Men Without Women

鳥海勇嗣

1話

 通勤電車の中で、孝弘たかひろはタブレットでニュースを見ていた。海外ニュースには、インドで人類最後の女性が亡くなったという見出しが。たいした感慨もなかった。孝弘は生まれてこの方人間の女というものを見たことがなかった。家庭は父と×〇※と弟の四人家族、学校にいたのも男子か×〇、社会に出ても女は見なかった。

(※新人類の呼称。名状めいじょうがたい為、便宜上伏べんぎじょうふせて記す)

 人類にも、昔は他の動物と同じ様に雄と雌が存在していたという知識はある。しかし、それ以上の教育は施されなかった。男女に基づいて作られた文化は、非文明的なものとして教育現場からは排除されていた。かつての文化遺産は、研究対象として保持すること以外は法律で禁じられさえしていた。

 国内ニュースの記事をクリックすると、トップには福岡のバラバラ殺人事件の続報の記事が出ていた。犯人は被害者男性のパートナーの×〇、動機は痴情ちじょうのもつれ、被害者の体は殺害後に犯人が触手で引きちぎったということだった。

 電車の中の7割は×〇で、孝弘は四方を囲まれていた。身長177㎝の孝弘は男性としては小さいわけではなかったが、平均で190近くある彼らに囲まれると、胸板を押し付けられるように圧迫されてしまう。硬い彼らの体に押され孝弘の胸骨はきしみそうだった。体温も平均して人間より高いため孝弘のスーツの下は絶え間なく汗ばんでいた。

 ふと、孝弘は顔を上げた。正面にいる×〇が、琥珀色の瞳で孝弘のことを見下していた。孝弘はすぐに顔を下げた。

 有楽町駅で数人が乗降する。去り際、自分の下半身を×〇の触手がはい回るのを孝弘は感じた。

 孝弘はしばらくしてから顔を上げた。去っていく犯人と思しき×〇のひとりを見る。

 泣き寝入りというわけではなかった。自分が降りるのは次の駅だし、また上司に出勤時間が遅れてしまうというのを報告するのが億劫おっくうだったのだ。何より、警察官である自分が痴漢にあったなどと報告すれば、職場で何を囁かれるか分かったものではない。

 次の駅で電車を降りてホームに出ると、孝弘は数人の視線を感じた。端正な顔立ちに、つややかな黒髪、手足が長いのでスーツ映えする体、もし女性というものが世界から消えていなければ、彼に振り向いていたのは×〇ではなかっただろう。


 桜田門駅から歩いて五分、警視庁の庁舎に着いた孝弘は、正面玄関から入り受付の男性二名に挨拶をする。意図はないという建前だが、こういう場所に配属される男性は細身で高身長の若い署員が多かった。


 その警視庁庁舎の三階にある、警視庁・捜査第一課・第六強行犯捜査・性犯罪捜査第二係、それが孝弘の所属する部署だった。

「おうタカぁ」

 孝弘が、両手を使わなければならないくらい重いスチール製の扉を開いて入室するなり、同僚が声をかけてきた。

「おはようございます」

「今日モ黒が似合ってルネぇ」

 孝弘の長身細身の体は、収縮色のスーツを着るとより一層、体が引き締まって見えるのだ。

「ありがとうございます」

 と、孝弘は眼鏡の奥の瞳を細めて微笑んだ。

「新入リガ来ルカら、気合入ってんのか?」

「ああ~そうかぁ、今日かぁ」

 ×〇たちの声は、直接喉の声帯を震わせるので、響き方が人間と異なる。

 そして、今日にいたっては別の意味でも異質な昂りが声にあった。

 ×〇たちが趨勢すうせいを誇るようになってから、男性は職を奪われ続けていた。彼らの一か月連続して働き続けられる体力と、男が機械を使わなければならないような、そんな力仕事を素手でこなせる腕力を前にすれば、社会は自ずと彼らを労働力として選択するようになっていった。そして、警察組織になるとその比率はさらに上がり、捜査一課全体でも、男性は孝弘を含めて三人しかいなかった。

 そんな中、久しぶりに男性がこの部署に配属されることになったのだ。

「まだ、20代だロ? 孝弘よぉ、部署の華を奪われルンじゃないのか?」

「おいおい、失礼じゃないか? 孝弘だってまだ30とちょいだぞ」

 署員たちは、琥珀色の目を光らせながら談笑する。孝弘はただ微笑むばかりだった。

 孝弘が資料を取ろうと、ロッカーに手を伸ばす。肩が痛み、つま先立ちになるほどに背伸びしても届かなかった。大戦の後、建物や家具は彼らのサイズを基準に製造されるようになっていたので、男性の中では小さいわけでもない孝弘でも煩わしいところがあった。

「無理スンなって」

 そう言って、近くにいた同僚が触手を伸ばして資料のファイルを取った。

「デカいやつ頼れよな」

 手渡した後、同僚は触手で孝弘の肩を叩いた。体重差が2倍はある肩たたきは、やられるほうにはずしりと重かった。

 再び部署の扉が開いた。孝弘を含む、全員が一斉にその方向を見る。そこには、話題の新人が段ボール箱を抱えて立っていた。

 二十代半ばの、愛嬌のある若者だった。

「……初めまして。本日より二係に配属されることになった真田基央もとおです」

 はきはきとした、聞こえの良い声だった。

 しばらく署員たちは真田を見続けていたが、誰かがぼつりと「あたリダな」と言った。そして、ひとりの×〇が係長に「あざーす」と頭を下げた。

「えーと、以前は交通課にいたんですが、念願のこの2係に配属されまして……。」

 そう話している途中に、係長に礼を言った×〇が「〇●※いルノぉ?」と声をかけた。

(×〇のパートナーの意。名状し難い為、便宜上伏せて記す)

「あ、えと……。」

 真田は孝弘に救いを求めるように見た。孝弘はただ無言で真田を見るだけだった。

「一応……います」

 署員たちは「なんだヨ~」と天井を見上げた。

 真田はひたすら苦笑いをするばかりだった。

 真田のデスクは孝弘の隣だった。孝弘の隣に座る真田、サイズの合っていない椅子に座る彼は、子供の遊びで椅子に座らされた人形のようだった。

 真田は微笑みを向けて話しかける。

「はじめまして、城之内さん」

「……はじめまして」

 クールな表情を微動だにせず、パソコンを向いたまま孝弘は言った。

「城之内さんとお仕事ができるなんて光栄です」

「そう言ってもらえるのは、こちらとしても光栄だね。そこまで、有名人だった覚えはないんだけど」

「数少ない男性の刑事ですからね」

「まぁ……そうだね」

「それに……。」

「“それに”?」

「あ、いや何でもありません。失礼しました」

 孝弘は、随分と狭い世界だなと改めて思った。


 その夜、真田の新人歓迎会が、桜田門駅近くの焼き肉屋で行われた。

 個室の席の上座には、二係の新人歓迎会であるにも関わらず、わざわざやってきた捜査一課の課長が座っていた。課長の両端に孝弘と真田が座るのは、同僚からの配慮だった。そして、孝弘と真田も自分たちの役割を理解していた。課長から体を、付かず離れずの距離を保ち、ふたりは酌を続ける。

 課長が、真田の肩を太い触手で撫でながら言う。

「以前カラ、この二係には男性の職員を増やすべきだと声があったカラな。これでウルさい外野の声を抑えラレル。期待に応えてくレヨ」

 真田は課長を見上げて微笑んだ。170満たない真田は、座っていても課長を見上げなければならなかった。その真田の笑顔を見ると、課長は上機嫌に真田を引き寄せた。そして昼間の同僚たちと同じように、真田が結婚しているかどうかを訊ねてきた。真田は詫びながら左手薬指の指輪を見せる。課長は無念さを含ませた唸り声をあげたが、それでも真田を解放することはなかった。課長は、ビール瓶を0,5秒で砕く触手を真田の肩に這わせていた。

 歓迎会が終わると、課長に気を使った係長が、真田を二次会に誘ってきた。ご用達のカラオケボックスに行くという事だった。

 孝弘が真田の前に立つようにして言った。

「そうですか、では僕も一緒に行きましょう」

 係長は課長を振り向いた。課長の瞳の光が鈍かった。

「いや、今日は真田君の関係会だカラ……。」

「つれないことを仰いますね。僕も二係の一員ですが」

 係長の体が少し膨らんだように見えた。ただでさえ大きい×〇の体が、孝弘を威圧しているようだった。もし、この瞬間、係長が本気で殴れば孝弘は吹き飛ばされ、下手をすれば大けがを負うかもしれない。触手が首に巻かれれば、ものの三秒で首の骨をへし折られるだろう。もちろん、往来の真ん中で、警察官たる彼らがそんな暴挙に及ぶ可能性は考えづらい。しかし、いかんせん彼らには酒が回っていた。孝弘は気づかれないよう生唾を飲み込む。

「僕は真田君にまだ話があるんです、同じ男性職員として。色々教えなければならないことがね。係長、どうかお察しください」

「……分かった」

 係長は低くうなると、振り向いて課長のもとへ行った。係長は何度も課長に頭を下げていた。

 署員たちが遠くに去ると、真田が訊ねた。

「……どうしたんです、城之内さん? カラオケくらい別に大丈夫ですけど?」

「……カラオケだけならな」

 孝弘は真田を見る。世間スレしていない新人は、純粋な瞳で孝之を見ていた。

「ま、飲みなおそう……。」


 同じ警察寮に住む二人は、寮のある二つ手前の駅で降り、孝弘はなじみの居酒屋「源五郎」に真田を誘った。

 生ビールをジョッキで頼むと、ふたりは小さく乾杯をして飲みなおし始めた。

「城之内さんって、ほんとにクールですよね」と、真田は言った。

「……そうか?」

 孝弘は、頼むつもりもないのに、壁に貼られているメニューに目を通していた。

「いやぁ、あれだけ×に囲まれてるのに、全然動じないじゃないですか。僕、ずっと手に変な汗かいてたんですよ」

「まぁな、あそこは完全な×社会だ。俺らの仕事が主に男性相手だってのに、ようやく重い腰を上げたくらいだからな」

「……さっき、何か言いたそうでしたね。どうかしたんですか?」

 真田の問いかけに、孝弘はまっすぐに後輩を見た。

「……婚約してるんだって?」

「え? ええ、そうですけど……。」

「そいつに操をたてたいのなら、やっぱり行くべきじゃなかったな。男が少ない世界だから、新人が入ってきたら取り合いになる。……いつものことだ」

 真田は最初きょとんとしていたが、すぐに明るく笑った。

「そんな、大げさですよ。……だって、課長と係長ですよ? ×〇嫌悪が過ぎませんか?」

「課長と係長だからだよ。何かあっても泣き寝入りだぞ」

「大丈夫ですよ、向こうが仮にその気になってきたらうまく断りますよ。僕だって、大人なんですから」

「うちに配属された割には、随分とのんびりしたことを言うもんだな」

 孝弘の物言いに真田は沈黙した。冗談ではないようだった。

「よぉ~、孝弘じゃないか。久しぶり」

 そこへ、やたら陽気な声が割って入ってきた。

「……お~、アーミル」

 一見して外国人と分かる顔立ちの男だった。 

「ひさしぶりじゃん。最近、来てなかったの? 仕事忙しいん?」

 目をつぶれば、日本人と区別がつかないくらい流ちょうな日本語だった。

「いや、ちょくちょく来てたけど、ただお前に会わなかったんだよ」

「あ~、そういうこと?」

 戸惑う真田に、孝弘が紹介する。

「俺の中学からのツレだ」

「鈴木です、よろしく」

 鈴木は「座っても?」と孝弘の隣の席を引いた。

「ああ……。いいか真田?」

「僕は大丈夫です」

 鈴木はほほ笑むと席に座った。

「同僚?」と、鈴木が孝弘に訊ねる。

「ああ、後輩だ」

「真田です、よろしくお願いします」

「お~よろしくぅ」

 鈴木は店員にハイボールを注文すると、二人に向き直った。鈴木は興味を真田に向ける。

「しかし珍しいな、お前と同じところに男が配属されるって。駐禁の切符切ってるのならよく見るけど」

「ああ、そうだな。俺にとっても、久しぶりの同性の同僚だ」と孝弘は言った。

「日本語上手いと思ってる?」と、鈴木は好奇の目を向けてくる真田に言った。

「あ、ええ、まぁ……。」

「生まれも育ちも日本だからな。両親は違うけど、俺が産まれる前にこっち来たんよ。親戚頼って」

「インド系日本人って奴だろ?」

「まぁね。でも、ヒンドゥーじゃなくてムスリムだぜ?」と、鈴木は真田に教えた。

 女性がこの世界からいなくなってから、それにまつわる文化は教科書で浅く教えられる程度だった。彼らの文化圏では、女性は顔と体を布で覆い隠す風習があったことを真田は思い出していた。そしてすぐに違和感に気づいた。

「ハイボールお待たせしました」

 店員がジョッキをテーブルに置くと、鈴木は何の躊躇ちゅうちょもなくハイボールを飲み始めた。

「あ……。」

 真田の狼狽ろうばいに孝弘は声を出して笑った。含みのない笑いを後輩に見せるのは、これが初めてだった。

 ジョッキのハイボールを半分ほど飲み干して、鈴木は言った。

「大丈夫、神様は日本まで見てないから」

「はぁ……。」

 鈴木の言動は、何も彼の人間性故だけではなかった。×〇が女に代わり人類の半数を占めて以来、宗教はアイデンティティを失いつつあった。宗教・宗派ごとに対策は講じたが、結局は変化を受け入れざるを得なかった。

「ま、結局、宗教の教えなんてのは、元々そうする必要があって成り立つもんだからね。ムスリムの一部には、首から下の毛を剃る奴らがいるけど、それだってシラミ対策だっていうんだから。だったら日本に来てまで、わざわざそんな面倒なことやる必要なんてないんだ」

「そういうものなんですねぇ……。」

「もちろん、親父とお袋には堂々とは言えないけど」と、鈴木は悪い笑顔を浮かべた。

「必要に迫られてやるってんなら、そのうち男がヒジャブを着なきゃいけなくなるかもな」と、孝弘は皮肉を言った。

「そういう冗談は好きじゃない」

 鈴木は語気を強くして言った。

「お前の地雷原が未だに分からないんだが……。」

 真田が急に顔を下に向け吹き出した。孝弘と鈴木は同時に彼を見た。

「……どうした?」と孝弘は訊ねた。

「いえ、今日お会いしてから、ずっと城之内さんってお堅い人なんだと思ってたんですけど、意外な一面が見れたなって……。」

「お堅いだって? こいつが? 冗談だろっ?」

「嫌な言い方するなよ、アーミル。警察官なんだ、一日の半分以上を辛気臭い面で過ごさなきゃあならない身にもなってみろ。動くのはいつも事が起こってから、無ければ無い方が良いもんなんだからな、俺らの仕事は。顔だって固くなる」

「あ、まぁそれもそうなんですけど……。」

「それ以外に?」と鈴木が訊ねる。

「僕ら男性署員の中で、城之内さんは特別というか……。」

「その話はやめようぜ」

 孝弘は言いかけた後輩の話を遮った。

「何だよ、聞きたいじゃないか、教えてくれよ。孝弘も照れるこたぁないだろ」

「そういうんじゃなくってな……あんまりいい話じゃないからさ」

 孝弘の視線に、真田は空気を察して口をつぐんだ。

「何だよぉ」

「だから仕事の話はやめよう。嫌なんだよ、プライベートにまで持ち込むのは。楽しく飲もうぜ」

 それから、その話には触れられることなく、夜は更けていった。

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