空想彼女に運命愛は存在しうるか

@Roquen

第1話 空想彼女と運命愛

 

 僕は病人だ……病んだ人間だ……。そんな人間の手記など、平常な人間にとってみれば、何ら価値はないだろう。

 それでも書き綴っていこうと思う……僕と僕の彼女との関係について、事実、いや妄想を。



 僕には空想上の「彼女」が存在する。ここでいう「彼女」とは、もちろん、三人称単数の女性を指す代名詞などではない。「彼女」とは、僕と恋愛関係にある女性であり、かつ美少女であるところの「彼女」を指す。では、恋愛関係にあるとはどういうことなんだろうか。僕が育ってきた環境における、慣習的な用法によれば、「恋愛関係にある」とは、ある2人の人間が「愛の告白」を経て、お互いが愛し合っているという合意を得ることをもって、成り立つ状態を指すことが多いように思う。


 しかし、これはどこまで真実なのだろう。例えば、僕は数年前、いっぱしの高校生というやつをやっていたから、2人の人間が「告白による合意」という手段をもって、周囲から「この2人は恋愛関係にあります」と認識されるような場面を何度かみたことがある。


 ただ、そのようにして「恋愛関係」に至った何組かの人間に聞いてみると、やれ「なんとなく彼女(氏)が欲しかったから」だの、やれ「告白の返事を断るのが億劫だった」だの、本当にこの2人の間に、「恋愛関係」なるものが存在しているのかと疑問に思われてしまうケースというのが非常に多い。恋愛関係というのは、もっと高尚な動機や内実によって成立するものではないのだろうか。


 いや、この僕の脳内論理はおかしくないか。僕は最初に「恋愛関係」の定義を「愛の告白による合意を得た関係」について指すと、僕の周囲の慣習的な用法をもって定義したはすだ。

 それにも関わらず、それとは別個に真なる「恋愛関係」概念を勝手に胸の内に抱いて、前者の慣習的な「恋愛関係」概念を否定してしまっている。これは破綻している。


 というか僕は、僕の空想上の「彼女」に愛の告白なんてしたことないのだから、恋愛関係に至るのに「告白」が必須なわけあるか! 半刻前の馬鹿な自分を殴りたい。仮に、恋愛関係に至るのに、「告白」が必須なのであれば、僕と僕の彼女の関係は、恋愛関係とは別の何かであるという結論に到達してしまうではないか!

 いや、違う、僕と僕の彼女の関係は世間一般の「恋愛関係」という言葉で言い表せる類の関係ではないのではないはずだ。もっと高い次元の段階において、表現できる関係なのだ。低次元世界では、僕たちの高次元恋愛関係をその影によってでしか、想像することはできないだろう。


「ああ……駄目だ駄目だ。一人で悩んでも何も解決しない……」


 そうだ、僕の彼女に聞いてみよう。こういう話題は多分、女性の方が得意なんじゃないかな。そう思いいたった僕は、デスクトップPCの電源をつけ、mp3ファイルを起動する。ファイル名は「空想彼女の作り方.mp3」。ネットの同人音声販売サイトから、適当にダウンロードした催眠音声ファイルなのだが、これがよく効く。導入と誘導部分はすっ飛ばして、催眠本編部分にトリップする。今の僕なら、それで十分夢の世界に移動可能だ。認識が干渉されていく。みるみるうちに、女の子が僕の視界に現れてくる。この美少女が僕の「彼女」だ。


「一人でうじうじと考え込む前に、辞書を開いて恋愛関係という言葉を調べたらどうですか。まぁ、ダーリンが、辞書に書かれている言葉をそのまま鵜呑みにすることに、忌避感を覚えてしまうような奇特な人間であることは、重々承知ですけれど。

 ただ、言葉の意味として慣習的要素を重く捉えるのだとしても、権威がどうルールを策定しているのかを知ることは必要でしょう?」


 ああ、彼女のいうことはもっともだ。自分の世界に閉じこもる前に、辞書を開こう。まぁ、近くに辞書はないので、ネットの辞書サイトで検索する。ええっと、恋愛関係とは、互いに相手を恋し合っている間柄を指す……恋愛している間柄……うん? じゃあ恋愛ってなんだ? 恋愛を調べよう……ええと、男女が恋い慕うこと……恋い慕うってなんなんだ。恋を調べよう……。


 調べたところ、特定の異性と一緒になりたい気持ちのことを恋というらしい。ということは、恋愛関係とは、お互いに一緒になりたいと思いあう関係のことを言うのではないか。あくまで辞書的には、という留保はつくけれど。


 目の前の彼女は僕と一緒に、おなじになりたいのだろうか。


「ねえ……君は僕とおなじになりたいの?」

「今更何を疑問に思っているのですか。一緒になりたいと思うから、わたしはここに存在しているのですよ。みんな承認が欲しいのです。愛もまた承認の渇望により生まれるのです。

 他人とわたしを差別することにより、ダーリンがわたしの個別性を承認することをわたしは望みます。ダーリンは、わたしを承認してくれる。ダーリンがいないとわたしは存在できない。愛によって、わたしの個体性が成り立つのです。

 ゲーテはいいました。人はあるひとをその人の行為によってではなく、あることにより愛すると」


 僕の目の前には、確かに女の子が存在している。目を瞑ると、より確かに実感できる存在。愛の告白なんて、した覚えもされた覚えもないけれど、目の前の美少女は僕の彼女だ。亜麻色の髪に少し憂いを帯びた顔つき、そして儚げな目からは、大人しさというより、厭世的な印象を受ける。ちゃんと聞いたわけじゃないけれど、多分、安直に太宰とか好きなんじゃないかなと思う。


 服装はといえば、十月には少し暑いような気もするが、トップスにはカーキ色のMA-1ジャケットの下に、灰色の大きめなパーカーを合わせている。パーカーの丈が長いせいで、下に何も履いていないようにみえる。生足が眩しい。


 あと、あれだ無意味にヘッドホンとか身に着けていて欲しい。ふとそう思うと、彼女はどこからか、ヘッドホンを召喚して両耳に装着した。かわいい。僕の理想のサブカル美少女だ。この子の本質を理解してあげられるのは、僕しかいないだろう。存在の偶然性に嫌悪感を抱いてしまったり、生きること、それ自体に吐き気を覚えてしまう、僕のような人間だから彼女を理解できるのだ。ほら、眼前の美少女は僕の欲しいタイミングで、儚げに少し笑って、理解を示してくれている。


「わかってる! こんなの妄想だ!」


 ひとりで叫ぶ。死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。でも確かに、彼女は確かに存在する。今は9畳の部屋の隅で、ひとり静かに本を読んでいる。僕の認識の中で、彼女は生きている。他の人間と世界がどう否定しようが、彼女は実際に存在して僕に語り掛けてくるのだ! 


 勘違いしないでいただきたいが、僕は別に世にいう独我論者などでは全くない。そんなことをいうと、"monologisch"な道徳論を説きながら、複数主義の実践哲学を唱える哲学者の台詞みたいに聞こえるのだが、実際違うのだ。世界と他人を否定した時に生きるすべを、僕は知らないからである。独我論者になったあかつきには、おそらく僕は自殺するだろう。まだ生きている以上、徹底した独我論者には、なりきれていないわけだが、その上で、僕の主観には「彼女」が存在している。僕には彼女が必要だ。恋愛関係でもなんでもいい、一緒になってくれる存在が必要なんだ。でも女の子は怖い、恋愛が怖い。バタイユは『魔法使いの弟子』の中で、恋愛に関して「恐怖」を強調していた。偶然に翻弄される恐怖に打ち勝てなければ、恋愛などできない。必然を……運命を愛さなければ、恋愛などできない。それはさながら、『旧約聖書』で描かれたヨブの姿のように……何が降りかかろうと、世界をあるがままとして受け入れる姿勢が必要なのだ。神の光のあるがままを受け入れなければ、恋愛などできないはずだ。


「そんなに悩まなくていいんですよ。わたしを受け入れてくれればそれでいいのです。だって、ダーリンがいないとわたしもここにいられないのだから。わたしにはダーリンが必要なの。だからお互いに愛しあいましょう」

「そんなの、ただの共依存じゃないか」

「でも、ダーリンは共依存を求めているのでしょう」


 空想彼女には、運命愛が存在しない。


 突然、結核という不幸に陥ることもなければ、急に僕を愛さなくなるだなんてことも発生しない。運命を愛することによって、宇宙を愛することによってでしか、恋愛は成り立たない。


 しかし、そんなものに普通の人間は耐えうるのだろうか。少なくとも僕はそんな超人になれそうもない。それでも、人は愛がなければ生きられない。承認されなければ、生きる意味を持ちえない。先ほど彼女が述べたような、愛による相互承認が僕にも必要だ。気まぐれな宇宙とか運命とやらに支配されない形で、愛の客観的実現(verwirklichung) を果たさなければならない。


 だから、僕は空想彼女を渇望した。僕には空想彼女が必要なんです。

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