どうしよう。

 ついつい買ってしまいそうになる…



「仕事帰りって、朝子ちゃんどこで働いてんの?」


「あ…調理関係…」


「へえ。なんか、感じ変わったね。彼氏とか出来た?」


 海くんとの事は…ガッくん、イトコだし…知ってるよね。

 …別に、隠す事じゃないし…いいか…



「うん。今…一緒に暮らしてる人がいて…」


「えーっ?なんか…ちょっと今俺、すげー嬉しくなった。」


「……」


「そっか…良かった。」


 ガッくんが本当に嬉しそうにそう言ってくれて…

 あたしも、少し感動。


「どんな人?」


「え?」


「彼氏。」


「え…えっ?どんな人って…」


「何してる人?」


「…きっと…ガッくん知ってる人だよ…」


 たぶん…そうだよね。

 だって、映と話してると、紅美ちゃんの名前も出て来るし…



「え?誰?」


「…映…」


「映ちゃん!?」


 ガッくんの驚きが大きくて。

 あたしは少し…引いてしまった。

 そ…そんなに驚く?


「…映くんと…暮らしてるの?」


 ガッくんの奥さんの声に…

 あたしの中で…何かが引っかかった。


「…はい。」


 ゆっくりと、彼女を見る。


「そうなんだ…映くんの彼女…さん…」



 …何だろう。

 引っ掛かった物。



『映くん』



 …かな。





 これが…女の勘ってやつなんだろうか。

 海くんと紅美ちゃんの時は、微塵も発動しかったのに…

 なぜか…今回は十分に働いてる気がする。


 …働かなくてもいいのに。



 あたしはそのお店を出た後、華月ちゃんに連絡を取った。


『家に居るからおいでよ』


 華月ちゃんはそう言ってくれて…

 あたしは、初めて…桐生院家にお邪魔した。



「…う…わー…」


 口を開けて見渡してしまう。

 な…何なんだろう…この大屋敷…

 二階堂のそれとは違って…すごく…


「…観光名所みたい…」


 あたしが小さくつぶやくと。


「表から見ると、ね。でも、裏は増築増築で大変な事になってるのよ?」


 華月ちゃんは首をすくめた。


 でも…すごい…



「さ、入って。」


「お邪魔します…」


 玄関に活けてあった花も見事だったけど…

 こうして歩いてる廊下の壁にかかってる一輪挿しも、すごくオシャレ…


 やっぱり、花のある生活っていいなあ…

 さすが、華道のおうち…



 華月ちゃんの部屋に入ると、そこは本当に眩しいばかりな気がした。

 女子力高いって、こういう事!?

 シンプルだけどオシャレなんて…センスがあるとしか思えない。

 さりげなく置かれてるアクセサリーだって、インテリアみたいだし…



「今日は仕事の帰り?」


 紅茶を出してくれながら、華月ちゃんが言った。


「う…うん。それで…さっき、ガッくんに会って…あの…お店に…」


 つい、しどろもどろになってしまった。

 ダメだな…あたし。

 意識してますってバレバレな気がする…。


 華月ちゃんは、ガッくんともイトコ。

 色々…知ってるかな…なんて。

 あたし、いつも探りは華月ちゃんに…だな…。



「ああ、choconに行ったの?」


「うん…華月ちゃんは行ったことある?」


「行った事があるどころか、大ファン。」


 華月ちゃんはそう言うと。


「choconの服、すごく雰囲気があって好きだから、着て出ちゃった。」


 雑誌を手にして、ページを開いた。


「これ。私服OKって言われたから、迷わずチョコちゃんの服にしたの。」


 そこには、華月ちゃんがさりげない笑顔で新緑の中を歩いてるショット。


 …か…可愛い…


「…チョコちゃん?」


 ん?と思って聞き返すと。


「うん。千世子ちゃん。朝子ちゃんは面識ないんだっけ?」


「…うん…お店で会ったのが初めて…」


「そっか。チョコちゃん、詩生しおの妹なの。」


「えっ…」


 と、驚きを声にしてしまってから後悔した。


 なんて言うか…

 華月ちゃんの彼氏、詩生さんは…すごく、顔立ちが派手だ。

 可愛いとも綺麗ともカッコいいとも言える表情を持ってるし…

 すごく、目を引く。


 だけど…

 ガッくんの奥さん…千世子さんは…綺麗な顔立ちではあったけど…

 地味目な感じだった…。

 …って、あたしに言われたくないよね…

 あたしも十分地味だし…



「それで?何悩んでるの?」


「…え?」


「浮かない顔してるもん。何かあったんでしょ?」


 か…華月ちゃん…するどい!!


 …だけど、こんな…ただのあたしの勘の話なんて…

 していいのかな…?




 〇桐生院きりゅういん 華月かづき


 朝子ちゃんの浮かない顔の理由は…チョコちゃんと映。の関係性。だった。


「あの二人、付き合ってたのかな…」


 って朝子ちゃんが言って。


「それはないと思うなあ。」


 って笑ったんだけど…


「…映、今まで、すごく好きになった人が一人だけいるって言ってたの。何となく…その人かなって思っちゃった。」


「どうして?」


「…映のこと『映くん』って呼んでた。」


「朝子ちゃんも最初、そう呼んでたよね?」


「うん…だけど、何となく…呼ばれるの嫌がってた気がするの。」


「…嫌がってた?」


「あたしが呼び捨てるのはイヤって言ったのに…やっぱり呼び捨ててくれって言ったし…」


「……」


「それに、彼女も…映と暮らしてるのがあたしだって知った時…ちょっと微妙な反応をした気がするの。」


「……」


 あたしは…目の前の朝子ちゃんの告白に。

 ちょっと…言葉を失った。

 もう、お互い幸せなんだからいいんじゃない?

 って…言ってあげるのが正解なんだろうけど…


 ううん…それ以前に…

 思い過ごしじゃない?って言ってあげれるといいのかもしれないけど…

 あたしには…思い当たることがあって、それが何も言えなくした。


 その時、あたしの脳裏には。

 あの小旅行での出来事が蘇ってた。


 高等部の卒業小旅行。

 結局、関係ない面々も行く事になって…大勢で出かけたあの旅行。

 映とチョコちゃん…確か二人でどこかに雲隠れしてたよね。

 あたしは詩生しおれつ、不仲な二人のバトルで人の事どころじゃなかったけど…

 帰りの電車の中で、詩生がこっそり言ってた。


『映のやつ、人の妹とどこにしけこんでやがったんだろ』



 …とは言っても、もう昔の話だよ。

 うん。


 …あ。

 でも…確か…映、一時期…若干荒んだよね…

 それって…

 チョコちゃんが学と婚約してイギリスに行った頃じゃなかったかな…


 …とは言っても、今は朝子ちゃんと幸せに暮らしてるんだから、関係ないよ。

 うん。


 …あ。

 でも…確か…映って…唯一っていい程…

 チョコちゃんの事『千世子』って呼ぶ一人なんだよね…


 う…うーん…

 付き合ってた…の?



「あの…」


 あたしは意を決して話し始める。


「もし、よ?」


「うん…」


「もし、あの二人が以前付き合ってたとしても…」


「……」


「もう、関係ないよ。」


「……」


 朝子ちゃんは、少し戸惑った顔をした。


「だって、チョコちゃんは結婚してるし、映は朝子ちゃんと幸せに暮らしてる。いずれは結婚だってする。じゃ、もう何も心配要らないでしょ?」


「…うん…そうだよね…」



 とは言っても…(ああ、あたし…こればっか)

 不安な気持ちも解る気がした。


 あたしだって…詩生を信じてはいるけど…


 いくらお酒で分からなくなったとは言え…あたし以外の女性と寝た。

 妊娠までさせた。

 好きだから…許すしかなかったけど…

 今だって、本当は…ツアーなんかに出てる詩生と連絡が取れないと不安だ。

 あたしは一緒に暮らしてるわけでも…ちゃんと婚約してるわけでもないし。


 …はあ…



「…朝子ちゃん、こういうのって…自分を試されてる気がしない?」


 あたしが小さくつぶやくと。

 朝子ちゃんは『え?』って顔であたしを覗き込んだ。


「どこまで相手を信じられるか。自分の愛を試されてる気が…ね。」


 あたしがそう言うと。


「…そっか…試されてるんだとしたら…あたしは失格だな…」


 朝子ちゃんはうなだれてそう言って。


「…信じる…うん。信じる。ありがとう、華月ちゃん。」


 顔を上げた時には…笑顔だった。





 〇あずま えい


 久しぶりに早く帰れて、朝子と一緒の晩飯。

 栄養が摂れてる感じがして満足だ。



「…今日ね。」


「うん。」


「choconっていうお店を見付けて、行ってみたの。」


「へえ、何の店?」


 何気なく問いかけると。


「…チョコちゃんて人が色んな作品作ってるお店。」


 んぐっ。


「………ああ…あれか。がくがプロデュースした店な…」


 …危ない。

 一瞬、飯をノドに詰まらせるところだった。


 …別に、やましくなんかない。

 だが、若干…後ろめたさが残るのはなぜだろう。



「すごく雰囲気のいいお店なんだけど、どれも一点物だからちょっと高くて。」


 朝子は首をすくめた。


「気に入った物があったら言えよ。プレゼントするから。」


「…うん。ありがとう。」



 それから…

 少し話を逸らした。

 別に…昔好きだった女の話題が出たって、どうって事ないのに。


 ただ…ずっと一緒にいて気付いたが。

 朝子は、俺が思っているよりヤキモチ焼きで、デリケートだ。

 あまり余計な事を吹き込んで不安にさせたくない。



「ガッくん、大学に進んだんだとばっかり思ってた。」


 ガッくん?


「朝子、学と知り合いか?」


「あ…うん。だって、紅美ちゃんとガッくんは二階堂の分家の人だから、たまに本家で会う事があって…」


「ああ…そうか。」


「うん。でも…お店始めたのとか、結婚したのは知らなかったな…」


 …心なしか、朝子が沈んでるように見えた。

 店に行って…何かあったのか?


「本家に結婚報告もないとはな。」


 俺がそう言うと。


「…ううん、あったのかもしれないけど…あたし、去年二階堂を出てるから…」


「……」


 朝子は…『ひがし』だが…

二階堂にかいどう』の敷地内で生まれ育った。と聞いた。

 特殊な環境ってのはよく分からないもんだなと思うが…

 一人暮らしを始めると、そういうめでたい情報も入れてもらえないもんなのか?

 冷たいな。


 まあ…朝子と紅美達に血縁関係はないんだろうから…それは仕方ないのか。



「それにしても、結婚か…学がこんなに早く結婚するなんて思わなかったな。」


 味噌汁をすすりながら言う。


「そうだね。奥さんはガッくんより年上なのかな。」


「いや、学と同じ歳。俺から言わせると、学も千世子もまだガキだなーって思うんだけどな。」


「……」


「ん?」


「…ううん。あたし達も、周りにそう思われてたりして…って。」


「ははっ。確かに。親父にも言われたよ。ままごと頑張ってるかって。」


「あっ、もー。」



 この時、俺は何も気付いてなかった。

 朝子が、静かに…何かと闘っていたなんて。


 まったく…気付かなかった。

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